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信用創造①  ―信用創造は揺るがない―

まず前回までお話をしていた「『貨幣の信用』の『信用』」と、今回以降の「『信用創造』の『信用』」は、関連はしますが、「同じ『信用』という言葉」を使っているにも関わらず、(関連はしますが)同じものではありません。
それをご了承の上、以降をお読みください。

さて、
最早「耳にタコができる」という人もいるでしょうから、多くの人が検索して調べることを前提に、非常に簡略的に「信用創造」を定義づけることとします。

「信用創造」とは「借金(負債)を申し込むと出現する貨幣のこと」です。

これを具体的な例で表現すると

Aという所持金0円の人物が、B銀行に行き100万円の借用証書を渡す(負債の申し入れする)と、Aの所持金として100万円が銀行口座に出現する。

こういうことになります。
現象を見ればAにとっては無から貨幣が生まれた。そのように表現できます。
この100万円と銀行口座に数字を書き込むことを「万年筆マネー・キーストロークマネー」といい、そうすることで貨幣を発行することを、「信用創造」と言います。
これは正式に、経済学の用語としてそう言います。

さて、現実にはこれに異論を差し挟み、場合によっては「信用創造を否定する」人たちもいます。

ですがそれはほぼ、「『○○』という別の要因によって信用創造できない」という「現象の外にある別な背後要素があって初めて成立する話」で、はっきり申し上げて「信用創造」そのものに欠陥があり、信用創造出来ない、という話ではありません。
まず、信用創造が厳然と存在し、その後で別の要素でもって否定してくるわけですから、「『信用創造』という現象は存在しない」という意見でもありません。

それは「信用創造は別の要素で限界がある」と言っているにすぎず、私としては「まぁ、そういう場合もあるだろうなぁ」、ということでしかありません。
(「返済が~」とか「供給能力が~」とかいう意見と同じということですね。)

つまり信用創造は誰しもが否定できません。

また「いや、そうではない、本当に信用創造というのはまやかしだ!」という人もいます。
しかしそれは「借金の否定」であり、

そんな社会は貨幣経済が存在して以降の人類史上一度も成立したことはありません。

これを唱えている人たちに関しては論ずるに能わず、ということで領域外となります。

領域内の考慮すべきは前者の「信用創造は別の要素で限界がある」のその「別の要素とは何か?」という点になるでしょう。

では、今後は「信用創造」についてさらに深堀してゆきます。

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