第1話 俺は子供が嫌いだ
1. 英語の語順
(4月10日 教室①)
4月上旬、教室の外の木々が春の訪れとともに芽吹き始めると、スズメたちが今や遅しとこの時期を待ち構えていたかのように、どこからともなく一斉に集まってくる。
朝からピチピチピチピチと楽しそうに遊んでいる様子を眺めていると、1羽1羽がまるで自分の子供のように愛しく思えてくる。
――なんてことはあり得ない。なぜなら俺は、子供が嫌いだからだ。さて、教室内でも5つの新芽が萌え出したようだ。戦闘開始だ。
「どぉれ、やっぞぉ。ま、今日は第1回目の講習会ということで、朝からみんなに集まってもらったわけなんだけどぉ、……だがら、メドりん、髪の毛はいいがら、あとで。大丈夫だがら、可愛いがら」
「だって、こいつら、勝手に動くんだもん」
メドりんの髪の毛は1本1本が生きた蛇でできている。
――まったくもって、実に恐ろしい話だ。が、人(?)を外見で判断してはならない。俺自身も、「目が大きい」「顔がデカい」「鼻がマイケル」「美術室の石膏像」「近寄りがたい」「マフィアの一味」などとよく言われるが、もちろん俺はマフィアの一味なんかではない。正真正銘、田村塾のボスだ。
「あそ。まぁ、いい。どぉれ、やっぞぉ」
「えー、出席とらないのぉ?」と、爪を磨きながら、メドりん。「だって、最初なんだからさぁ。やっぱり、……ねぇ」
「はぁ?」
「そうそう、あと自己紹介!」と、パンドラがあとに続く。
「それはいらん」
「じゃあ、出席とってー」と、メドりん。
「わぁーった、わぁーった。んで、出席とっぞぉ。はい、ヘラクレス」
「ウッス」
――凄い威圧感だな。一番前に座らせるんじゃなかった。
「メドりん」
「あ~い」
――何だ、その返事は。言いだしっぺがそんなヤル気のない返事をするか、普通。
「パンドラ」
「はーい」
――小学生じゃないんだから、手は挙げなくてもいいよ。ま、いっか。
「ソン太」
「ハイッ」
――おしっ。いい返事だ。
「オルっぺ」
(……)
「オルっぺ」
(……)
――いるのか? いたか。頼むから目で返事をするのはやめてくれ。しかも虚ろだし。
「てなわけで、今日のテーマは『英語の語順』ね。と、そ・の・ま・え・に。日本語の文は普通、『だれが/いつ/どこで/なにを/どうする』の順で言葉が並んでいるんだけどぉ、……そうだよね。例えば、『メドりんは/今/教室で/髪の毛を/いじっている』とかね」
「テヘ」
「『テヘ』じゃねーよ。いいがら、髪の毛はあとで」
「だってさぁ」
「わぁーった、わぁーった。で、英語の語順はどうなってるかっていうと、……。はい、<アテナの黙示録1>を見てみましょ」
「アテナの黙示録」とは、オリュムポス大学附属中学校で使用している英語のテキストである。
「いがぁ、【1】から。日本語の『だれが/いつ/どこで/なにを/どうする』っていう文は、英語では『だれが/どうする/なにを/どこで/いつ』の順番になる、ってことね。『だれが』にあたる語句を主語、『どうする』にあたる語句を述語動詞、って言うよ。で、はい、ここが重要。英語ではこの『だれが/どうする』、つまり<主語+述語動詞>を先に言う、っていうことをガッチリ頭の中に叩き込んでおいてちょうだい。いい? そうすっと、さっきのメドりんの様子を英語の語順にしたらどうなる? はい、メドりん」
「えっとぉ、『だれが/どうする/なにを/どこで/いつ』だからぁ、『メドりんは/いじっている/髪の毛を/教室で/今』、……かな?」
「そのとーし! よくできた」
「わーい!」
――意外と素直だな、こいつ。やはり、人は見かけによらずか。あ、人じゃなかった。
「じゃあ、『私は/毎日/学校で/英語を/勉強する』だったら? はい、ヘラクレス」
「うーん、『私は/勉強する/英語を/学校で/毎日』、……か」
「そのとーし!」
「おっしゃー!」
