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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/51】/「49」職人選手の出世番号

割引あり

(写真 左から、22代・左の先発として飛躍が期待される本前郁也、6代・長谷川一夫、8代・井上洋一、ともに息の長いバイプレーヤー、11代・首位打者に輝いた平井光親、15&18代・パワフルなマウンドが印象に残るシコースキー、20代・デスパいいね!デスパイネ)


(51)「49」職人選手の出世番号

 毎日、大毎時代は短命に終わった選手が継いでいたが、大映の看板俳優だった長谷川一夫と同姓同名の長谷川一夫が入団。永田雅一オーナーは「野球がダメなら俳優に」と考えていたが、背番号49で歴代最長の9年、背番号9に変更して5年と息の長い選手となった。長谷川は西武に移籍し19年の現役生活を送ったが、現役最後の大毎戦士となった。
 川崎時代は前期優勝に貢献し、水上善雄と鉄壁の二遊間と評価された井上洋一、首位打者に輝いた平井光親の出世番号となった。
 マリーンズでは、中日から移籍した宇野勝、近年ではデスパイネと野手も背負ったが、シコースキー、川﨑雄介、復帰した薮田安彦、チェン・グアンユ、現在の本前郁也と投手の背番号として続いている。

----- 現在の背番号「49」 -----

 ★《22代》2021(R3)年~2024(R6)年・4年目 本前 郁也 投手(もとまえ ふみや)投手(在籍5年目)

  1997(H9)年10月2日生(入団時22歳)、左投左打
  北海道・札幌光星高−北翔大−千葉ロッテ(20〜)

 【本前 郁也 背番号変遷】120(1) ⇒ 49(4)
 2019年の育成1位の本前郁也が、2年目の2021(R3)年開幕前に育成契約から支配下登録に変更。これに伴い、背番号も120から49に変更となり、背番号49を引き継いだ。
 2年目の21(R3)年は3月に支配下登録されオープン戦で好投。開幕一軍入りを果たす。開幕6戦目の4月1日楽天3回戦(ZOZOマリン)に初登板初先発し、5回4失点ながらプロ初勝利を挙げる。しかし、続く登板で打ち込まれて抹消される。その後はローテーションの谷間で登録され先発マウンドに上がる。最終的に先発のみ8試合に登板、1勝2敗、防御率4.78に終わった。
 22(R4)年も開幕10戦目に初先発。5回2失点とまずまずの内容を見せたものの、ローテーションの定着には至らず、このシーズンも登録と抹消を繰り返す。シーズン中盤には、離脱が相次ぎ手薄となったりりーふにまわ、自身初めて救援勝利も挙げる。その後は先発に戻り、ローテーションの谷間を埋める。最終的に12試合(11先発)に登板し3勝2敗、防御率4.66だった。
 翌23(H5)年は苦しいシーズンとなる。二軍で開幕から安定したピッチングを見せ、6月の交流戦で合流。5回2失点とまずまずの内容だったが、登板機会なく直後に抹消。ところが、中盤からは二軍で安定感を欠き、一軍登板は1試合に終わる。二軍で最多奪三振のタイトルは獲得したものの、ニ軍での防御率は4.15だった。

 ◆投手成績<21試合、4勝4敗0S0H、防4.65、20先発、0完封、62奪三振>
 ◇初登板、初先発、初勝利<2021(R3)年4月1日・楽天3回戦/H(ZOZOマリン)/先発/5回4失>
 ◇イースタンタイトル・記録<23/最多奪三振>

----- オリオンズ&マリーンズ「49」の系譜 -----

※1950(S25)~1951(S26)年 空番


 ★《初代》1952(S27)年・1年 関 守雄(せき もりお) 投手(在籍1年)

  生年月日不明(入団時21歳)、左投左打
  新潟・柏崎商業高−毎日

 【関 守雄 背番号変遷】49(1)
 1952(S27)年に入団した関守男が、2年間空番だっだ背番号49を初代として背負った。
 高校時代は目立った活躍はなかったが、若手軍強化の一環として入団した。すでに高校卒業後3年が経過していた。しかし、若手軍でも目立った活躍なく、1シーズン限りで退団した。

