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《有料、冒頭試読》【73年考察/(2)(チーム)「勝利数と勝率、監督」の73シーズン考察】

(写真左 初代・湯浅禎夫総監督(右)、若林忠志監督兼投手(左) 写真右 歴代監督勝利数493勝でトップのバレンタイン監督)


(2)(チーム)「勝利数と勝率、監督」の73シーズン考察

 2回目は球団の勝率と勝利数について考察。
 優勝はチームの勝率で決まる。では単純に「一番勝率が高かった時が球団史上で一番強かった時か?」と問われると一概には断言出来ない。なぜならば、勝率は他球団との接戦状況に大きく左右されるからだ。また、延長の扱いが時間制限や回数制限などの規定により、引き分けの数が変わってくることもある。
 また、パ・リーグは10年ほど「前期・後期の2シーズン制」の時代があり、勝率が低くても優勝したチームもあった。
 そこで、まずは500勝ごとの区切りの勝利をリストアップ。そして、過去のチームの勝率と勝利数のランキングを並べていく。どの時代が強かったのかは、皆さんのご判断で。

【オリオンズ&マリーンズ 結成以来の記録】

★73年間の成績…9837試合4733勝4710敗394分、勝率.501
        (2022年シーズン終了時点)
 球団創設年が違うため一概の比較は出来ないが、現在12球団の中で8位、パ・リーグでは5位。オリオンズと同じ1950(昭和25)年参入の球団としては6球団中2番目の記録になる。

 73年間の歴史を分かりやすく、500勝ごとの区切りの勝利年表を作った。おおまかだが、球団の過去の流れが読み取れると思う。

★初勝利…1950(昭和25)年3月11日(本堂 安次) 西鉄1回戦(西宮)9-1 ○榎原
 篠崎倉庫から入団した新人榎原が開幕投手。毎日は初回、4番に座った36歳の新人戸倉が左越2ランを放ち先制。3、4,5回に加点し一方的な展開に。榎原は9回に1点を失い初完封を逃したが、球団初勝利を初登板初完投勝利で飾った。

 ↓(877試合)500勝356敗21分
★500勝目…1956(昭和31)年9月3日(別当 薫) 大映17回戦(後楽園)7-2 ○和田功

 ↓(932試合)500勝409敗23分
★1000勝目…1963(昭和38)年9月5日(本堂安次) 阪急23回戦(西宮)5-4 ○堀本

 ↓(1,018試合)500勝477敗41分
★1500勝目…1971(昭和46)年5月11日(濃人・大沢) 西鉄4回戦(東京)3-0 ○成田

 ↓(1,016試合)500勝443敗73分
★2000勝目…1978(昭和53)年9月30日(金田正一) クラウン12回戦(川崎)7-4 ○仁科

 ↓(1,122試合)500勝528敗94分
★2500勝目…1987(昭和62)年8月15日(有藤道世) 近鉄18回戦(藤井寺)6-3 ○荘

 ↓(1,193試合)500勝660敗33分
★3000勝目…1996(平成8)年8月30日(江尻 亮) 西武21回戦(西武宮)7-3 ○ヒルマン

 ↓(1,088試合)500勝565敗23分
★3500勝目…2004(平成16)年8月8日(バレンタイン) 阪急23回戦(西宮)5-4 ○小野

 ↓(990試合)500勝464敗26分
★4000勝目…2011(平成23)年9月7日(西村徳文) 西武回戦(西武D)2-0 ○唐川

 ↓(1,105試合)500勝572敗33分
★4500勝目…2019(令和元)年6月21日(井口資仁) ヤクルト1回戦(神宮)12-3 ○二木

 ↓(496試合)233勝236敗27分
【2022年シーズン終了時点】1733勝(吉井理人)

※( )内は当時の監督
※↓横試合数は500勝まで要した試合数と勝敗。

 まず、創設から1000勝まで強かったことが分かる。500勝、1000勝到達まで1000試合かかっておらず、大きく勝ち越している。その後、1970年代中盤の「オイルショック」により、延長が「3時間を超えたら新しい回に入らない」という時間制限を設定したことにより引き分けが増え、500勝達成に1000試合を要しているが、2000勝到達までは勝ち越している。
 オリオンズの終盤に初めて500勝到達に負けが先行する。以降、マリーンズとなってからも3500勝までは負け越しが続く。しかし、2000年代の2度の日本一を挟み、マリーンズとなって初めて勝ち越すが、2010年代に入り、再び負け越している。

 次にチーム勝率をランキング化。

【チーム勝率ベスト10】

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