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読書について私が思うこと。

初めましての方もそうでない方もこんばんは。本を愛する大学1年生です。さて、この度は私、「本を読むだけならいざ知らず、それを活用して副業を試みるとは何たる大罪人か」と言われかねないのですが、好きなことを仕事にする時代がもう到来しているんですよね。(現在進行形で)なので堂々と仕事にしたいと思います。はい。

読書とは

皆さんは本がお好きでしょうか?嫌いでしょうか?私はもちろん大好きです。本が嫌いな方でも本が好きになるようなお話がここではできればいいかな、と思っています。皆さんの身の回りには沢山の「物」があふれています。これをPCで見ているのであればPCがありますし、スマホで見ていればスマホが目の前にありますよね。コーヒーを飲んでいればそこにはマグカップもありますし、コーヒーを淹れるために使った電子ポットやコーヒーメーカーなどがあります。それらはいったいどうやって作られたものでしょうか。まずは工場を想像しますかね。ロボットが組み立てている様子が浮かびますね。マグカップに関しては金型で作っているのが想像できます。もっと細かく見ていきましょう。PCが一番語りやすいのでPCを題材にさせていただきますね。PCは中にCPUが、ファンが、HDDやSSD、キーボード…(以下略)などでできていますよね。これらって500年前には絶対に存在しないですよね。日本ではバリバリ戦してるし、ヨーロッパでは戦争してます。今の時代だからこそPCは存在します。さらに言えばどんどん新しいものも研究されていますよね。量子コンピューターなんかも開発されてますね(完成したら怖いな…)

いったんここで区切って、さてこういった新しいものはどこから生み出されるのでしょうか?確かにひらめきや発想、考えてできたのは当然なのですが、その考えが出てくる為には何が必要でしょうか?ズバリそうですね前の時代の情報です。情報の上に情報が立つというと分かりにくいかもしれませんが、既存の情報がなければ、新しい情報は生み出されません。例え無限の計算力があっても、足し算、引き算ではその域を超えません。虚数や線形代数(ベクトル)などの情報があって初めて電気ができます(電気関係者には伝わると思う多分)また、薬などもそうです。人間が古来、野草の中から自分に試して大丈夫だったもの、傷の直りが早まったものなどを記録してその蓄積が、漢方だったり、今のモルヒネなどがあるわけですね(なぜにモルヒネ?!モルヒネはちゃんと金庫にしまっておきましょう)。とにかく言いたいことはですね。情報が新たな情報を無限に生み出すということなんです。

さてここまで話せば本がなぜ今の時代まで受け継がれてきたのかがわかります。本とは情報(叡智)の結晶だからです。ありがとうガウス、ありがとうJ・ヴェルヌ、ありがとう西野さん、ありがとうDaigoさん…(無限に続くのでカット。でももう一人だけ最後に、ありがとうリーマン)読書とは情報を引き出して自分のものにする、または活用するために行うのです。さて、読書がしたくなりましたか?うーん、「読書は時間がかかるから嫌い」ですか?確かに本は薄いものから、六法全書のように極厚なものまであります。文字ばかりで読みにくかったりもしますし、読んでいると疲れます。しかしご安心を、文字ばかりが嫌なら我々には漫画があるではないか!漫画も立派な本ですし情報の塊です。漫画家、小説家、作家の皆様。いつも本当にありがとうございます。これからも私たちのために情報を分け与えてください(ここでお礼)。また、本以外にもアニメ、映画も大きな情報の結晶です。こう言っていくとすべてが情報になっていきますが、本は人類のエッセンスでもあります。積み上げてきたものを蓄積し形にしたものが本なんですね。なので電子書籍ももちろんいいと思います。しかし私は紙のほうが好きなんですね。はい。

私にとって読書とは先人の情報を引き継ぐとともに、新しく解釈するための儀式なのです。(嘘です、楽しむためのものです)皆さんのおすすめの本は何でしょうか?よろしければ教えてください。お金があれば買って読みますので。また、私が読んだ本も今後、紹介と自己解釈も添えてお伝えしていきます。是非ぜひフォローやスキをしてください。またお会いしましょうでは長くなってしまいましたが今日はここまで。good bye

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