俺tueeeeキャラの強さに対して、哲学的に反論してみる-このような超能力はなぜあり得ないのか
タイトルの画像、まあそれ以外の項目についても色々言えるだろうが、
それ、即ち二つ目の「殺意感知」に対して、少し思うところがあったので分析させていただく。
それ以外についてもこのnoteが好評だったら分析するかも。
・「殺意を感知できる」とはどのような状態か?
例えば、急に何の話だと思うかもしれないが何の超能力も持っていない俺が「殺意を感知できる」と思い込んでいるとしよう。
もちろん勘のいい読者諸君、もしくは筋のいい俺のファン達であれば、この賢明な私が何の根拠もなく「殺意を感知できる」と独断することはあり得ないとすぐ分かると思う。だから思い込むような場合例えば相当な尤もらしさが必要だ……
自分が殺意を感知できているとして尤もらしい状況なんて本当にあるか?と思うかもしれない。だが例えばこんな状況の場合、さすがの俺でもそのような独断をしてしまうことが考えられるし、納得もしてもらえると思う。
・「あの表情」を自分に向ける人間は、これまで一切の例外なく自分を殺そうとしてきた。
このような状況だ。
これが俺=サウルの話だと思うと分かりにくいかもだが、"自分がこうなっていたら"と考えてもらうのがわかりやすいかもしれない。要するに、貴方が人生において急に殺害を試みてくる相手に多数恵まれていたとする。その度に、貴方は殺害を試みてくる直前の相手の表情に不思議な共通点のようなものを感じ始める。そして何度かの「あの表情」の人間からの殺害から逃れたあなたが、街を歩いていると「あの表情」の人間を見かけたとする。
この時、貴方は「殺意を表情によって感知できている」と思うことだろう。
だが考えてもみてほしい。これはあくまでただの帰納法であるし、確かにかなり相関はあるかもしれないが、逸脱事例が現れる可能性は充分にある。そしてこいつのこの能力も、ご多聞に漏れずそうであろう。
いや、そうでないという向きもありえる。
例えばこいつ=(タイトルの俺tueeee主人公、以下こいつと表記)の感知しているものが人間が自己に対して殺意を抱いた時に発せられる未知の化学物質Xのようなものだとしよう。
これまでの流れで行くなら、例えば(前の例で言うところの「あの表情」がなくとも他人が自己に対して殺意を向けることはありうるように)
その物質Xが分泌されないような殺意もあるかも知れず、さらに言えば、その物質Xと殺意との間には蓋然性しかなく、その人に殺意があるわけではないのに別の理由でその物質Xが他人から分泌された場合、こいつは他人からの殺意を勝手に誤認して勘違いの先回り殺害を為す傍迷惑な野郎になることだろう。
要するに、これらは総合して「殺意と蓋然性で繋がる何か=(今回で言う表情や未知の化学物質Xなどの)を検知していた場合に起こる不具合」
と抽象できる。
そしてこれまでの流れではない方向として、殺意と必然性で繋がっている何かを検知している可能性はあるのでは、と言う話がある。
それに対してはまず、こいつが「なぜこのような仕方で殺意を検知できる(ように見える)のか」という基礎づけの理論に対して全く考えがない、もしくは単に経験則によって自分の殺意検知の正しさを確信しているにすぎない場合、こいつが必然性で繋がっている何かを検知している可能性はあれど、それは本当に、端的に、単に「可能性がある」というレベルの、その判断がどのぐらい妥当かなどの話はできないレベルのものになるだろう。(上の不具合が起きているかもしれないことに反論できるような理論を持ち合わせていないということだから)だから実際蓋然性と繋がる何かを検知しているにすぎない場合いくらでも裏をかきうる(未知の物質Xが分泌されないような薬を開発するなど、あり得る方法はいくらでもある)
そういう意味で無論最強みたいなポジションとは程遠いと言えないだろうか。
これは別の話だが、こいつは殺意なんてものをまったく検知できておらず、(これが上の例と違う所は、蓋然性と繋がってすらない場合という所)なんか怪しいと思った奴を手当たり次第に能力で殺しているだけという説さえあり得る。「実際に殺意があったんですか?」と死人に聞いたところで意味がない。(これは上の例にも言える)こいつの主張にはその点反証可能性がなく、相当主張として怪しい。
これは生存者バイアスのいい説明だろう。
そしてもう一つ、こいつが自分に向かう殺意と必然性で繋がるような何かを実際に検知しており、実際にそうなる理由や理論についても理解しており、隙がない存在かもしれないという線もある。
これは確かに必然性と再現性が合わさり最強に見える。しかしやはりこういった向きの反論がありうる。
・そのような理論(検知)は果たして可能か?
