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わたしの森

どうやら私にグループレッスンは合わないみたいです。いっせいのせいで一緒に弾くのも、ひとりずつ順番に弾くのも、どっと疲れます。「個人でやってる先生を探してみようか。」母の提案に私は少し経ってから、うん、うん、と頷きました。

毎週水曜日に、私は母とピアノ教室へ通っています。レッスンの順番を待つロビーで、母の縫ってくれた鍵盤柄のバッグを撫でながら私はドーナツの事だけを考えます。

レッスンが終わるといつも、母と二人でミスドに寄りドーナツを食べて帰ります。ピアノ教室はショッピングモールの最上階、ミスドはモール前の横断歩道を渡った目の前です。

店内に入ると右側にドーナツが並び、その先は奥までカウンター席。左側はテーブル席が奥まで続く細長いお店です。私たちは一番奥のテーブル席に座ります。「ここ、トイレの隣だよ?いいの?」他の空いている席を指さし、母は不思議そうに言いますが、私はここが好きなんです。「ここがいい。」

奥の壁には、大きな絵が飾ってあります。森の中のような絵です。額縁の下のプレートには<ねむの木学園>と書かれてあります。私はこの絵が大好きでした。この絵を眺めながらドーナツを食べるんです。だからこの席なんです。

「いただきます。」行ってきます。持ち物はエンゼルフレンチとオレンジジュース。鍵盤柄のバッグはこっちの世界に置いて行きます。ここは、教室の子たちには絶対に教えない、わたしだけの森です。ドーナツを食べながら、わたしの森を散策するのが、水曜日の楽しみです。

「個人でやってる先生を探してみようか。」秋の虫を探していた私のつむじの辺りに、母の声がパラパラと落ちてきました。えっ?私の声に驚いた鈴虫は掌からこぼれて消えました。少しの間、私は黙ってドーナツを食べました。虫捕りが終わったら食べるつもりで残しておいたクリームのところを食べました。私は二回頷きました。


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