ルソー『学問芸術論』読書ノート

■ジャン=ジャック・ルソー(1750)、前川貞次郎 訳(1968)『学問芸術論』岩波文庫

ほとんど無名だった30代後半のルソーの名声を高めたデビュー作。獄中の友人、ドニ・ディドロを見舞いに行く道すがら、たまたま読んでいた雑誌に懸賞論文の募集を見つけて、応募したもの。論文のテーマは、「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したか、どうか、について」。ルソーは学問や芸術は人間精神の堕落・頽廃を伴うという逆説的な主張を展開し、見事当選した。

第一部

「自分自身にたちもどって人間を研究し、人間の性質、義務、目的を認識したりするのを見るのは、すばらしく美しい光景です。」(p.13)

論文のテーマである「学問と芸術の復興」はいわゆる「ルネサンス」のことだろう。(「ルネサンス」という時代区分は19世紀フランスの歴史家J・ミシュレによって定義された。)冒頭では、ルソーはルネサンスに対して肯定的見解を表明している。

「ヨーロッパは、原初時代のような未開状態の中に再びおちこんでいました。今日たいへん開化している地域の諸民族も、数世紀前には、無知よりもなお悪い状態の中に生活していました。無知よりもなお一そう軽蔑すべき、わけのわからない学問上のタワ言が、知識の名をのっとっていて、知識の復興に対し、ほとんど越えがたい障壁を設けていました。人間を常識にまでひきもどすには、一つの革命が必要でした。そして、ついにこの革命は、最も思いもかけない方向からやってきました。われわれの中に文学を復活させたのは、文学にとって永遠の禍である愚かな回教徒でした。コンスタンティヌスの玉座(コンスタンティノープル)の陥落は、イタリアに古代ギリシアの遺物をもたらしました。ついでフランスが、この貴重な遺物によって富みさかえました。やがて文学につづいて、学問がおこり、書く術に考える術が加わりました。」(pp.13-14)

ルソーはルネサンス以前のヨーロッパの歴史を振り返る。「未開状態に再びおちこんでいた」というのは、古代ギリシャ・ローマ世界をヨーロッパの源流と見なしている、ということだろうか。「学問上のタワ言」とはスコラ哲学のことだと訳注に書いてある。そして、「自分自身にたちもどって人間を研究」するという「革命」の引き金となったのは、「回教徒」、すなわちイスラム教徒だという。事例として挙げられているコンスタンティノープルの陥落とは、1453年にオスマン帝国によってビザンツ帝国が滅ぼされたことを指すのだろう。ビザンツ帝国内のギリシャ人学者らが亡命したことは、亡命先のイタリアでの新プラトン主義の流行につながる。こうした外的要因への目配りは、ルソーの思想に文明論としての視座を与えているように思う。

「肉体の欲求が社会の基礎であり、精神の欲求が社会の娯しみの基礎です。政府や諸法律が、人間集団の安全と幸福とに応じるのに対して、学問、文学、芸術は、政府や法律ほど専制的ではありませんが、おそらく一そう強力に、人間を縛っている鉄鎖を花輪でかざり、人生の目的と思われる人間の生まれながらの自由の感情をおしころし、人間に隷従状態を好ませるようにし、いわゆる文化人を作りあげました。」(p.14)

これがルソーの描くルネサンスの帰結である。もう少し詳しく見てみよう。

「一そう精緻な研究と一そう繊細な趣味とが、ひとをよろこばす術を道徳律にしてしまった今日では、つまらなくて偽りの画一さが、われわれの習俗で支配的となり、あらゆるひとの精神が、同一の鋳型の中に投げこまれてしまったように思われます。たえずお上品さが強要され、礼儀作法が守らされます。つねにひとびとは自己本来の才能ではなく、慣習にしたがっています」(p.17)

他人に気に入られること、評価されることが道徳律になってしまった以上、人々は自分を押し殺して、いわば仮面をかぶって生活している。こうして生まれる不自然で画一的な精神のあり方に、ルソーはするどい批判を投げかけている。SNSの「いいね!」に一喜一憂する態度は、自分自身に対して忠実かつ自由であろうとする精神の対極にある。

