構成要件なき刑法……!?-初学者でも多分分かる!刑法の先端理論-
0.前置き
今回は二元的犯罪論序説という書籍の書評をさせていただこうと思う。一応予備知識無しで誰でも読める記事にはするつもりだ。この記事は確かに刑法の先進的で先端的な理論を扱うが、刑法の基本概念を解説する記事も兼ねている。これら二つは矛盾するようでしないから安心して欲しい。ちなみに書評とは言っても、実を言うと私自身この本を半分も読めていないと感じる。だからその程度の奴が書くその程度の記事だと思って初学者でも気軽に読んでほしい。
この本は単純に難しい。俺が即挫折し受験ノイローゼ気味になった京大の名誉教授(鈴木茂嗣氏)が書いただけある。なので詳細な理解を目指すとその為にかける時間のせいで予備試験に落ちそうなので受かった後に頑張ってみようと思う。実際予備校の人に聞いた話なのだが、刑法のような理論構成の仕方が好きな人が一定数おり、試験範囲を超えた学問的な刑法の理論対立という沼にハマり、合格が遠ざかると言うケースはたまに見かけるらしい。
言わずもがな、筆者もこのような学問的も学問的で試験対策をまるで目的としていない本まで買ってしまっているのだからその素質はあるのだろう。確かに俺は割り切るということが苦手である。現代文の記述問題では指定の文字数より多く書いてしまうタイプだった。
なので綿密な理解をした上で本当はディテールまで詳しく理解して解説したいのだが、冗談抜きで戻って来れなくなりそうなのでやめておく。
そして、まだ半分も読めていないと感じるとはいえ、この本の主要となるテーマに関しては恐らく理解したと感じている。目次から読み取れる内容からも、このテーマが主軸で、あとは様々な細かい議論があるだけなのだろうなと言うことが何となく読み取れた。いや、何となく理解できたなとというとは単なる自惚れで、勘違いかもしれない。半分も読めていないのだからその批判は十分相当だと思う。故にその辺の議論を終わらせる言葉を投下しておこう。
私は今から提示する主張が、「現に本当にこの本の言いたいこと」なのかには関心を持たないこととする。誤解を招きうると思ったためここは強調しておくと、これは著者へのリスペクトがないという意味では断じてなく、著者である鈴木茂嗣氏の鋭利かつ斬新な問題意識には、畏敬とでもいうべき念を抱いている。しかし、それとは関係なく、取り敢えずこの記事ではこの主張のまとめ方は「筆者の意図と本当に合致しているのか」はあまり気にしないことにする。そのような事柄とは独立に、この本から得られた今から当該記事で主張する事柄には「内容的な価値」があると感じる。ついでではあるが、
この「現に本当にこの本の言いたいこと」と「内容的な価値」が独立であること(なぜ対立する概念であるのか)については、前書いた記事であるこれを読んでいただければ幸いだ。前者(現に/事実)は占有権的、判例的であり、後者(内容/意味)は所有権的、学説的である。
それでは本題に移ろう。
1.本題
主張はこのようなものだ。
初学者がこれを読んでも分からないだろうが挫折しないでほしい。順に解説していく。
刑法は「何を犯罪とするべきか」を問い、
刑事訴訟法は「犯罪をどう認定するか」を問うべきであり、この二つは明確に分けられるべきだ。そして、刑法の"構成要件論"は犯罪の認定論であり、本来刑事訴訟法に分類されるべき分野である。その刑事訴訟法的な"構成要件論"が刑法と癒着していることによって概念が混乱しており、さまざまな悪影響が出ている。
2.解説
2.1基本概念解説
これを読むにあたってそもそも構成要件論ってなんだ!となる方や、そもそも刑法と刑事訴訟法って何が違うんだ!となった初学者の方、落ち着いてほしい。今から簡単に解説する。
逆に言うとこの項は知っとるわ!って人は飛ばしていただいて構わない。
・そもそも犯罪って何?
犯罪とは、「構成要件に該当する、違法性があり、有責な行為」と"されている"。
基本的にはこの定義に対して反論する者は全くおらず、学者の間でも基本的に総意として扱われている、ほぼほぼこの定義で考えておけば間違いないとされている定義なのだが、我々の立場はここに対して反論をする。
だが反論する為にはまずそもそも何に反論しているのかを理解してもらわなくてはならないので、順に解説していく。だが有責性※については今回の記事に直接関係しないので気になる人以外は解説を飛ばす。
(※気になる人だけ読んでくれ
「有責」については有責とは犯罪を行なった犯人に避難可能性があるか否かという視点で検討されて、大まかなイメージとしては後述する「違法性」が客観面の犯罪不成立要件として捉えられるのに対し、「有責性」は主観的な犯罪不成立要件と言える。)
・構成要件とは?
