畠山織恵 /一般社団法人 HI FIVE

脳性麻痺の長男(1999年生まれ)と長女(2009年生まれ)二児の母。「親も子も障がい…

畠山織恵 /一般社団法人 HI FIVE

脳性麻痺の長男(1999年生まれ)と長女(2009年生まれ)二児の母。「親も子も障がいに囚われない自分らしく生きる人生」を目指し、「なんでもオモシロがる!!」を胸に生きています。一般社団法人HIFIVE(ハイファイブ)代表。SDGs4.8の達成を長男と二人三脚で目指している。

最近の記事

兵庫県姫路市飾磨中部中学校3年生を送る会にて登壇させて頂きました。

昨年春『播磨の女性から日本を元気に!』 姫路・播磨の女性コミニティー「ハリウーマン」様に 講演会を主催いただいたご縁より、 「是非来年3月の卒業生へ向けて講演を!」と、 飾磨中部中学校堀校長先生の熱いご依頼から温めてきた 今回の卒業生、そして在校生に向けた講演を、 3月1日無事にお届けすることができました。 ・未来への希望 そして ・生きる力 私たちだからこそ伝えられる言葉でたっぷり1時間半 メッセージをお届けさせて頂きました。 この時期にどんな大人に出会うのか、

    • 船井幸雄記念館様主催講演会で登壇させて頂きました。

      3月24日 静岡県熱海市の船井幸雄記念館様主催講演会 「未来を変えるクセづけ」におきまして登壇の機会を頂き、 船井幸雄記念館さまとご縁のある大勢の皆様へ講演をお届けさせて頂きました。 「未来を変えるクセづけ」という講演タイトルは、 船井幸雄さんの著書「未来を変えるクセづけ」から館長佐野 浩一さんがつけられたタイトルです。 未来を変えるクセとは何か。 頂いたタイトルを機に、自分自身、自分の未来を変えるために行ってきたことは何か、改めて振り返る機会を頂きました。 亮夏に出

      • 第一回筋電測定装置「ニューロノード」関西初体験会終了!!

        大阪天満橋「ル・クロ・ド・マリアージュ」の会場にて 関西初!筋電測定装置「ニューロノード」の体験会が行われ、 7組のご家族や支援従事者の皆様が体験にご参加されました。 「きっとどうせ使いないよ。なんて言いながらきましたが、 想像以上でした!」 そんな声が1組や2組じゃない、大反響の体験会となりました✨✨ 何でもいい、 この子の意思を視覚化できるものはないのか。 病気や障害でうまく言葉が使えない、意思の表出が難しい。 今までどんな機器もダメだった、亮さんがまさにそれで

        • 「生きる力」を守口市へ!市内全22小中学校へピンヒール本寄贈が決定!!

          先日、守口市教育委員会教育長 田中実さん、 守口市教育委員会教育監 水川さんとご面会させて頂きました。 著書「ピンヒールで車椅子を押す」(すばる舎)の 守口市内すべての小中学校、図書館(全21校一施設)への 寄贈が決まりました。 講演、キャリア教育等弊社の活動を通じて 少しでも守口市にお住まいのお母さん、 そして子どもたちの素晴らしい未来へお役に立つことができれば幸いです。 お繋ぎをいただきました大阪維新の会守口市議会議員 山口 たくやさん。 素晴らしいご縁をありがと

        兵庫県姫路市飾磨中部中学校3年生を送る会にて登壇させて頂きました。

          ラジオ大阪「平田進也の耳からトラベル」に出演させて頂きました✨

          先日、株式会社アドバンス社長磯田雅人さんにお声がけを頂き、ラジオ大阪に出演させて頂きました 番組は「平田進也の耳からトラベル」です。 平田進也さんといえば、大阪では超有名な添乗員さんなので、テレビでご覧になられた方も多いのではと思います。※ テレビで拝見していた平田さんは 「とにかく明るくて、楽しくて、歯切れの良いトークが魅力な面白い添乗員さん」という印象でしたが、 実際にお会いさせて頂いた平田さんは、 誠実で、温かくて優しい、とっても素敵な紳士でした✨ 著書「ピン