「われわれの学問と芸術とが完成に近づくにつれて、われわれの魂は腐敗したのです。これはわれわれの時代に特有な不幸だといえるでしょうか。いいえ、みなさん、われわれの無益な好奇心によってひき起こされた禍は、世界とともに古いものなのです。」(p.19)

魂の腐敗は好奇心によって引き起こされた。そしてこれは歴史的・世界的に広く見られる現象であるとして、ルソーはエジプト、ギリシア、ローマ、中国の事例を挙げる。
一方で、「空虚な知識の伝染を免れて、自らの徳によって、自分自身の幸福をつくり、他の民族の規範となった民族」の例として、ペルシア人、スキタイ人、ゲルマン人、ローマ人、スイス人を挙げている。

「おおスパルタよ、空虚な教説に永遠の汚辱を与えるスパルタよ!美術から生まれる悪が、すべてアテナイに集まり、一人の僭主が、詩人の王者の作品をアテナイに蒐めようと大いに苦労しているとき、お前は、芸術と芸術家を、学問と学者とを、城壁外に追いはらっていたのだ。」(p.24)

一般に、軍国主義に立脚した厳しい社会体制で「スパルタ教育」の語源となり、文化において見るべきものを何も残さなかったスパルタには否定的な評価が下され、他方で民主的な政治体制を有し、パルテノン神殿をはじめとした文化的産物を後世に残したアテナイには肯定的評価が下される。しかし、ここでルソーが両者に対して下した評価は全く逆だった。
アテナイにあって、悪徳に染まらなかった賢者の例として、ルソーはソクラテスを挙げる。ソクラテスが無知の知を説き、後世に著作を残さなかったことは、大いに正しいことだったのである。

続いてルソーは古代ローマに舞台を移し、質実剛健・廉直な人物として知られるファブリキウスの口を借りて次のように煽り立てる。

「ローマ人たちよ、いそいであの円形劇場をくつがえせ。あの大理石像をこわせ。あの絵を焼け。お前たちをおさえつけ、そのいまわしい芸術によってお前たちを腐敗させている、あの奴隷どもを追いはらえ!空虚な才能によって有名になることは、他の人間にまかせておけ。ローマにふさわしい唯一の才能は、世界を征服して、そこに徳を君臨さすことなのだ。」(p.28)

芸術の排斥と世界征服、徳の称揚。この逆説の根底には、ルソーが芸術以前の世界をより悪徳の少ない世界と見ていたことがある。

「芸術がわれわれのもったいぶった態度を作りあげ、飾った言葉で話すことをわれわれの情念に教えるまでは、われわれの習俗は粗野ではありましたが、自然なものでした。そして態度の相違が、一目で性格の相違を示していました。人間の性質が根本的に今日よりよかったわけではありませんが、ひとびとはお互をたやすく見抜くことができたので、安心していたのです。そしてこのような利益――もはやその価値を、われわれは感じなくなっていますが――によって、彼らは多くの悪徳をおかさないですんだのです。」(p.16)

本心を偽って取り繕うことは悪徳であり、ぶしつけでも飾り気がなく素朴であるほうがよい。しかし人々の精神は、学問芸術の発展とともに腐敗した。そのことをルソーは歴史的な事例を挙げることで示した。しかしここまでは文明論的な、いわばマクロな視点に立った議論である。続く第二部では、ルソーはもう少しミクロな視点から学問や芸術そのものについて自説を敷衍することとなる。

第二部

「天文学は迷信から生まれ、雄弁術は野心、憎悪、お世辞、虚偽から生まれ、幾何学は貪欲から、物理学は無益な好奇心から生まれました。これらすべて、道徳でさえ、人間の傲慢さから生まれたのです。それゆえ、学問と芸術とが生まれたのは、われわれの悪のせいなのであって、もし、徳のおかげで生まれたのでしたら、われわれが、学問芸術の利益について疑うことは、もっとすくないことでしょう。」(p.31)