犯罪が成立する条件の一つである。
仔細に語ると無限に長くなってしまうので省くが、殺人罪なら「殺人行為があり、死亡結果もあり、行為と結果の間の因果関係もあり、またそれらに対する故意もある」と言ったような形で規定されている。構成要件論とは簡単に言えば何をした場合に当該犯罪が成立すると認定するのか、という方法論の一つである。
そのような方法論は無数に考えられるが、その中で現在採用されている考え方が構成要件論と名付けられているわけだ。この構成要件論の詳細には繰り返すがこの記事では立ち入らない。が、この記事を理解していただく上で二点だけ押さえてもらいたいポイントがある。
1.構成要件論によって、犯罪の成立する条件が、予め明確に示される
「罪刑法定主義」という刑法の基本原理(何が犯罪で何が犯罪でないかはあらかじめ明確に定められてないとダメだよー!同じ意味だけど、明文規定がない犯罪を裁判官の裁量で成立させちゃダメだよー!)
が存在するのだが、これと構成要件論がマッチすることがわかると思う。これさえわかればOK。
2.構成要件に該当する場合、違法性は推定される
違法性というのはまあ、語弊があるが簡単に「悪いこと」ぐらいの認識で構わない。少々めんどくさいのが「推定」の意味であり、これは解説する必要がある。法律学における「推定」とは、「反証さえなければそうであるということにする」ということである。
要するに、構成要件に該当すれば、それだけで違法性(=悪いこと)の存在は推定され、反証がなければ、そのまま違法性が存在することになる。
これは要するに、「構成要件に該当してさえいれば、犯罪を成立させる上で、違法性の存在について証明する必要はなく、"構成要件に該当するが違法性が存在しない特別な場合"と考えられる場合のみ違法性がないことを論ずれば良い」という帰結を導く。
要するに、この考え方だと違法性は消極的(どのような場合には"例外的に無い"のか)にしか捉えられず、積極的(どのような場合に違法性があると言えるのか)な意味を持たない。繰り返すが、ここは重要であるからしっかりと理解してほしい。
この"構成要件に該当するが違法性が存在しない特別な場合"と考えられる場合のことを
「違法性阻却事由」と言う。
この言葉に例えば正当防衛などの「構成要件には該当するが、悪くない場合」などが類型化されているわけだ。そして構成要件に該当するが、違法性阻却事由に該当する場合犯罪は成立しない。と言うわけだ。故に違法性阻却事由は構成要件を元に、その裏面的なものとして規定される。
(学問的には構成要件と違法性阻却事由は全く異なるものであり、違う位置付けがされるので、構成要件とは?という見出しでするべき説明ではないと思う人もいるかもしれないが、今回の記事においてはこのように体系立てておくことが後にする主張をわかりやすくもすると思う、このようなモチベーションによって同じ見出しに含めさせていただいた。)
犯罪を成立させる上では、構成要件に該当するかをチェックし、次に違法性阻却事由がないかをチェックし、次に有責(今回の記事には関係ないし、しかもこれに関しては違法性阻却事由のように構成要件と関係するわけでもないが一応基礎知識として書いておく)かどうかをチェックして、それら全てを満たす場合犯罪が成立するわけだ。
・刑法と刑訴法はどう違うのか
刑法と刑訴法のような関係を持つ法律は前者が「実体法」後者が「手続法」と区分され、民法と民事訴訟法などについても同じ関係が成立する。
実体法は「法律効果の発生条件」を示すのに対し、手続法は「実体法による法律効果が本当に発生しているとどのように認定するのか、認定できたとして、どのように実際にその効果を発生させるのか」といった区分に近い。
例えば実体法である刑法は、「人を殺した者は(=条件)死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。(=条件を満たすと成立する法律効果)」
と言う形で規定されており、
手続法はその実体法に対し、「人を殺したとどう認定するのか=(裁判や証拠調べの手続き等)、認定できて刑を課すとして、実際にどのように刑罰を処するのか=(処刑の方法や懲役の態様など)」
という視点でアプローチする法律である。
余談ではあるが、著者なりの分かりやすい(と思う)説明に、「理系学問に手続法的な発想はなく、手続法とは非常に文系的な概念である。理系の扱う等式(1+1=2※や、E=mc^2)はいわば「強制力」を持った等式と言え、そう取り決めた(そうと決めるべきであるから)からそうなるというより、自ずとそうなってしまう等式である。理系はこのような概念を扱うため、手続法のような"等式を実現するためのルール"なる発想が存在し得ない。逆に文系の等式(人を殺した者=死刑又は無期若しくは5年以上の懲役)は、そうあるべきと取り決められた「ルール」であり、自ずと必ず実現してしまう"真実"とは違う。故に文系の等式には手続法的な"等式を実現させるためのルール"が必要となる。
※1+1=2が強制力であるかについては哲学的に厳密に考えていくと対立があるだろうが今回はメタファーとして用いたいだけなので勘弁してくれ
2.2 二元的犯罪論とは何か?
