見出し画像

持続可能な社会人

ここ数年「Fire」という言葉をよく耳にするようになった。

FIRE(ファイア:Financial Independence, Retire Early)
経済的自立を達成し、労働等から解放されて早期リタイヤすること

ご存知の諸氏も多いと思うが、Fireとは噛み砕くと「むっちゃ稼いだり節約して金を貯めて、運用で生活できるようになって仕事辞めようぜ」ということである。

若者に対して自由だとか縛られない生き方だとかを説く論説は昔からよくあり、ネズミ講だとかネットワークビジネスだとか胡散臭い物勧誘は多いが、FIREは別に人生の一発逆転を目指すものではない。
ミレニアル世代を中心に、なぜ今Fireが持て囃されるのか。
Fireを考える若者は、かつての昭和世代とは大きく異なる価値観を持っている。
筆者自身も若者の1人としての視点から、Fireと若者を取り巻く環境について考えるいきたい。

Fireを目指す理由①働きたくない

まずこれです。
というか、これが大半では。
今の高齢者は、年金を貰って毎日暇そうにしている。
でも俺達はどうだ?頑張って働いて、収入の1/4くらいを税金その他で取られ、その上将来年金がもらえるかも分からない。
将来への不安と、世代間格差への不満がFireへの門へと若者を誘っている。
Fireの特徴として、アーリーリタイヤ後は豪華な生活をする訳でない。
資産の運用益で得られる範囲で、資産を減らさない範囲で細々と暮らすのである。

極端な言い方をしてしまえば、
Fire志向者は早く老後を迎えたがっている。
なんでそんなに夢がないんだ、と思うかもしれない。
かつての若者は必死に働く理由として
・より良い生活をするため
・良い車に乗るため
・マイホームを建てるため
といったものを持っていた。

それに比べて今の若者は「より早く老後を迎えるため」
に必死で働くのである。

まさに世代間のギャップとしか言いようがない意識の違いだが、現代の若者にとって仕事の苦痛なく、凪のように生きていられるということは何事にも代え難い理想なのである。

Fireを目指す理由②ライフスタイルの変化

そもそも多少金を稼いでも、それで仕事を辞めるのは不安じゃないか?
僕はFIREの話を聞いた時そう思った。
いくら多少昔に比べて雇用が流動化したとはいえ、一度リタイヤしてしまっては再就職は難しい。
たとえ出来ても、以前と同水準の収入は望むべくもないだろう。
曰く、FIRE達成後に自分が死ぬまでかかる費用は合理的に算出可能なのだとか。
ただこれは、一生独身でいるとか夫婦2人だけだとか、一度決め打ちしてしまったライフプランを変えないことが前提だ。
勿論その場合、子供に遺産を遺すという発想も生まれない。
使いもしないお金を抱えて死ぬのは、FIRE的には「コスパが悪い」のだろう。
これも結婚しない人が増えた現代だから言える論法だ。

FIREを目指す理由③投資手段の多様化

これは「目指す理由」というよりも「目指せる根拠」と言った方がいいかもしれない。
近年はFintechの発達や多様なサービス金融のおかげで、少額から始められる資産形成手段が劇的に増えた。
ネット証券は手数料も安いし、REITや各種デリバティブといったリスクヘッジ手段も多彩だ。
リタイヤした後の運用も色々選択肢があるのが、FIREを後押ししている。

ここまで何点か述べてきたが、正直僕はFIREについて少し疑問を持っている。
FIREは今風な生き方の一つだと思うし、他人のライフプランに口出しするつもりもない。
ただ根本的に、仕事を早くやめる(=辛い仕事を良しとする)のは何故?と思う。

確かに毎朝早くに起きるのは面倒であるし、仕事をする上では嫌なこともある。
しかし、FIREの論調を聞いていると
「仕事で精神が摩耗して擦り切れる」か
「死ぬまでに必要なお金を稼ぎ切る」
のチキンレースのような気がしてならない。

ここでタイトルの話に戻ろう。
「SDGs」というものをご存知だろうか。
例の如く雑に説明すると、「人や社会や地球がずっと続けていけるような経済成長や人の営みを目指しましょう」という感じである。
最近カラフルなSDGsのバッチを付けている人を良く見かけるアレである。

目標がフワッとしていて掴みどころがないが、個人的には「未来を考えて無理せず行こうぜ」くらいの認識でいいと思っている。
毎日LINEしたりプライベートを犠牲にして付き合っているカップルは長続きしないのと同じである。
SDGsの理想は聞こえもよく、大きな反発を呼ぶものではないだろう。
しかし何故一方で同時代に生まれた思想としてFIREでは「仕事は持続不可能なもの」と捉えられているのだろうか。

理由は意外とシンプルで、「提唱者の立場が違う」からである。
SDGsは国連で採択されていることからも分かる通り、各国エリートや上級地球市民とも言うべき人々から始まった。
悪い言い方をしてしまうと、まだ理想論的な部分も多い。
SDGsは広い枠組みで求められるマクロな正義だが、それでミクロな個人は救えない。
時間と労働力を日銭に替えて生きる無産階級には、より良い社会より自分の生存戦略である。

多くの労働者(の中でも資産を形成している頭脳労働者などのインテリ層)は不安化する社会の中で、老後に向けた対策を取っているだけだ。
FIREを志す労働者はSDGsを信用していない。そんなものより己の努力により達成できる自助の方が100倍頼りになる。
「社会の未来に期待しない」ことが、FIREへの第一歩なのだ。

だが、社会に扶助を期待しないとして、将来を生きるために今を生きて、それは楽しいのか。とも思う。

2000万円だとか言われている老後資金を貯めるもの大切だが、労働から解放されるのを望みながら働くのではなく、
自分がライフワークとして持続可能な生業を見つけていく方がハッピーではないだろうか。

持続可能な社会が作れるなら、持続可能な個人にだってなれるはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?