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この場所から、いつだって思い出せる

 8月の終わりに、2人の訃報が届いた。ここで宿を始めるにあたって、そしてここで宿を始めてから、大変お世話になった人生の先輩たち。死は誰にでも訪れるものだし、年齢だったり病気だったりでそこまで長くはないんだろうな、と知らされていたにもかかわらず、もうお会いすることがないんだと思うと、ぼーっとしてしまう。

近所のおばあちゃん

 おばあちゃんは開業前からとても気にかけてくれた。電気もガスもまだ通っていないこの建物でひとり壁を塗ったり作業をしていたら、「食べきれないから食べて」ってスーパーのお寿司を持ってきてくれたことがある。あきらかにほとんど手をつけていない。たぶん、ちょっと多めに買ってきてくれたんだろうな、と思いながらありがたくいただいた。
 開業してからも「お客さん、これ食べる?」と長野の郷土食として有名な "イナゴの佃煮" をお皿に入れてもってきてくれた。ふとおばあちゃんの顔をみると、口角からイナゴの足が出ていた(笑)。缶詰やお菓子をよく差し入れてくれて、その度、宿の玄関先でよくおしゃべりした。
 おばあちゃんの家の換気扇からはいつも魚の焼ける香りがしていた。でも、その香りもいつしかしなくなって、たぶん少し記憶があやふやになってきた頃だったのか、宿の外に置いているベンチに腰掛けて休んでいることも多かった。
 3.40代にとっての10年はそれほど身体的な変化はないけれど、8.90代のお年を召した方にとっては変化の多かった頃だったんだろう。見ず知らずの県外のよそものが近所で宿をやることに反対もせず、見守ってくれたおばあちゃんが天国でのびのびと生活していますように。

親戚のおじちゃんのようなお客さん

 その方が一番初めに泊まりに来てくれたのは2017年の大晦日だった。それから3ヶ月〜6ヶ月おきの高頻度で泊まりに来てくださり、2020年からは月1回のペースで来てくださることが多くなって。我々も、それがある種リズムになっていて、"親戚のおじちゃん" くらい親しみのある、健康で、優しい方だった。あんなに山が好きで、海が好きで、旅が好きで、健康そのもの、みたいな方だったのに、もうお会いできないというのは当分思考が追いつかなさそう。
 入院されてからのメールでは「幽体離脱できるように練習するわ」みたいなことをおっしゃっていたので、私は誰もいない(はずの)ラウンジで、その方がいつも座ってられた席に目をやる。私の目に見えていないだけで、もしそこに座っているんだったら、何かサインを出してほしいな、なんて思いながら。

自分

 玄関先でおしゃべりしているおばあちゃん、足元に青いクーラーボックスを置き、つばの短い帽子をかぶってラウンジのいちばん入り口寄りの席に座っているお客さん。もうお会いできないんだろうけれど、宿のラウンジにいると、記憶はすぐに蘇る。
 自分もいつか死ぬ。死んだあと、できればいろんな人に思い出してもらいたいな、と考える。あーだこーだ、文句も言われるかもしれないけれど、自分が生きていたという事実が少しでもこの世に残っていたら嬉しいな、なんて。

 

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