刑法は何を、どのような行為を犯罪とすべきか=(違法性とは何か、何とすべきなのか?)
という犯罪の性質論を問題にするべきであり、刑事訴訟法は、どのような行為を犯罪と認定するべきか
=(上の刑法によって考えられた違法性をどう認識するか、どう言う時に罪に問えるのか?)
と言う犯罪の認識論を問うべきである。
そして、「構成要件論」は現在「刑法」で扱われているが、上でも示した通り間違いなく「認定の一種の方法」に過ぎない。故に、「構成要件なき刑法」が要請される。
この概念の混同により、「刑法」にとって「違法性」は"特別な場合に消極的にのみ問われる概念"に成り下がっているが、刑法は「違法性とは何か」を積極的に論じるべきであり、そして刑訴法はその刑法によって考え抜かれた「違法性」を「どううまく認識、認定するのか」を考え抜く、という風に概念を分割するのが妥当だろう、と言う考え方。
なんというか、これを見ただけだとなんとなく分かるが、実際にそう分けることにどのようなメリットがあるのか?と言う感覚になるかもしれない。筆者もそうなった。しかし考えれば考えるほどこの説の妥当性は増すばかりと筆者は考える。
解説する。
構成要件は違法性(=悪さ)を持つ行為を類型化したものであるが、繰り返すがあくまでもそれは既存の「類型」に過ぎない。
今は構成要件として類型化されてはいないが、違法性(=悪さ)を持つ行為、と評価されるべき行為も存在するだろう(法の抜け穴的なものといえる)
そのような抜け穴を潰すような上手い"違法性"の定義について刑法では考えるべきであるのに、今の刑法は既存の構成要件に該当すること=違法性となっており、この現状は刑訴法的な発想の構成要件が刑法的な犯罪論の追究の重荷になっている。
と言うわけだ。
故に犯罪は「構成要件に該当する、違法性があり、有責な行為」と捉えられるべきではない。
構成要件が先に存在し、違法性がそれを後から追いかけるようになっている図式は不自然である。
あくまで構成要件とは違法性という悪さが先にあって、それを類型化したものにすぎない、のにもかかわらず、「違法性という悪さの具体例=(構成要件)がそのまま違法性という悪さの一般的説明(犯罪とは何とすべきか)」と混同されているというわけだ。
そして、このような理論を展開すると
「構成要件に該当しない犯罪などというものは罪刑法定主義の観点からしてあり得ない」などのような批判が飛んでくるが、これもこのような概念の混同からくる典型的に的外れな批判であり、それは犯罪として実際に認定していいのか、刑罰を課してよいのかという「刑訴法」で扱うべき事柄で、正面だって、構成要件とは無関係に違法性のある行為=犯罪と「刑法」においては定義するべきという主張の正当性とは完全に別のお話なのだ。
確かに構成要件という形で民衆に犯罪の成立要件を示すことは間違いなく必要であり、二元的犯罪論もこれを支持する。しかし、その構成要件という類型を補強し、抜け穴をなくす為にも、その構成要件によって捉えられる「違法性」というものを表立って論じる「刑法」というものが必要になるだろう。というわけだ。
これは非常にシンプルで強い主張だと感じる。
故に、既存の刑法の体系を支持し、このような混同をした刑法学者(=構成要件から離れた違法性、犯罪などありえないという立場)に、「違法性のある行為とはなんですか?」と聞くと、「構成要件に該当し、違法性阻却事由に該当しない行為」と答えることになるが、それを抽象化すると、「Aの本質とは何ですか?」という質問に対し、「Aの具体例かつ、例外的でないもの」と答えることになるのだ。これが不合理なのは明白であろう。そのような具体例を作るに足る「一般的なAの(とするべき)本質」について問うということが概念的混同によって不可能になっているのだ。
あっさりとした終わり方になるが、以上である。
なにか加筆するかもしれないが、とりあえずこれで説明を終えようと思う。俺はとりあえず受かる為に勉強しなければならない!
批判などあれば歓迎します。
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