          ラジオ大阪「平田進也の耳からトラベル」に出演させて頂きました✨

          アタリマエ

          脳性麻痺と共に生きる 「動けない、話せないけど、大学講師」である22歳の息子は 「でも伝えることができる大学講師」になるために、2月3日手術を受けた。 障害当事者である彼自身が 自分らしく生きるためのチャレンジをしていく過程を発信することで、 誰もが自分らしく生きれる可能性を 当たり前に持つことができる社会を実現したい 彼は今、自身を生きる教科書として、 日々の生き様をYouTubeを介して発信している。 この4月より彼は 大阪のとある看護専門学校学生との 1チーム3

          「二十歳になったら家出て行って」と小学四年の脳性麻痺と生きる息子に伝えた理由。

          未来がどうなるかなんて、 私にはわからないけれど 全ては不可能でも、 未来って作れるんじゃないかって 私は思っている。 「二十歳になったら家を出て行って」 彼が小学四年生の時にこの約束をしたのは、 何も彼と生きるのが嫌だからじゃなくて、 でも、 一緒に生きることだけが 選択肢じゃないって 彼にも、 自分自身にも言いたかったんだと思う。 「一緒に生きる」こと ももちろんできるけど、 「一緒に生きない」という 選択だってできるはず。 選択肢はこれしかない。 とな

          「二十歳になったら家出て行って」と小学四年の脳性麻痺と生きる息子に伝えた理由。

          夫から多様性を学ぶ

          我が家は俗にゆう、 キラキラ夫婦ではない。 全力で妻を愛し守る夫。 全力で夫を愛し支える妻。 そんなキラキラ夫婦であれたら、 なんて素敵なんだろうと憧れる。 がしかし、 我が家はキラキラ夫婦ではない。 夫とは夫婦という形になって22年6ヶ月が経つが、 未だに未知の領域。神秘の世界だ。 笑っていたと思ったら、急に怒る。 怒っていたと思ったら、急に笑う。 本人としては決して「急ではない」らしいのだが、 私や子どもたちにとっては間違えなく「急」で 娘はそれを「理不尽」

          脳性麻痺と共に生きる息子へ

          自分のために生きなさい 誰のためにでもない 社会のためでもない あなた自身のために生きなさい あなたを生きるその姿が 誰かの勇気になるのです。 あなたが思うあなたの人生を生きなさい その背中が 誰かの希望になるのです。 世界でたった1人のあなた あなたの人生を、あなたの手で、あなたの足で 思い切り生きたらいいんやで。

          脳性麻痺と共に生きる息子へ

          今は亡き父の言葉で、今日を生きる。

          夕方。 わたしは一人勉強机に向かい、好きな本を読んでいた。 外で飼い犬ベックの鳴き声がする。 間をおかずバイクのエンジン音が聞こえてきた。途端にわたしの呼吸は浅く、鼓動は1.5倍早くなる。 父が、帰ってきた。 父は典型的な昭和の父だ。 たたき上げの消防士。 好きな言葉は「根性」と「正念」 ちゃぶ台をひっくり返す、アレ。 ちゃぶ台はなかったけど。 父の言うことは絶対だ。父の言うことは全てが正解。それが我が家。 幼い頃から父との会話は、途中で何を話したかった

          今は亡き父の言葉で、今日を生きる。

          良いところも、悪いところも。

          なぁつーちゃん。 ママの好きなところ三つ教えてや。 え、三つ? うん、三つ。 えっとなー、、 一つは優しいところ。 二つ目は面白いところ。 三つ目はなぁ、 会社立ち上げて、色んな人と会って、頑張ってて、なんかかっこいいところかな。 へぇ。そっか。ありがとうなー。 うん、いいで。 そしたら次はな、 ママの嫌いなところ三つ教えてくれへん。 え! 、、、ほんまのこと言っていいの? うん、ええよww ほんまにほんまのことやで? ゆっていいの?! う、うん。ええよw

