省略した話③ノート

 納骨の前日、妹が生前使われていた弟のノートを見つけた。

 そのノートはおそらく、弟が入院中から退院した初め頃まで使っていたものだろう。最初の方には同室の隣の男性がうるさいとか、カウンセリングの記録のようなもの——尊敬する人や自分の過去の経験、それについてどう感じたかが何ページにもわたって書いてある。ちなみに、尊敬する人は「母親」だった。私と妹については一切触れられていない。退院したらやりたいことについても書かれており、「マックを食べる」といった直ぐに実現できそうなことから、「〇〇市(県内で一番都会)に引っ越す」、「薬剤師になる」といった難易度の高そうなことまで書いてあった。気になるのは、「Nさんに会う」という項目に二重線が引かれていたことだ。Nさんに会えたから消したのか、それとも会える前に諦めたのか。前者であれば嬉しいけれど真相は分からない。また、とあるスポーツのYouTube動画を編集してアップしていたようで、ノートはその編集メモで終わっていた。ノートを書かなくなった頃から本格的に調子を悪くしたのだろう。

 妹と話し合って、母にこのノートについて話すことにした。母が時々、
「お母さんって、変な親だった?」
「〇〇(弟)はお母さんのことが嫌いだったのかな」
と呟いていたから、ノートを見れば元気になるだろうと思ったのだ。
 でも、ノートのことを話すと、母は強い口調で
「見たくない!!!見たくない!!!」
と言った。まるで幼子のようだった。
 きっとノートを見るだろうと思っていた私は、予想外の返答に対して何も言うことができなかった。

 おそらく、母の気持ちはずーっとおさまりどころを見つけられないままなのだ。
・甘えん坊で、いつもニコニコしている可愛い息子がいつしか無気力になってしまったことが納得できない気持ち。
・息子が高校生の頃、何とかしようと思って頑張ったものの、その息子自身から冷笑され、傷ついた気持ち。
・母自身も病気と闘いながら息子のゴミ屋敷と化した部屋を片付けた。大嫌いな動物の世話もしている。それでも息子からは何ら感謝の言葉がなく、やりきれなかった気持ち。
・複数回にわたって息子から土下座を強要され、悔しかった気持ち。
・息子が彼岸に行ったことで、もう怯えなくていいんだと安堵した気持ち。
・安堵した自分自身が許せない気持ち。
 このような気持ちが寄せては返す波のごとく母自身を乱している。だから、ノートも見たくないのだろう。

 私はこの先、自分から母にノートのことを話すことはないと思う。けれども、弟が母を尊敬していたと知ることができただけでも救われた。
 そして、やっぱり一緒に生きたかったと考えても仕方のないことを考えてしまう。一緒にマックを食べたかったな。今だったら、何でも好きな物をご馳走するのにな、と。
 

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