商品貨幣論11 ―マルクスが見た格差社会―
さて、前回マルクスが現代の主流派経済学の根幹を受け継いでいる、と言われると驚いた人もかもしれません。
しかし、同時にマルクスはレッセフェールを受け継ぎつつも、それによって引き起こされる格差社会に対しては徹底的に批判的でした。
彼は、王侯貴族の身分による経済格差を是認する社会に否定的で、故にフランス革命に好意的ですが、革命以後、平等の名のもとに重農主義を唱えているにも関わらず、現実には「富の供給管理者=貨幣の蓄財家」という「新たな貴族」ともいうべき
資本家
という存在が貧困層を虐げている事実にも否定的だったのです。
マルクスはドイツで貧困層を救うべく政治闘争を繰り広げていましたが敗北し、イギリスに亡命しました。
当時のイギリスはフランソワ・ケネーの重農主義の知見を得た後、18世紀後半の「革命以後のフランスからの富の流出」と相まって、
産業革命
がすさまじく勃興していました。
マルクスが渡英したころは、その最盛期ヴィクトリア朝時代になります。
それは正に、
「現実経済と古典派経済学の結婚」の時代
であり、アダム・スミスからロバート・マルサス、デヴィッド・リカードを経て古典派経済学が最高潮を迎えていた時代と言えるでしょう。
しかし、
レッセフェールを無条件に設定した上で発展したイギリス経済
は、結果
「凄まじい経済格差」
「貧困層の量産」
を発生させていました。
数年前、ツイッターで有名になった画像があります。
冗談でも何でもありません。
この「ロープ」が当時の最下層の労働者の「ベッド」です。
彼らは深夜このロープに身を預けるために、昼間重労働に就いていました。
その重労働とは?それもまた凄まじいものです。
・マッドラーク
産業革命の公害と垂れ流しの汚水により有害物質で汚染されていたテムズ川の汚泥の中から物品を回収し、売る仕事です。もちろん、溺死する人たちもたくさんいました。
・売春
貧困層が多くなればその階級の女性が売春をしていたのは全世界共通と言えます。ロンドンのスラム街イーストエンドには大量の売春婦が住んでおり、当時の少女らは性感染症によって早死していきました。
(因みに「切り裂きジャック」による殺人の舞台がこの地区になります)
・児童労働
当時は児童労働を禁止する労働福祉法などありません。
というか、このヴィクトリア朝時代の反省から児童福祉を大切にする機運が生まれたのです。
当時の子供たちは大切な「労働力」として求められ、貧困層の女性は多産であることが求められました。
こちらは有名な画像ですね。
子供は体格が小さく、「狭いところでも入ってゆくことができる」という利点が労働需要としてありました。狭い通路の鉱山で働かせるには子供が最適だったわけです。
子供たちはチムチムチェリーで有名な煙突掃除人としても大活躍でした。
そして若くして良く死にました。
この当時のイギリスから分かることは以下の通りです。
東インド会社を設立し、世界一の「大英帝国」を築き上げた時代
イギリス貴族の贅沢で優雅で誇り高いノブレスオブリュージュのイメージを確立した時代
現代のウィンザー朝に続く王家の命脈そのもの
それら全てが
当時のイギリスの貧困層の犠牲の上に成り立っている
と言ってよいでしょう。
マルクスは、その貧困者の犠牲の中で確立された社会の中で生きていたわけです。
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