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「死角」#台日友達オープンマイク

死角 岡和田晃

――ヘミングウェイの『老人と海』は征服者の文学である!
静かだが、確証に満ちた声で、そう告げたのは……。
台湾原住民・タオ族の作家、シャマン・ラポガンさんだった。
二〇一六年七月、植民地文化学会での光景である。
私は、そのときのコメンテーターだった。

ヘイターが「自虐史観」と罵倒してやまない、歴史への反省。
それを積極的に打ち出した研究者が集う場所にもかかわらず、
暫時(ざんじ)、困惑した空気が広がる。

『老人と海』といったら、年老いた漁師が、カジキマグロと対峙する話。
無駄のない文体で、老人の孤独が強調される。
英語の勉強で読んだものだが――その、どのあたりが征服者なのか? 

要するに、技術中心主義的に海を他者化する視点の問題だ。
タオ族は一年を三つに分ける――回遊魚・トビウオの到着に合わせて。
春夏秋冬、花鳥風月に情緒を乗せる「日本」的な感性とは、
もう、まったく違うのだ。海を征服の対象としないこと。
それでも描かねばならぬなら、写実に徹する姿勢が大事。
それが、ラポガンさんのスタンスだったと理解している。

タオ族の漁業権は法で制限されてしまっているが、
一九二九年制定のその法は、実は日本統治時代のものがモデル。
「外地」とされた台湾で、タオ族のいる離島・蘭嶼(らんしょ)に入った
最初の日本人の人類学者は、ほかならぬ鳥居龍蔵だ。
アイヌの伝承に出てくる蕗の下の小人コㇿポックㇽを、
千島アイヌがモデルと提唱した人物として知られる。

つまり、だ。政治と学問が結託し、先住民は死角に留め置かれ、
「共生」の美名で囲い込まれ、都合よく使い捨てにされる。
主食を捕る権利すら否定するのは、生存権の剥奪そのもの、
――帝国主義の亡霊、植民地主義の得意技だ!

二〇二四年四月、アイヌ漁業権を切り口とする、
先住権裁判の地裁判決が出て、原告側は敗訴した。
畠山敏さん、差間正樹さんらの原告側は、次々と亡くなり、
国側は「あくまでも現行法の枠のなかで考える」の一点張り……、
法の根拠はいったい何か、まさしくそこが問われているのに! 

やんや、やんやとヘイターは騒ぐ――
「俺たちはアイヌを保護してやってる。あいつらはロシアの手先だ!」

何もかもデタラメ。むしろアイヌは日本とロシア、二つの「帝国」が
ぶつかり合うなか、生き残り、歴史を伝えてきたのである。
いま、そのヘイターらは、須永朝彦研究者のアリエル・クッキー・リュウこと
劉靈均さんを、「中国の手先」と侮辱し、子飼いのネトウヨどもを煽動した。
統一協会の一員であることを隠さない、なりすましアカウントが粘着し、
ネットリンチを受けた女性の一人は、亡くなっていると報道された、
しかし、考えてほしい。アリエルはウクライナ戦争への距離を主題にした、
羅毓嘉(ら・いくか、ルォ・ルージャ)さんの詩を訳すような人物。
そんなアリエルを「スパイ」と言うなら、あんたはいったい何者だ?

やんや、やんやとヘイターは騒ぐ――
「アイヌが乱獲して鮭が激減したから、明治政府の規制は自然保護のためだ!」

笑止千万! ヘソが茶をわかす! 
鮭がダメならコメを食べればいいじゃない、そう明治政府は言っただけだ!
私の叔父は、アイヌの鮭漁アシㇼチェッㇷ゚ノミを再生させる光景を、
克明にTVカメラで記録した。一世紀以上、アイヌは鮭漁を禁止されてきた。
なのに、最初の申請で許可された鮭の数は、わずか二〇匹にすぎない。
伝統的な漁法は失われ、丸木舟も展示品を流用しなければならなかった!

やんや、やんやとヘイターは騒ぐ――
「ここ一三年でアイヌに対する国の生活支援予算が五二%減ったのなら、
ついでに残り四八%も減らしてしまえ、『ゴールデンカムイ』があればいい!」

「日本人」の本音がむき出しである。差別の指摘を「利権」だの「革命」だの、
加害を被害にすり替えて恥じず、マイノリティの生存権すら否定する。
「台湾は親日、中韓とは違う」と日本メディアは囃し立てる。
だが、そもそも「反日」とは、天皇制ファシズムへの自己批判として生まれた言葉。
相手の方が反日なのだと、悪しざまに捻じ曲げる暇があるなら、
近代の経験の重みに気づけ――友情は、まさしく、そこからしか生まれない!

Photo by Simon Liu

※本作は、2024年6月16日の20:00(JST)より開催される台湾友達オープンマイク(主宰:クノタカヒロ)への参加のために書き下ろしたプロレタリア詩である。

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