見出し画像

豆と私の出会い

 私は上士幌町の居辺(おりべ)地区でたくさんの品種の豆を少しずつ栽培しています。スーパーマーケットに並ぶようなメジャーな豆から、ほとんど作られなくなった希少な豆まで、およそ20種類。

 始まりは、「紅絞り(べにしぼり)」という豆です。
私は2009年に大阪から上士幌の農家に嫁ぎました。夫の実家は豆を栽培して農協に出荷しており、さらに農家出身の義母が趣味で珍しい豆を自家用に作っていました。その義母が私に「豆は簡単だから、何かまいてみれば?」と言ってくれたのが2010年5月。その時私は、少し前にどこかの道の駅で買った、白地に赤い水玉模様の可愛い豆のことを思い出しました。この豆の名前が「紅絞り」です。

6月、その豆をまいてみました。10月、たくさん収穫できました。「私でもできた!」その時の素直な感想です。そして、収穫した豆を見て驚きました。白地に赤い水玉模様。「まいた豆がそのまま実になってる!」
豆の種子は豆そのものということに、そのとき気づきました。今考えれば当たり前のことですが、当時の私は豆について何も知らなかったのです。

初めて自分で作ったその豆を眺めながら、思いました。
「こんなに可愛い見た目なのに、なんでスーパーに並んでないの?」
調べてみると、豆には「主要品種」と「地域在来品種」があるということでした。
すごくざっくり言うと、「主要品種」は、スーパーマーケットに並んでいる豆。
「地域在来品種」は、大きなお店では扱っていないけれど、農家が自家用にずっと作り続けてきた豆。そんな豆がたくさんあることを知りました。

 豆は、色や模様がそれぞれ個性的です。私は各地の道の駅に行くたびに豆を探すようになりました。そして畑に植えて、自分だけで楽しみます。そんなことを繰り返しているうちに、「主要品種」と「地域在来品種」を合わせると20種類以上の豆を栽培するようになっていました。

 違う土地で収穫された豆を、上士幌に蒔く。芽は出すけれど実がなる前に冬が来て、収穫できないものもありました。豆はもともと寒さに弱い植物です。さらに「地域在来品種」は「主要品種」に比べると病気や虫に弱いものが多いです。本州産の豆や北海道の暖かい地域の豆は、上士幌では育たないことが多くありました。

 人は「この豆はここで作れるかな」と豆を蒔きます。
豆は一年に一度しか収穫できません。いつ、何を蒔くか。
すべてが手探りの開拓時代、それは文字通り「命を懸けた」挑戦でした。
何が正解かわからない。けれど、失敗すれば家族が飢える。
先人たちは故郷の豆を持って北海道に入植し、祈るような気持ちで豆を蒔いたはずです。

 蒔かれた豆は、その土地で実をならそうとします。生きようとします。
秋に実をつけた豆はその土地の気候風土に順応し、そこで生きると決めた豆です。
そんな豆の姿を見て、先人たちは励まされたのではないでしょうか。
豆も人も、十勝の風土にあわせて変わり続けることで、生まれたところではない、今いる土地に根付いていったのでしょう。
 
 豆には「ここで生きる」という思いが込められている。豆は意思を持たないかもしれないけれど、いま北海道で栽培されている豆は、人と豆の「生きる力」が込められている。

そんなことを考えていたら、私が豆を作る理由がわかったような気がしました。
豆を食べた人に、元気になってほしいです。

オリベの豆やは、人を元気にする豆を作りたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?