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信用創造⑪  ―「真実の物語」と「事実」―

前章までを読んだ人は、「ああ、日銀当座預金がないと民間に信用創造はされないんだな」と思うでしょう。

政府の信用創造がないと、民間の信用創造はできない。そう見えますよね。

むらさき枠がないと赤枠の信用創造で発行された万年筆マネーに「貨幣の信用」が具現化されない。
正にこの「三点監視」はそういうことを真実として語る「物語」です。

そう、これは「物語」です。

物語、というのはノンフィクション以外は「真実のように語る虚構」です。

何が言いたいのか、というと
こんなことを言うと怒られそうですが。
私があれほど

「重要だ!重要だ!重要だ!」

と言い続けていた「貨幣の信用」は、

「真実のように語った嘘だった」

ということです。

ですが私は虚構だから蔑ろにする、ということではありません。

寧ろ私が言いたいのは「その虚構こそが大事なんだ!」ということです。

虚構の物語の力を実感していただくのにちょっとした例を語ります。

江戸時代、ある老婆が他愛もない人形に「サチコ」と名付けて大事にしておりました。
ところがある日、老婆が亡くなってしまった。
それからしばらくして、亡き老婆の人形を粗末に扱うと、罰が当たるという噂が流れ始めました。
老婆の血筋の家はその噂を「信じ」、代々その人形を大事に扱うようになりました。

 

怖いですね。更に脚色をしましょう。

ある日その人形を特に大事に扱っていた「幸子」という娘が事故に合ったとき、なんと人形が身代わりになってくれ、子供が助かった、という噂が立ちました。
結果、その人形は「守り神」となり、その家で大事にされました。

 

怖さの上で、さらに神々しさも付け加えられましたね。

さて、ここでとんでもないオチをつけてみます。

ところがある日、とある学者がこの昔話を調べたところ、その人形は「昭和初期に作られた人形であった」ということが判明しました。
昭和初期の人形である以上、江戸時代の老婆等のお話は全部虚構、ということになります。

 

以上となります。
さてこの物語は、

前半が「真実として語られた物語」。
後半が「事実」です。

事実、何でもない昭和初期の人形が、
真実のように語られる虚構の物語によって「恐怖」や「神々しさ」まで付与されました。

これが「物語のパワー」です。

これまで私が語ってきたのは

「『貨幣の信用』という真実の物語」です。

そしてこれから語るのは

「貨幣の事実」

となります。

私が、物語を蔑ろにするつもりはない、ということを改めて表明した上で、是非、今後の「貨幣の事実」について読んで貰いたいです。

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