と言ったものだ。
この理論が成立する為には、相当色んな意味で怪しい前提が必要となる。それは何か?
「他人の自分に対する殺意と必然性で繋がるような何かX」がそもそもこの世に存在しなければいけない。という前提だ。(何故なら、それを検知できるか?という話なのだから。そもそもそれが無いなら検知しようがない。)そんなものは果たして存在するのだろうか?
例えば「こいつを殺したい」という感覚を抱いた人間が二名いるとして、その二名に何か共通項があるなどと何故言えるだろうか?
勿論「こいつの殺害に至るような何か感覚である」という原理的なレベルでの共通項はあると言えるが、それに対しては二つの反論がある。
まず簡単に、こういう場面で程度概念を指示することは基本的に説明にはならないと考える。程度概念とは個人言語であり、それについては過去のブログのギルガメッシュの声をうんたらかんたらみたいな奴を読んでほしい。まあ一応説明すると、「当該主張を満たすような何か」に命名をしているだけで、その何かが実際にどう存在するかみたいな話を一切していない(かつ、それで良いように=(その命名をするだけで実際に存在するかのように)一見見えてしまうことが多い)のだ。
もう一つは、殺害がそもそも殺意と蓋然性で結びつくものなのだからこの想定はどこかおかしいという話である。
故に「殺害に至るような何か感覚」というレベルでの共通項があるという主張はこれで退けたと考えて、具体的に何か一致しうるかと考えてみると、これはまあ、厳しいだろう。
任意の(繰り返しておくがこれは形式的な意味で「任意の」)二人を用意して、そいつらがこいつに殺意を抱いたときに必ず何か共通項がないといけないし、それが殺意と必然性で繋がる何かが存在するという意味だから。そして今まで述べたのはあくまで大前提であり、かつそれらが存在することを証明し、それらを一切取りこぼさず検知しなければならないのである。そんなことが如何にありえるのか?これに対して何らかの解答をこいつが持ち合わせていない場合、繰り返すがこいつは殺意のある人を取りこぼしまくって殺意のない人をぶっ殺しまくってる可能性全然ありますよねと言われて、反論する術がない。ヤバいだろ。
総括
これで哲学的反論は終わり。余裕があったら次からは「何故このような超能力はあり得ないのか」の方を説明しようと思ったが、多忙さモチベやエロ小説を書いていることなどもあり多分放棄する。ただ何も言わないのもあれだと思うので、分かる人は全てがわかるが雑な説明だけ置いてこの記事は終わりにしようと思う。
「それが単に困難なだけならばどれだけ困難だろうとそれは起こりうる。だが、それの意味がうまく確定していない場合それは起こりようがない。それが起こるという状況があり得ないからだ。
神は今すぐ重力を逆さにできるだろうが、
"=3[2…なな湾"することは神にすらできない。
それが起こるという事の意味が確定しない故。」
どんな超能力だろうと意味が確定しているなら原理的には起こりうるだろう。今後人類が発展して無限に成長していけば超能力は十分ありうる。しかし、その超能力の意味を厳密にしていくと、色々問題が出てきて、意味がうまく確定しないような超能力は、いかなる技術の発展を以てしてもあり得ないのだ。
#この経験に学んではいけないことも学べ
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