生成AIとカンニングの「適切不適切問題」勝てば官軍は正しいか!?
ついに授業にまで生成AIが登場するようになったようです。当然、カンニングする人は「今まで以上に」でることでしょう。
記事にも「不適切な使用事例は33校であった。このうち63%がリポートや論文の作成で使われたとした」と書かれてあります。
確かにこれを読むと、生成AIについて懸念する声も多くなるだろうという思いが誰にも起こるでしょう。私も読んだ直後はそう思いました。
しかし、その後で果たしてそうなのか?という疑問がわきました。それは生成AIを使うというのはいわば「カンニングをしてでも生産性を上げる」ということなのではないか、と。
文章を書くのが苦手な人でも、生成AIを使いこなせるスキルがあるのであればそれはそれで能力があります。
今、現実に社会で起こっていることは能力が高い人よりも能力が低い人が生産性をあげられるのが生成AIの特徴です。
仕事を取られるのはある意味、能力が高い人で、単純労働の人が仕事がなくなると言われていたのが逆転しているおかしな現象ではないでしょうか。
ただし、思考力を育むためやその人個々人の知識や能力を向上させることを目的とするなら、生成AIは何ともなじまないような気がします。
そして、もちろん、学校が求める適切な行為に合致しなければ0点も仕方ないでしょう。
それでも生成AIに関して、優れた能力を発揮する人もいるかもしれないのに、それをけしさってはいないかという今後の議論も出てきそうな気がしました。
昔、大前研一さんがカンニングはいけないと習ったと思うが、事業では何をしても勝てば良いと言っておられたと思います。
それが生成AIがでて、特に黒船のような地殻変動が起こったような気がしますね。
#生成AI #カンニング
#仕事
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