――声がデカいよ。
「じゃあ、今度はそれを英語で言ってみよう。『私は/勉強する/英語を/学校で/毎日』をこの順番で1つ1つ英語に直していけば、正しい英文ができあがるよ。んで、ヘラクレス、英語で言ったら?」
「『私は/勉強する/英語を』だから、I study English」
「うん。『学校で』は at school、『毎日』は every day だ。そうすっと?」
「I study English at school every day.」
「てことさ」
「おお、できた」
「簡単でしょ」
「うん」
ヘラクレスの表情は3分前とは明らかに違っている。
同時に俺は、クラス全員の表情が変わりつつあることも実感していた。
「で、この『~する』っていう意味の単語を一般動詞、って言うんだけど、動詞にはもう1つ、日本語の『です』にあたる動詞がありまして、……これをbe動詞、って言うよ。今度はこのbe動詞の文についてやってみましょ。はい、【2】を見ておくれ」
全員が、同時にテキストに目を向けた。
――よし。これでもう、俺のものだ。集団授業の場合、よい授業ができるか否かのカギは、生徒全員をいかに目の前の教師に注目させ、その教師の指示に従わせることができるか、にある。とは言え、教師自身がおどけてみせたり、着ぐるみや下手なパフォーマンスで生徒の気を引いたりしたところで、あまり効果はない。そんなつかの間の茶番よりも、生徒自身に「できたときの喜び」や「わかったときの喜び」を味あわせてやる――そういう流れを作ってやる――ことこそ、プロのなせる技なのだ。では、よい授業とは何か? これは学校と塾とでは大きく違う。学校では「わかりやすくて面白い授業」が良しとされるのだろうが、塾では必ずしもそれが良しとされるわけではない。お金を頂いて指導する以上、あの手この手で何が何でも「実際のテストで点を取らせる授業」をしなくてはならない。あれっ、……そう言えば、ゼウスのおっさん、口座振替の用紙持ってこないな。
「いがぁ、日本語の『○○は/××/です』っていう文は、英語では『○○は/です/××』の順番になる、ってことね。この場合は、『○○は』にあたる語句が主語、『です』にあたる語句が述語動詞、になるよ。で、例えば、……はい、パンドラ、『パンドラは/綺麗/です』だったら?」
「え? パンドラ、綺麗? うふっ、照れちゃう、アハハハハ」
「例だっちゅーの。本気にすなっ!」
「クヒヒヒヒ」すかさず、メドりんが笑って言う。「自信過剰女」
「ぐぶぅ、……うっさーい!」と、怒りつつも、パンドラは天然の笑みを見せていた。
「はい、はい、まず、いいがら。で、パンドラ、『パンドラは/綺麗/です』を英語の語順にしたらどうなるんだい?」
「『パンドラは/です/綺麗』!」
「そのとーし! じゃあ、『これは/ペン/です』だったら? はい、ソン太」
「『これは/です/ペン』!」
「そのとーし! あとは、今の順番で1つ1つ英語に直していけば、正しい英文ができあがるよ。んで、ソン太、今のを英語で言ったら?」
「『これは/です/ペン』だから、This is pen(×)」
「まてまてまてまて、何か忘れてるぞ」
「あ、This is a pen. か」
「そ。英語では『1人、2人、……/1つ、2つ、……』って数えられる名詞の単数形には a をつけるんだったよ。ま、詳しくは後日やるけど、これくらいは覚えといてくれよ。はい、ここまで、どっか質問ある?」
「先生!」と早速、積極的なソン太が声を上げる。「動詞と述語動詞って、違うんですか?」
「うん。動詞、っていうのは単なる単語の種類ね。ま、これを品詞、って言うんだけど、国語でも習ったでしょ、……名詞とか、形容詞とか、副詞とかって、いろいろあったじゃん。で、いろいろある品詞の中で、動作や状態を表す単語のことを動詞、って言うわけさ。日本語では、言い切りの形がウ段で終わるのが動詞の特徴。例えば、『走る~ウ』『泳ぐ~ウ』『食べる~ウ』『勉強する~ウ』みたいに、終わりをのばすと全部『ウ』の音で終わるでしょ」
