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身の程なんて一生知るな。

「場違いなんて、そんな言葉を発した時点で負けてるからな」

中学の時、テニス部の顧問の先生から言われた言葉だ。確か、練習時間外に残れる人で、ペアを組んで試合をしたのだが、練習時間外に残るなんて物好きしかおらず、小学校の時からテニスをやってたような人しかのこってなかったのだ。私もテニスは大好きだったのだが、普通に中学の時からテニスをしていただけだったので、昔からバリバリにやってる人たちと比べたら実力が全然違うのは誰の目から見ても明らかだった。もちろん私は完膚なきまでやり込められたのは言うまでもない。

「いや私なんて、場違いですから・・・」

ボロボロに負けて惨めな気持ちになった私が、思わずぽろっと出した言葉。惨めすぎて、そんな気持ちを隠すために、何か言葉を発さないといたたまれなくて、この場にとどまることができなかった。そんな私に顧問の先生がかけた言葉が冒頭の言葉である。

「そんな心構えじゃ勝てるものも勝てないよ」

そういわれた瞬間、惨めだった気持ちを隠そうと発した言葉を恥じた。

誰の目からみても、勝負の決着は明らかだったのかもしれない。

それでも、自分だけは勝利を信じて戦うべきだった。そうじゃなければ、この時間になんの意味があったというのだ。せっかく練習外の時間で貴重なメンバーと試合形式できたというのに。

◆   ◇   ◆  ◇

「身の程なんて一生知るな」

このフレーズはナイキの広告のキャッチコピーである。「自分の限界を超えろ」という主旨の約150字程のメッセージの最後をこのフレーズで締めている。

大人になればなるほど、「身の程を知る」ことが大切になっていく。

確かにある場面では身の程は知ること、現状自分は何ができるのか知ることは大事なことだと思う。社会にでると引き受けた仕事はきちんと遂行しなければいけない。できそうにないなと分かれば、他者に協力を仰いだり、期日を調整しなければいけない。「身の程」を知らなければ、信用を失ってしまう。生きていくために「身の程」を知っていく。

ただ、自分で責任を負える範囲内であれば、身の程を知る必要なんてないと思う。

私にも挑戦したいことが、ちょっとずつ増えてきた。

それでも「挑戦しようかな」と思う度、「あなたにはできないよ」ともう一つの思考が答える。

そうか、やっぱり場違いか・・そう思う度、昔恩師からかけられた言葉を思い出す。

最初からその場所にふさわしかった人なんて、いないんだ。積み重ねて積み重ねて、たまにバランスを崩しても、それでも落ち着いて立て直して。

何度もその場所が自分にとってふさわしくなるように繰り返していくだけなんだと思う。

別に恥をかいたっていいじゃないか、赤面してその場から立ち去ることになったとしても、たった何か一つ、お土産を持って帰ればいいだけだ。

さぁ、行こう、身の程知らずでも、場違いでも。何もかも、そこから始まるのだ。

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