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メイン・モデレート・ピンチヒッターになる

ある週末の1・3・4・ドライブ

材木座のトンネルを越すと
ドライバー横のガラス窓には逗子海岸。

渚橋交差点を右折しないとね。
そう、そう、デニーズがあったところ。

ユーミンが帽子を深くかぶって
出没するって噂だったファミレスよね。

県道207号森戸海岸線にはいると
いきなり、海が消える。

起伏が激しいのかな、
崖と山に囲まれる県道を走るも束の間、
右手にバス・ストップ。

あっ、また見えた、葉山の海!

厳密に言えば、
葉山港、鐙摺への入り口です。

バス・ストップの先には、
海に浮かんでいるように見える
白い建物。

青い海に眩しく映る
フレンチレストラン「ラ・マーレ」

ここら辺のシンボルだよね。

ユーミンはなんで山手の「ドルフィン」を歌ったのかな。
「ラ・マーレ」の方がずっと絵になるのになぁ、
と独り言。

ブツブツ言ってよそ見しちゃ、だめだよ。
曲がらないで、まっすぐ行って。

今日は、鐙摺じゃあないからね。
目指すは葉山マリーナ。

バス・ストップの先には
老舗のフランス菓子店「ラ・マーレ・ド・チャヤ」

道路の山側には
江戸時代から続く老舗の「日影茶屋」

運わるーい、バスが来ちゃったぁ。

大型バスとの行き交いに
ちょっと緊張気味を隠せない。

さらに進むと、あった!あった!
と一瞬で「しなそば小浜」を通り越す。

ユーミンが好きなラーメン屋さんだって
ホントなの?

夫から詳しく聞くまもなく、
葉山マリーナに到着です。

ヨットのウエアを探しに車を走らせたのでした。


葉山マリーナの歴史と高度経済成長期

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1964年、東京五輪のセーリング会場となった江ノ島の
サブマリーナとして建設された葉山マリーナ。

選手や関係者の宿泊施設としての
お役目を果たしたのち、
リゾート施設に生まれ変わりました。

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パシフィックパーク茅ヶ崎や逗子マリーナと同様、
葉山マリーナのプールとボウリング場、ホテルは、
高度経済成長時代を愉しむ
私よりもちょいと年上のお兄さん、お姉さん世代の
憩いの場と化したのでした。

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リゾート・コンサートの先駆者 ユーミン

そんななか、1978年8月26日、
ユーミンが
葉山マリーナ・サマー・リゾート・コンサートvol.1を
開催しました。

当時、15歳の私、高校1年生。

「ユーミンが、マリーナ内のプールに作られたステージで繰り広げたコンサートでは、水を使った演出や、アウトドアならではの開放感で、話題となります」

とは以下のサイトからの引用です。

中学生の時分、
湘南電車ではなくて「相模線」に乗り
「茅ヶ崎」の「ゴッデス 」に向かった女の子に
なんの関心も寄せなかった私が、

「ラララ」からいきなり「茅ヶ崎」が歌われる
「勝手にシンドバッド」に
大きく興味を持った高校1年生の私。

高校生になって初めての夏休み。

大好きなユーミンが
葉山でコンサートをしていたとは
残念ながら
全く知る由もなかった・・・。

1982年、リニュアルのため葉山マリーナが一旦閉鎖されるまでの4年間に
3回ものリゾート・コンサートが開かれました。

1983年、隣り町、逗子マリーナへところを変え
Surf & Snow in 逗子マリーナvol.4として
テイク・オーバーされました。

夏のSurf & Snow といえば、
逗子マリと信じていた私にとって、
どなたかがアップロードしていらっしゃる
葉山マリーナでのコンサート映像

新鮮であるとあると同時に
大変貴重でもあります。

電光掲示板にイルカを形どり、
ビーズで飾ったドレッド・ヘアで
ステージに立つユーミン 。

楽曲の合間の語りに
当時の「息吹」を感じます。

(うーむ、
適切な表現が見当たらず、
苦し紛れの言い回しの「息吹」には
決して満足いきませんが…)

ユーミンと私

ユーミン の当時の担当制作プロデューサー、
下河辺晴三氏は言います。

「当時は、ユーミン自身、サーフィンや、スキーの経験は無かったはずです。ただ、彼女は、当時の大学生が夢中になって読んでいた、『POPEYE』や『JJ』と言ったファッション雑誌を、若者達と同じように読んで、流行の流れをつかみ、夏=海、海=サーフィン。もしくは、冬=雪、雪=スキーと言うイメージを膨らませて、彼女の強みでもあった情景描写溢れる、高いソングライティング能力で、リゾートにあこがれる若者たちの心をつかむ曲を作っていったんです」。

↑は、先述のサイトからの引用です。

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活字では「J J」「なんとなく、クリスタル」
そして、メロディではユーミンにサザン。

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誰の罠かもわからないまま、
まんまと嵌められ乗せられた私。

いとも簡単にひっかかり魔法をかけられたまま
流行を心から享受しつつ
マイ恋愛ヒストリーを創り上げていった
そんな当時の私を懐かしむことができたのは、
ピンチヒッターとして
メインモデレーターを務めさせて
いただいたおかげです。

そして、もう一つ、
エピソードを加えさせてください。

ユーミンが葉山マリーナでコンサートをしていたことを
知っていた夫にびっくり。

「82年か83年までは逗子マリではなくて葉山だったよ」
「えっ?コンサートに行くほどユーミンファンだったの?」
「合宿所にいたら、物凄い音と溢れかえる人ですごかったんだよ」

ハウリングしまくりのコンサートだったらしい・・・。

「いつでも強がる姿 うそになる」
「何もいわずに 私のそばにいて」
ユーミンと一緒に叫びたかったなぁ。

相模湾沖から眺めるマリーナ

今朝、鐙摺に船を置く夫は、
葉山マリーナで給油して
熱海まで3日間のセイリングに
出かけて行きました。

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TOKYO2020開催中の今、
航行海域を制限されているため、
送られてきた逗子マリの写真は
曇り空とあいまって、
いつもよりも遠く暗いなぁ。

1978年の夏、
みなさんはいかがお過ごしでしたか。

spotifyでプレイリストを作成しました。

あの頃を思い出すきっかけになれば嬉しいです。

それぞれのユーミンを楽しみましょうね。

私の拙いモデレートにお付き合いいただいた
オーディエンスやモデレーターの皆さん、
貴重なひと晩をご一緒させていただき
ありがとうございました。

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