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《有料・冒頭試読》(47)「45」得津、横田、堀、田村と並ぶ、出世番号の系譜

割引あり

(写真 左から、24代・45番2年目の植田将太、7代・45番で5年実績積んだ得津高宏、12代・45番で2年連続3割を記録した横田真之、13代・5番として20年貢献した堀幸一もスタートは45番、21代・捕手として45番から22番へ田村龍弘)


(47)「45」得津、横田、堀、田村と並ぶ、出世番号の系譜

 入団時に比較的に大きい数字を背負い、結果を出して主力となり、若い背番号に変更する。そんな選手が何人か重なると「出世番号」と言われる。オリオンズ&マリーンズの系譜では45は出世番号の一つだ。7代の得津高宏は45で一軍定着し、背番号を25に変更。11年間背負いチームの顔となった。12代の横田真之は45を背負い、入団から2年連続3割を記録。背番号を2に変更してチームを支えた。13代は堀幸一。3年間45を背負い、背番号5となり20年間チームの顔として活躍した。21代田村龍弘は5年間45で実績を積み、里崎智也の22に変更し、最優秀バッテリー賞を獲得した。

----- 現在の背番号「45」 -----

 ★《24代》2023(R5)年〜2024(R6)・2年目 植田 将太(うえだ しょうた) 捕手(在籍5年目)

  1997(H9)年12月18日生(入団時22歳)、右投右打
  (出身・大阪)神奈川・慶応高−慶応大−千葉ロッテ(20〜)

 【植田 将太 背番号変遷】125(1+途中) ⇒ 95(途中+1) ⇒ 45(2)
 2019(R1)年に育成ドラフトで入団、2年目に支配下登録された植田将太が、4年目の23(R5)年に背番号を95から45に変更し、45を引き継いだ。
 背番号を変更した23(R5)年は5月末に自身初の一軍登録。6月1日の巨人3回戦(ZOZOマリン)に9番捕手で初出場をスタメンで果たす。無安打に終わり4試合の出場で抹消されたものの、二軍では好調を維持した。

 ◆打撃成績<4試合、打率.000、3打数0安打、0本塁打、0打点、0盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席<2023(R5)年6月1日・巨人3回戦/H(ZOZOマリン)/9番捕手/1打0安>

----- オリオンズ&マリーンズ「45」の系譜 -----

1950(S25)年〜1951(S26)年 空番


 ★《初代》1952(S27)年~1953(S28)年・2年 西脇 光二(にしわき こうじ) 内野手(在籍2年)

  1931(S6)年10月2日生(入団時20歳)、右投右打
  兵庫・串本高−神戸大丸−毎日(52〜53)

 【西脇 光二 背番号変遷】45(2)
 1952(S27)年に社会人・神戸大丸から入団した西脇光二が、初代背番号45を背負った。
 入団1年目の52(S27)年は一軍未出場に終わる。しかし、2年目の53(S28)年は開幕一軍ベンチ入り。開幕2戦目の3月22日の大映1回戦(後楽園)に代打で初出場を果たすと、翌日の東急1回戦(後楽園)では8番二塁で初スタメン出場し、初安打、初打点を記録する。以降、主に代打と守備固めで出場するもヒットが出ず一軍を外れる。最終的に11試合に出場し打率.182に終わり、このシーズン限りで引退した。

 ◆打撃成績<11試合、打率.182、11打数2安打、0本塁打、1打点、1盗塁>
 ◇初出場、初打席<1953(S28)年3月22日・大映1回戦/H(後楽園)/代打/1打0安>
 ◇初スタメン、初安打、初打点<1953(S28)年3月23日・東急1回戦/H(後楽園)/代打/1打0安>


1954(S29)年 空番


 ★《2代》1955(S30)年・1年 大野 幸朗 内野手(在籍1年)

  1936(S11)年10月31日生(入団時18歳)、右投右打
  東京・松蔭高−毎日(55)

 【大野 幸朗 背番号変遷】45(1)
 1955(S30)年に東京・松陰高校から入団した大西幸朗が、背番号45を引き継いだ。
 180センチの長身から投げ下ろす大型投手と期待されたが、一軍未登板に終わり、1シーズン限りで引退した。

 <一軍未出場>


 ★《3代》1956(S31)年〜1957(S32)年・2年 大谷 進(おおたに すすむ) 内野手(在籍2年)

  生年月日不明(入団時18歳)、右投右打
  山口・萩高−毎日(56〜57)

 【大谷 進 背番号変遷】45(2)
 1956(S31)年に山口・萩高校から入団した大谷進が、背番号45を引き継いだ。
 俊敏で守備力が高く、二軍では好守を見せたものの、打撃力が上がらず、2シーズン所属したが、一軍未出場に終わり、57(S32)年限りで退団した。

 <一軍未出場>


 ★《4代》1958(S33)年・1年 青山 裕治(あおやま ひろはる) 投手(在籍1年)

  1933(S8)年4月28日生(移籍時25歳)、左投左打
  北海道・札幌光星高−札幌鉄道管理局−大映(56〜57)−大毎(58)−東洋高圧砂川

 【青山 裕治 背番号変遷】45(1)
 1958(S33)年に大映との合併で移籍した青山裕治が、背番号45を引き継いだ。
大映では主にリリーフとしてマウンドに上がっていた。
 移籍後は投手陣の争いは激しく、5月に移籍後リリーフとして登板するも、1試合だけで一軍を離れる。9月に再登録され、28日の阪急12回戦(後楽園)に初先発。しかし、打者5人に2安打1四球で失点して降板。これが最後の一軍マウンドとなった。オフには、このシーズン限りで引退した。
 
 ◆投手成績<3試合、0勝0敗、防4.50、1先発、0完封、1奪三振>
 ◇大毎初登板<1958(S33)年5月28日・阪急12回戦/H(後楽園)/2番手/0.1回0失>
 ◇大毎初先発<1958(S33)年9月28日・近鉄23回戦/R(日生)/先発/0.1回1失>。


1959(S34)年〜1960(S35)年 空番


 ★《5代》1961(S36)年・1年 小林 英幸(こばやし ひでゆき) 外野手(在籍4年)

  1940(S15)年4月25日生、左投左打
  東京・帝京商業高‐中日(59~60)‐大毎(61~64)

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