価値観とは、ファッション。
ここ最近、出張や夜勤等でバタバタしておまけに体調も崩したりで
noteを更新するモチベーションも起きませんでした。
そんなふうに腰を重くしているものの、
書けそうなときに記事は書きたいと思いネタ帳に書き溜めていた
タイトル「価値観とは、ファッション」ってのを書いてみる。
私は色んなビジネスに関する記事やインタビュー・討論動画を
よく見ていて「ほう、自分より若い人達はそんな考えをするのか」
「なるほど、社会的にはその考え方が一般的なんやな」と
色んな発見をすることが多いのですが、
そんなのをよく見ていると、ふとある疑念が浮かんでくる。
上記のはあくまで例え話ではあるけれど、
仕事をしていてもそう、色んな考え方に触れると、
およそ世間ではトレンドとされる考え方と
自分のそれに明白なギャップを感じることが多いんです。
まあそれは今に始まったことではなく、
割と昔から私は変わり者のようで、
考え方のプロセスをすっ飛ばして
いきなり本質的なことを言い当てる癖があって、
聞いている人も自分もいらない気を使ってしまうことが。
ただメタ認知という言葉に何年か前に触れて、
タイトルにある通り
「考え方はファッション」と思うようになりました。
その時の流行りの服やメイクがあるように、
今の当たり前の価値観は10年前にはなかったもの。
そして自分が10年前に着ていた服を今見て「ダサい」と思うように、
今の考え方はこの10年で変化した結果であると思うわけです。
そして、ファッションにTPOがあるように、
価値観や考え方にもTPOというのがあるように思っています。
例えば「残業することは美徳」という考え方も
組織と時代によっては正しくもあり、間違いでもあると思います。
このように前提によって正しいか否かが変わるわけです。
だから人の意見に触れるときは、
まず前提や背景を正しく認識したうえで
その意見が「自分の意見に似合うかどうか」を
いつからか考えるようになりました。
似合わなければ無理にきる必要もない。
しかし、その人には似合っている考え方やなと認識し承認し肯定する。
こう思えば、自分の意見もはっきり示すことができるのではと思うわけです。
ただだからといって独善的な価値観では
人とうまく関わっていけないから
”正装”としての考え方も知っておくようにしているし、
またセンスは磨くものと思うから、
色んな考え方を”鏡を見て試着”するように
「いやその格好はおかしいでと言う5年後の自分」をイメージして
その時に似合う考え方を探しています。
まとまりのない文章やけど、
色々最近自分にパラダイムシフトが起こってるから
一里塚がてら書いてみました。
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