「たしかに」
「で、述語動詞、っていうのは文中でのはたらき、あるいは文中での役割を考えるときに使う言葉なのね。文の中には必ず主語があるわけで、その主語の動作や状態を述べるはたらき、あるいは役割をしているのが述語動詞、ってことさ」
「んー、ムズい」
「まぁね、最初は確かに混乱するかもしれないけど、まだまだ始まったばかりだから、この辺はあまり気にせず、気楽にいきましょ」
――ごまかしてしまった。が、受験指導においては、生徒のレベルに応じて、その場で理解させなければならないことと、その場はさらっと流してあとから理解がついてくるようにすればいいこととがある。授業時間が限られている以上、この見極めは重要である。
「そうそう。じゃあ、今日はこれでぇ」
「何言ってんの! メドりん」
「え? まだあるのぉ?」
「あだりめだ! <スピンクスの謎1>を解かない限り、帰れんぞ」
「スピンクスの謎」とは、オリュムポス大学附属中学校で使用している英語の問題集である。解答は解答集「オイディプスの答え」の中にある。
「はい、ヘラクレスから、(1)、書き換えた英文読みぃ」
「えーと、『だれが/どうする/なにを/どこで/いつ』の順番だから、I play tennis in the park on Sunday.」
「そのとーし!」
「おっしゃー!」
――だから、声がデカいって。
「あんたさぁ」メドりんが腕を組んで、ヘラクレスを睨みつけた。「もっと静かにしゃべれない?」
すると、
「ごめん」と、ヘラクレス。
――何とも意外な返答。てっきり「うるせっ、このぉ」で応戦するかと思いきや、……こいつは女の子に優しいのか、それともメドりんが怖いのか。
「はい、次、(2)、メドりん」
「My mother is a teacher.」
「そのとーし! これは『○○は/です/××』のパタンね。はい、次、(3)、パンドラ」
「He yesterday(×)」
「まてまてまてまて、『だれが/どうする』が先だぞ」
「あ、そっか、He used this computer yesterday.」
「そのとーし! 今みたいに『どこで』の部分がなくても優先順位は同じよん。『なにを』『どこで』『いつ』の部分は、ない場合もあるからね。はい、次、(4)、ソン太」
「They are from Canada.」
「そのとーし! はい、最後、(5)、オルっぺ」
「いたんだ」
――それ、言うなよ。
「だめだよぉ、それ言っちゃぁ」と、パンドラが目を丸くして言う。
「オルっぺに失礼だろ」と、ソン太が続く。
「え? アタシ、悪者?」と、メドりん。
「そうは言わないけどぉ」と、パンドラ。
「オルっぺが可愛そうだろ」と、立ち上がるソン太。
そこへ、「ぅぉぉぉおおお!」と、なぜか雄叫びを上げる一番前の大男。
「うるさいなぁ!」
「ホント。あんたさぁ、もっと静かにしゃべれない?」
「……、ご、ごめん」
「はい、はい、まずいいがら。はい、オルっぺ、答えは?」
(She has a nice bag.)
と、オルっぺが蚊の鳴くような声で答えた。
――周りはうるさくても、彼の貴重な発言を聞き逃してはならない。存在感は薄いが、彼はちゃんと授業に参加しているのだ。
「そのとーし! 以上、どっか質問ある?」
「「「「「なーい!」」」」」全員の息がぴったりと揃った。
――何だ? この一体感は。
「んで、本日終了。おつかれさ~ん」
窓の外を見ると、相変わらずスズメたちがピチピチピチピチと楽しそうに遊んでいた。
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