第3話 アソウの回想

広い敷地だった。
アソウは一人、芝生の上に座り、今日の講義の復習をしていた。本を開いても頭に浮かんでくるのは木曜の担当講師である、エッセンスのことだった。可愛らしい顔、美しい金髪、牛のように揺れる胸。彼女を見ているだけで人々は幸せになれる、と言われているのに、アソウはそれだけでは満足できなかった。
 彼は様々な手を用いてエッセンスを我が物にしようとした、といっても、デートに誘うだの、花を贈るだのといった、普通の男達のような手段を取るには彼はディープに過ぎた。彼は、彼自身も自覚するほどのブサイクだった。重力に押しつぶされた身長。太くて短い手足。眉毛は八の字に繋がっている。自分の外見に良い所など、誓ってない!これが青年アソウの出発点だった。

 そこでアソウは考えた。考えに考えた。そして、青年アソウが考えついた方法というのが、盗撮、盗聴、尾行、身上調査だった。スパイ養成機関で学んだ技術の全てを彼はエッセンスのために、そして、彼女のためだけに、駆使した。もちろん、教官であるエッセンスの目をくぐってのストーキングは熾烈を極めた。彼女に見つかる度、アソウはその元々崩れている顔がさらに崩れるほど殴られた。それでもアソウは持ち前の粘り強さで(これが女にもてない理由の第一であったのだが)彼女のストーキングを続けていた。そして、そのうちに彼のストーキングの十に一つ、二つはばれなくなり、さらに日が経ち、彼の技術が向上するにつれて、ばれない度合いはさらに高まり、そのうちエッセンスをして、アソウは自分のことを諦めた、と宣言させうるほどにまでアソウの技術は高まった。  
 そして今日、この美しい青空のもとでアソウは今までの苦しかった道のりを深く噛み締めていた。

 「ん?」アソウはふと、首筋に手をやった。ほんの微かな、ピリピリする電気のようなものを感じたのだった。ヘンタイの勘である。彼は教科書から目を上げてあたりを見回した。すると、アソウの視線の先、広場の向こう側に男が一人座っている。そして、そいつがアソウをガン見している。
 ヤツの、爬虫類のような細い目から発されてくる視線が、まるで噛んだ後のガムのようにネッチャリとアソウの全身に絡みついてくる。
 小太りの体。太い手足。そして気持ち悪い目。アソウは一目で彼のことが嫌いになった。青年アソウは思った。(なんて醜いヤツなんやろ)

アソウはすぐに、男についてリサーチした。その結果、男のコードネームが『メクロ』だということ、そいつが三週間前に世界公務員に入隊したこと、そして、彼もまたアソウと同じ日本人だということが分かった。
アソウとメクロは見た目だけじゃなく、考え方まで似ていた。メクロもまた同時に、アソウに関する調べをつけていたのだった。
 その時からアソウとメクロの、エッセンス争奪戦が始まった!・・・争奪戦?そう、あえて彼らの戦いを争奪戦と呼ぼう!たとえ勝利者が得られるのは、エッセンスから向けられる、道の反吐でも見ているような視線と、そして、容赦ない殴打だったとしても!

アソウの視線が目の前のひび割れた壁を突き抜けて遠くに向けられていた。
「あの時のワシらの情報戦には教官たちでさえ敵わんかったんや。なんせ、エッセンスの持っていたパンツの素材、その製造会社、そして製造日まで全部言い当てられることができたのはワシらだけやったんやで。すごいやろ?」
 その時、ミハダがアソウに向けた視線。ゴキブリを見るような視線。そのミハダの視線こそまさに、エッセンスが当時、アソウとメクロに向けた視線と同じものだったに違いない。
「ワシらの戦いは卒業まで続いたんや・・・」
 アソウが言った。
「ワシらは一言も言葉を交わしたことはない。ワシらには、言葉がついてこれへんかったんや・・・」
 名言だ。
「で、ワシは卒業すると日本支部を任され、メクロは、・・・まぁ恐ろしく色々なことをやらかしてきよったんやが、最終的にメガフォルテというテロリスト集団を作り上げた、ようや・・・。というのもメガフォルテのセキュリティの壁ゆうんが案外ぶ厚くてな。なかなかそのボスが誰なんかが掴めへんのや。このワシが、たかだが団員数数十の小規模テロリスト集団のボスが誰かっちゅうのを探るのに五年も掛かったんや。しかもまだ、ボスはメクロやないか、っちゅう憶測レベルや。でも、もしメガフォルテのボスがメクロやったとしたら、それこそ、あいつはホンマのアホやで・・・。あいつが世界になに求めとるのか分からんけど、この世界、壊すほどの価値もあるか?ほんま、アホなヤツやで。」
 アソウはその最後の言葉を、まるで吐き捨てる様に呟いた。
 夕日が部屋に入り込み、アソウの醜い横顔を照らし出していた。

~ 第四話に続く ~


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