ルソーは学問芸術の起源を人間の悪に求める。しかし、これは自明とは言えないだろう。

「なんと多くの危険、なんと多くの偽りの道が、学問の探求の中にあることでしょう。真理にいたるには、真理が有用であることよりも、千倍もの危険な、どんなにか多くの誤謬を通らなければならないことか。[中略]おびただしい、様々の見解の中で、真理をよく判別するための、われわれの「標識」とは、いったい何なのでしょうか。さらに、これは最も困難なことですが、幸いにしてわれわれがついに真理を見出したとしても、われわれの中で、誰がそれを有効に用いることができるでしょうか。」(pp.32-33)

ルソーは学問の目的は真理探究であるとする。しかし、真理に至るには数多の誤謬を避けなければならないために容易ではない上、何が真理なのかを判別する基準が不在であることと、真理を有効に用いる能力の不足を挙げて、学問はそれが目指す目的の観点から無益だと主張している。この主張は科学技術の恩恵を肌身で感じる現代人にはナンセンスと思われるかもしれないが、少なくとも真理を「有効に」に用いていることができているのかについては、疑問の余地があるだろう。

続いてルソーは無用であることは有害であるとして、無益な学問や芸術を糾弾する。さらに、学問芸術のより大きな害悪として奢侈が挙げられている。

「奢侈が学問や芸術を伴わないことは稀であり、学問や芸術が奢侈を伴わないことも、また決してありません。[中略]よき習俗が国家の存続に欠くことのできないものであるということ、奢侈がよき習俗のまさに正反対のものであるということを、哲学はあえて否定することができるでしょうか。奢侈が富の確かなしるしであり、もし富を増そうと思えば、奢侈がそれに役立ちさえもするという、われわれの時代に生まれるのにまことにふさわしいこの逆説から、いったいどんな結論が引き出さるべきなのでしょうか。また、どんな犠牲を払ってでも富まねばならぬとすれば、徳はどうなるのでしょうか。むかしの政治家たちは、習俗と徳とを、たえず口にしていました。現代の政治家たちは、商業と金銭のことしか口にしません。」(pp.35-36)

「ぜいたくは敵だ!」の時代は終わった。贅沢は素敵であるばかりか、美徳であるご時世だ。それはGDPの向上と経済発展に欠かせない。そして、学問や芸術はこうした富のあり方から超越して存在することはできない。研究には資金が必要であり、芸術には余暇が必要である。しかし、ルソーは問うだろう。あなたがたの徳はどうなっているのかと。我々の人間性は、練磨されたのだろうか?それとも、ますます卑小な存在になり下がったのだろうか?政治家は、カネと徳のどちらにより関心があるだろうか?

「奢侈の当然の結果である習俗の堕落が、こんどは趣味の腐敗をよびおこすのです。才能によって卓越した人びとの中に、偶然に強固な魂をもつ人がいて、時代の精神に屈したり、つまらない作品によってみずから堕落するのを拒んだりしたとすれば、その人は、なんと不幸なことでしょう!」(p.39)
「生活の便宜さが増大し、芸術が完成にむかい、奢侈が広まるあいだに、真の勇気は萎靡し、武徳は消滅します。そして、これもやはり学問と、暗い小部屋の中でみがかれる、あのすべての芸術のしわざなのです。」(p.40)

こうしてルソーは奢侈を論難し、奢侈における学問と芸術の積極的な役割を認める。古代ローマやギリシアの例を挙げて、学問が戦士としての資質を損ねることを説き、さらに道徳的資質にとっても有害であるとする。次の箇所は、後の代表作『エミール』を連想させるところだ。

「幼年時代以来、無分別な教育が、われわれの精神をかざり、われわれの判断力を腐敗させました。いたるところにみられる広大な施設(学校)で、莫大な費用をかけて、青年にあらゆることを教えているが、義務だけは例外のようです。[中略]子供たちに仕事をさせておくことが必要であり、無為は子供たちにとって、最も恐ろしい危険であることを、わたしも知っています。では、子供たちは、何を学ばねばならないのでしょうか。これこそ確かにすばらしい問題です。子供たちが学ぶのは、大人になったときになすべきことであって、大人になって忘れなければならないことではありません。」(p.43)