          良いところも、悪いところも。

          仕事を再開したら『学びたいコト』が明確になった件。

          「動けないけど社長」「話せないけど大学講師」というアイドルもひっくり返るキャッチコピーを惜し気もなく言い放っている、重度脳性麻痺でもある息子の、待ちに待った大学での講師の仕事が先週ついに再開した。 学生さんは介護福祉士を目指す日本、海外の方合わせて40名。 今までと一つ違うのは感染予防対策として、学生の皆さんと彼は一枚のビニールシートで仕切られた空間だということだ。 だが彼は「オンラインよりも100倍いい」と言う。 そんな新しい環境の中での2限目の授業で、 ある海外か

          仕事を再開したら『学びたいコト』が明確になった件。

          ファーストGUCCI から新しい価値観を手渡せるのかどうかの件。

          誕生日を数日後に控えた彼に 何か欲しいものはないかとたずねたら、 「ネクタイ」 と、熱っぽく答えた。 6月に入って社会活動は徐々に再起動し出してきている。 彼の仕事もまた社会のそれと同じ流れの中にいた。 仕事がしたくて「うずうず」していた彼の気合いが その一言からもこれでもか!というほど感じる。 ネクタイか。。 まず最初に頭に浮かんだのは、彼の私服でも多い「gu」や「Tommy」や「DIESEL」 でも。。 んんんーーーーー。。。 なんだかピンとこないなぁ。

          ファーストGUCCI から新しい価値観を手渡せるのかどうかの件。

          あの夜、ずっと真新しいままのNew Balanceのスニーカーを見て思ったこと

          彼が歩けますように 丁寧に文字を書いた。 息子が2歳の誕生日を迎える頃、とある神社で手渡された絵馬。 「願い事を一つ書くとなんでも叶う」と言葉を添えられたそれに何を書くか、一晩悩んだ。 絵馬はひんやりとしていた。 子どもへの愛情なんて、いつどこで習うのだろう。 親になったらわかるものなのか、親になる前から知ってるものなのか、どんな形が正解なのか、どんな感情が当たり前なのか。 比較的若くして母親となったせいかもしれない。 恋愛以外の愛の形は、なんとなくあやふやで、確信

          あの夜、ずっと真新しいままのNew Balanceのスニーカーを見て思ったこと

          それで君は何ができるの。

          仕事の帰りが遅くなって、急いで車を走らせていると突然夜空が明るいところに出た。 伊丹空港だ。 あれは3年前、息子が17歳の頃だった。 私はある夏の日を思い出した。 ……… 彼は二泊三日 沖縄修学旅行へ旅立った。 「友達が欲しい」という理由だけで 支援学校から一般高校へ進学を決めた彼にとって 願ったり叶ったりの修学旅行。 だと思っていた。 しかし出発当日の朝、この親子の表情のギャップたるもの、半端ない。 そう、彼は 行きたくないのだ。 修学旅行が迫った4日当た

          それで君は何ができるの。

          『1人の疑問は100人の疑問』らしいので、いただいた質問への私の答えを公開していきます

          障がい児の親として生きない。 私は私。 そう思ってきました。 でも、今20年彼と生きて、共に働いて、 少し考えが変わってきました。 『障がい児の親』 これも私の一部分。 何も無駄に距離を置く事はないなって。   昔は 「お母さん」って言われるのが嫌でした。 私は「お母さん」じゃない! 私は私だよ!! でも、近頃は まぁいいじゃん。 お母さんだし。 「お母さん」でも私。 私は何も変わらない。 彼の「お母さん」として生きてきた事で 社会のお役に立てることが沢山

          『1人の疑問は100人の疑問』らしいので、いただいた質問への私の答えを公開していきます