 <一軍未出場>


 ★《2代》1953(S28)年・1年 杉尾 富美雄(すぎお ふみお) 投手(在籍3年)

  1934(S9)年11月9日生(入団時18歳)、右投右打
  佐賀・佐賀商業高−毎日(53〜55)

 【杉尾 富美雄 背番号変遷】49(1) ⇒ 33(2)
 1953(S28)年に佐賀・佐賀商業高校から入団した杉尾冨美雄が、背番号49を引き継いだ。
 1年目の53(S28)年は一軍未登板に終わるも、若手軍での好投が認められ、背番号を49から33に変更した。
 (一部資料に一度退団後、翌54(S29)年に復帰と記載されている資料もある。)
 → 杉尾冨美雄 背番号 33

 ◆投手成績<14試合、0勝2敗、防4.65、2先発、0完封、20奪三振>
 ◇初登板<1954(S29)年6月13日・阪急10回戦/H(長野松本)/2番手完了/2回0失>
 ◇初先発<1954(S29)年8月29日・東映17回戦/R(駒沢)/先発/1回1失●>
 ◆打撃成績<14試合、打率.250、8打数2安打、0本塁打、1打点、0盗塁>


1954(S29)年〜1956(S31)年 空番


 ★《3代》1957(S29)年・1年 長平良 功(ながひら いさお) 投手(在籍2年)

  1937(S12)年10月7日生(入団時18歳)、右投右打
  愛知・豊橋工業高−毎日(56〜48)

 【長平良 功 背番号変遷】53(1) ⇒ 48(1)
 前年に入団し、1957(S29)年に2年目を迎えた長平良功が、背番号を53から48に変更した。
 ルーキーイヤーの前年は若手軍で実績を積み、シーズン最終盤に一軍登録され2試合に登板し好投した。期待された2年目の57(S32)年だったが、一軍未登板に終わり、オフに退団した。

 ◆投手成績<2試合、0勝0敗、防1.80、1先発、0完封、4奪三振>
 ◇初登板<1956(S31)年9月23日・東映20回戦/H(福井)/3番手/2回0失>
 ◇初先発<1956(S31)年10月3日・高橋21回戦/R(八王子)/先発/3回1失>


 ★《4代》1958(S33)年・1年 大賀 政勝(おおが まさかつ) 内野手(在籍1年)

  1939(S14)年10月16日生(入団時18歳)、右投右打
  福岡・小倉高−大毎(58)−門司鉄道管理局

 【大賀 政勝 背番号変遷】49(1)
 1958(S33)年に福岡・小倉高校から入団した大賀政勝が、背番号49を引き継いだ。
 俊足巧打の内野手として期待されたが、一軍出場なく、1年限りで退団した。

 <一軍未出場>


1959(S34)年〜1960(S35)年 空番


 ★《5代》1961(S36)年〜1962(S37)・2年 中村 邦弘(なかむら くにひろ) 投手(在籍2年)

  1943(S18)年1月19日生(入団時18歳)、右投左打
  岡山・倉敷工業高−大毎(61〜62)

 【中村 邦弘 背番号変遷】49(2)
 1961(S36)年に岡山・倉敷工業高校から入団した中村邦弘が、背番号49を引き継いだ。
 1年目の61(S36)年は一軍未出場に終わったものの、2年目の62(S37)年は5月に初の一軍登録。5月6日の近鉄4回戦(川崎)に代打で登場する。しかし、2試合に登場して無安打に終わる。このシーズン限りで引退した。

 ◆打撃成績<2試合、2打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁>
 ◇初出場、初打席<1962(S37)年5月6日・近鉄4回戦/H(川崎)/代打/1打0安>


 ★《6代》1963(S39)年〜1971(S46)・9年 長谷川 一夫(はせがわ かずお) 外野手(在籍15年)

  1945(S20)年1月3日生(入団時18歳)、左投左打
  埼玉・大宮工業高‐大毎/東京/ロッテ(63~76)‐クラウン(77~81)

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