私が日本で受けた教育から考えるに、こうした事情は現代日本でもあまり大差ないようだ。私は学校でたくさんのことを学んだが、その多くは忘却しつつある。一方、大人になったときの義務について、学校で考えたことはほとんどない。

「才能の差別と徳の堕落とによって人間の中に導き入れられた有害な不平等からでなければ、これらすべての悪習が、いったい、どこから生まれてくるのでしょうか。これこそ、われわれのあらゆる学問研究の最も明白な成果であり、学問研究のあらゆる成果の中で、最も危険なものです。人間に要求されるものは、もはや、誠実であるかないかではなくして、才能があるかないかです。書物が有益であるかどうかではなくして、文章が上手かどうかです。才人のうける報酬は莫大なものですが、徳のある人は依然として尊敬されません。上手な論文には、多くの賞がありますが、立派な行いにはなにもありません。」(pp.45-46)

奢侈とその帰結としての習俗の堕落、趣味の腐敗、こうしたことの根底に不平等があるという。こうした着眼点は、次の『人間不平等起源論』に引き継がれ、展開されるだろう。ルソーは学者や芸術家は徳ではなく、才能によって評価されるということが、悪習ないし不平等につながるとしているが、このあたりの論証は十分でない。しかし、「有用な才能よりも、気持よい才能のほうが尊重される」という事実は、今日でもあてはまるだろう。

こうしてルソーは習俗の堕落を嘆くが、絶望するには至らない。当時の学問研究において、ルソーはフランス王権の下で誕生した数々の学会を評価している。その理由は、次の通りである。

「これらの学会は、人間の知識という危険な預かりものと、習俗という神聖な預かりものとをあわせ委ねられており、学会内において、習俗の全き純潔性を維持し、学会のうけいれる会員に習俗の純潔性を要求することに、注意をはらっていますから。」(p.47)

ルソーの基本的な発想は、学者は徳を持つべきというものだから、「アカデミーに入るのを許される名誉を望み、自戒をし、有益な作品や難点のない素行によって、この名誉にふさわしいものになろうと努める」ことが望ましいのである。

文学の道では遠くまで進むことができない人びとが、出発点で退けられ社会に有益な技術に身を投じることこそ望ましいことだったのに。一生ヘボ詩人、凡庸な幾何学者に終るような人でも、おそらくはすぐれた織物業者になったかもしれません。自然が弟子にしようと定めた人たちには、教師は必要ではなかったのです。ヴェルラム、デカルト、ニュートンのような人たち、これら人類の教師たちは、決して、みずからは師をもちませんでした。[中略]もし、若干の人たちに学問芸術の研究にしたがうことを認めなければならないとすれば、これらの巨匠のあとを独力でたどり進み、彼らを追いこす力を自覚している人びとに対してだけです。」(pp.51-52)

ルソーにとって、芸術家や学者はほとんど必要ない。本当に才能のある人だけが創作し、学問研究をすればよい。そして、本当に才能のある人なら教師はいらないから、学校が多いほど、才能のない人々の道を誤らせるだけなのである。裾野が広ければこそ頂点は高くなるという考えは、ルソーにはない。

「おお 徳よ!素朴な魂の崇高な学問よ!お前を知るには多くの苦労と道具とが必要なのだろうか。お前の原則はすべての人の心の中に刻みこまれていはしないのか。お前の掟を学ぶには、自分自身の中にかえり、情念を静めて自己の良心の声に耳をかたむけるだけで十分ではないのか。ここにこそ真の哲学がある。われわれはここに満足することを知ろう。」(p.54)

どうすれば徳を実現できるか。そのための特別な苦労や道具は必要ない。ただ自分自身の良心の声に聞けばよい。それは、すべての人の心の中に存在している。情念を静めて、自分自身に忠実であろう。その状態に満足しよう。ルソーの標語は「自然に帰れ!」ではない。「己の良心の声を聞け!」なのだ。それは理想論に過ぎないと切って捨てることは、私にはできない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?