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家族とは無償の愛。


先日、二十代後半にしてはじめてお葬式に参加しました。

祖父のきょうだいなので、少し遠い親戚なのですが田舎あるあるで家族との距離が近く〈物理的に近くに住んでいたこともあり〉
年に何回かはお会いしていました。


幸いにも、老衰で90歳近くで親戚は亡くなりました。




看護師をしていますが、受け持ちの患者さんが亡くなるという現場に今まで当たったことがなく、

今はクリニックに勤務しているので当たることもなく

身内も皆長寿なため、身近な人が亡くなるということがはじめてでした。


人のご遺体を見るのは、学生時代の解剖実習以来でした。



ご遺体を見れば悲しくて、涙が出るだろうし
皆暗くて重い空気が流れるのかな、、?と思いましたが

久しぶりに家族みんなで集まれたのことは楽しく、とても良い機会でした。
引きこもりがちだった弟と母にも、笑顔が見られ
弟とは何年ぶり?くらいに話せました。


ほぼ面識のない身内にもたくさん会いましたが、
皆「大きくなったね」と私たちきょうだいを見て喜んでくれました。

ここまで私たちが育つのに、私も含め家族は色々な困難な事情がありました。
両親も離婚しており、きょうだいはそれぞれの困難を抱え、一般的な家庭とされるメジャーな家庭とは乖離していると思います。

私たちにとってはそれが普通ですが、世間的に見れば所謂ハードモードな家庭だと思います。
親戚はみんなそれを知っていますが、
実際に久しぶりにあって純粋にわたしたちの存在そのものを喜んでくれました。

わたしたちも、親戚の顔が見られただけで
喜びを感じられました。

お互いに「存在そのものが嬉しい、笑顔が見られて会えて嬉しい、仲良くしたい」という単純でいて幸せの本質のような感覚になれた気がしました。


「わたしたちは1つのチーム、組織の一部」
「家族という存在そのものが喜び」
といった共同体のような感覚がなんとも幸せに感じられた1日でした。


人はどこまでいっても、1人にはなれず
共同体でいることに幸せを感じる社会的な生き物というのがなんともかわいらしいですね😊




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