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〜『鬼滅の刃』全巻を読んで色々と思うことの呼吸〜肆の型『永遠をつかむ方法から逃れられない永遠のループ』

〜以下、本論文(笑)の注意事項です。〜

※ド派手にネタバレします!
※作家や作品のネット情報とかソースは一切なく(そーゆーの読まない)、私の30年以上のマンガ読み人生から生まれた勝手な分析や予想です!
※一切ディスってないです!
愛してます!

※ここから最終巻について、まだまだベラベラ語ります!!

※壱の型から終の型まで、順にお読みいただけるとありがたいです。

それではどうぞ!!

↓↓↓↓↓

滅びゆく肉体に存在し、永遠には生きることが出来ない自分(肉体への猜疑心を持つ自分)への回答(解決策)は、

肉体を介し、"古典的な教え"をもって思いを繋ぐ“誰か"がいる(そして、自分は"誰か"でもある)
=思いのバトンが繋がるので、私は"永遠の命"である
=よかった!!

で、解決したかのように見える。

しかし、

つまり自分も"思いを繋ぐためだけ"に存在しているので
=自分は特別ではない、唯一無二ではなく交換可能な“誰か"である
=じゃあ"俺"という"個そのもの"が生きてる意味ありますか??ないですよね??
だって俺じゃなくても思いは繋がるってことだし、その思いは俺自身のものじゃないし、つまり俺という"個"という存在ってないに等しいですよね!!?

というように、『肉体(自分という存在)に対する猜疑心』、『代替可能な自分に対する苦しみ』、という出発点に戻り永遠にループする(ちょっと善逸風)。

代替可能な誰かであるからこそ繋ぐことができるが、ならば結局のところ自分が自分である存在意義とは一体なんなのか、と。

繋ぐ方法を見出したところで、問題が逆回転し『肉体への猜疑心』が消えるわけではない。
むしろより強固に、己に対する不確かさだけが手元に残される。

この究極のループ問題に対する昭和平成の傑作『AKIRA』の答えはシンプルだ。答えは『新しい方法を自分で見つけろ!もしかしたら、見つけられるかもしれないじゃん!』である。

物語の最後のシーンでは、鉄雄達に破壊された東京で、金田は新しい国を自分達が作る!と高らかに宣言し、仲間たちと共にバイクに跨る。そして『アキラはまだ俺達の中に生きてるぞ!』と叫び、金田と仲間たち、鉄雄の魂は共に瓦礫だらけのビルの谷間へと走り去って行く。。

と、まあこのようなエンディングなのだが、あからさまに『金田はこれで終わらねえな!絶対に次もなんかやってくれるわ、この男は!!』というムードが満載である。

金田の言葉も象徴的だ。『アキラはまだ俺達の中に生きてるぞ!』とは、つまり『究極の滅びない肉体』に対する夢(存在意義への揺らぎが一切ない者への夢)は自分たちが追い続けるぞ!!という宣言である(アキラは鉄雄を暴走させた生へのエネルギーの象徴)。

繋ぐ方法を受容しながらも、繋がれたバトンはその方法を超えるものを探すために使う、ということ。
もしかしたら失敗して第二の無惨、鉄雄を生むかもしれなくても、もしかしたら結局見つからなかったとしても、その夢を追いかけ続けることこそが生きている者の務めなのだ、という決意。
そのために新たな仲間たち=俺たちが犠牲になろうとも。。

このエンディングを読んだときに1990年を生きる若者達は『そうだそうだ!俺もやるぜ!!』と金田とシンクロできたのだろう。そうでなければあれほどの世界的なヒットになるはずがない。

しかし、2020年の若者には別のメッセージが必要だった。
それこそが『鬼滅の刃』最終巻に込められた現代を生きる我々への新しいメッセージである。

〜つづく。。

※なんか今回の型はずっと AKIRAの話しで鬼滅に入らなくてごめんなさい。。

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