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格差と社会福祉2  ―「社会的格差」と「金銭的格差」―

年末に向け忙しい期間があり、少し間が空いてしまいました。
少し不定期が続くかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、社会福祉の不全が<r1>において決定的な差が生み出されているのを前回紹介しました。
富裕層は生き残り、貧困層は死んでいるのですから、その差は歴然です。

では、もう一つの<r2>の例を紹介させてください。

<r2>
Aは自分で金銭を払って、医療を受け完治します。
Bは自分で金銭を払うことができませんでしたが、足りない費用は助成され、医療を受け完治します。

これが、もう一つの結果、ということになります。
結果としてA.B.両者死亡することがありませんでした。

この状態を

社会福祉が充実している
経世済民が達成されている

と私は考えます。

それではこの<r2>の状態は

  1. 金銭的格差が解消された状態

  2. 社会的格差が解消された状態

このどちらに当てはまるでしょうか?
B.に補填された足りない費用が「金銭」であるならそれは「金銭的格差」が是正された、と言ってよいかもしれません。
ですが、
「B.に足りない費用を補填しても構わない」
という社会的通念が存在しなければ、
金銭的格差の是正のための費用が補填されることはなかったでしょう。

つまり、この状況は
「結果として1.金銭的格差が是正された」
というわけであって
「前提にあるのは2.社会的格差を是正しようとする社会性」
になります。

古典派の二分法で考えてみると
1.は金銭的価値ですので「名目値」
2.は「実質値」

ということになります。
そして、実質値が名目値を引っ張る「ディマンド(需要)」であることが分かります。

この考えによる社会福祉が充実した社会は、
「人間の生命」には「無限の価値がある」という考えの下、
金銭的格差により生死を分かつ社会を否定して、
どんなに多額の医療費の補填が必要になろうと、助成してくれる社会
になるでしょう。

さて、そのような社会福祉が行き届いた、社会的格差が是正された社会において、それでも実際にはまだ格差が存在します。
それはA.は医療費が支払いできる富裕層であり、B.は医療費が払えない貧困層だ、という

「金銭的格差」、つまり「名目値の格差」

が正にそれです。

世の中にはこの金銭的格差こそが問題である、という人もいるでしょう。
上記の社会的格差の是正という動機も「医療費の金銭的格差の是正」という形で結実しているわけです。
須らく、「金銭的格差の是正」が全ての「社会的格差の是正」を成し遂げるための、社会福祉の充実と、経世済民の達成ための源泉なのではないか?

そうした勘違いが、社会を、福祉を、人間を、金の亡者にしてしまい、日本を衰退させたわけです。
本章はそれを暴いていく章となります。

前章の商品貨幣論において私は、
古典派の二分法における「名目値」と「実質値」を完全に分離して考えてしまい、その発想が本来「経世済民を達成する学問であるはずの経済学」が「格差を容認する理論」に転化してしまった原因である、と述べてきました。

「金銭的格差」という「名目値の格差」の是正は、果たして「社会的格差」という「実質値の格差」を埋めてくれるように必ず機能するものなのでしょうか?


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