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それも多分ベリーファニィデーズ

イェーイ!みんな元気ー!?
俺は今朝おろしたての白Tシャツにラー油をこぼしたけど元気!!

ライナーノーツはこれで5本目。
8曲入りの音源なので、ここからようやく後半戦。
5月入ってから書き始めてやっと4曲か。文章を書き続けられる人、凄過ぎる。
今回はこれまでの倍以上の分量やし、色々思うところや思い出すものがあって上手くまとまらなかったので本当に暇な人だけ読んでくれたら、良い。

いきなりですが
「なんて日だ!」みたいなことが続くことってありません?
俺は結構あるんやけど、それの"Level Lunatic"みたいなのが来てたときに書いていたのが"ベリーファニィデーズ"という曲の歌詞です。

みんなもあると思うけど、
他人の良くわからんことに巻き込まれたり、
それでも頑張るかーって気合入れたら車に撥ねられたり、
それで肋骨が4本一気に折れたり、
その勢いで肺に穴が開いちゃったり、
そのせいで10m歩くたびに息切れしてしまって動けなくなったり、
そんな体力なので1時間の商談のラスト10分くらい酸欠で朦朧としちゃったり、
怪我の影響で3ヶ月くらい平らな床で眠れなくて毎日寝不足だったり、
それでも何とか生活せねばと自炊をしたら包丁で盛大に指を切ったり、
その傷が膿んじゃって全然治らなかったり、
電力会社の手違いで電気が止まって冷蔵庫の中のものがぜーんぶダメになったり、
そのせいで腐った豚肉の匂いがしばらく冷蔵庫から取れなかったり、
流石にやばいと厄払いに行ったら帰り道にゲリラ豪雨を食らったり、ね。
あるよね。

それぞれを個別のイベントとして人に話したら「いや〜まぁそゆことあるよね。」だったり、「いやいや気にし過ぎやって。」だったりと大した共感が得られるわけではない。や、親身に聞いてくれるからありがたいけど危機感まではなかなか伝わらんものです。正直彼らの反応は至極真っ当で、俺が逆の立場でも多分同じような感じになる。

多少なり時間が経って振り返ってみると個別の災難には結構レベル差があって、振り返って見ると大したことじゃ無いような気がする。特に「冷蔵庫から腐った肉の匂いが取れない」とかマジで大したことじゃない。
でもね!辛さに大小はあるとはいってもね。連続して食らってしまうとそれらは強烈なデカい災難になる。なりますよ。
キックボクシングでもローキックをヤラれ続けると後半マジで動けなくなるでしょ?アレみたいなもんよ。キックボクシングしたことないけど。
で、それらの一連のイベントを経験している人は自分しかいないので、話したところでそれが如何に自分にとって差し迫ったものであるかが伝わらないのが非常に難しいところ。

この手の感覚は俺に限らず、誰しもが一様に経験するものだと。分かっている。やけん「まぁそういうこともあるよ」って話やねんな、分かってる。大概のことはあるある。じゃなかったら往年の名曲、みたいな歌詞が生まれるわけがない。辛さは色々、根っこは一緒。そうなのよ。

とはいえ、この手の感情に苛まれているときはもうどうしようも無いほどにキツい。やり場がない。飲み会で自分だけ終電逃した時みたい。文化祭の時期に自分だけフラれたような感じ。詰めたらもう1人行けるのに、ギャルが横にカバン置いて脚組んでるせいでおじいちゃんが座れない時のような苛立ち。消費期限当日に発掘した残り8個の生卵のような所在の無さ。
ちなみにこの生卵問題、私は地元への帰省時期になると決まって経験しているのですが、「だし巻き卵、オムレツ、だし巻き卵」というコンボを決めると案外乗り切れます。
全部卵を焼き固めた料理ではあるのですが、味付けと皿が変われば完全に別料理みたいに食べれる。
なかやまきんに君が1日5個の卵を食べる生活を続けていても変わらず健康であること、さらに近年卵によるコレステロールはさして気にしなくて良いことが厚生労働省より発表されたことで、このライフハックは当初俺が思っていた以上に妥当性があるものになっている。
以上、帰省と生卵と私のお話です。あざした。

話は戻るけど、そういう辛さが定期的にある一方でなんだかんだ生きながらえてしまっているということが、問題のしょーもなさを体現しているようでなんだか逆にしんどい。けど、一つ言い切ってしまっても問題無さそうなことは、そういう気持ちを乗り越えるたびになんか強くなるんじゃないか、ということ。これも多分そういう歌。ちょっと違うけど。

ここからめちゃくちゃ自分語りが始まるんですが、
この曲の歌詞を書いた時、なんかもう本当にどうしようも無いくらい辛かったんです。
割と気分屋なクズ気質なので、先方に悪いところが一個でもあれば、重箱の隅をつつくように普通に逆ギレするし、好きな音楽聴いて、サウナ行って、二郎を飲むよう食べれば大体何とかなるんですが、その全部が出来なくて本当に参っていた。
今になって思えば「気にせんでええやん」ということがめちゃくちゃ気になってしまってしんどくなり、自分の行動の一挙一動が間違っているかのような不安に駆られ。そのクセ多少の自尊心が邪魔するせいで誰かに洗いざらい相談するような勇気は出ず、小出しに相談しても上述した通り俺の感覚ごと伝えることは出来ない、という。
その結果として自縄自縛の八方塞がり、"憂鬱電鉄快速急行地獄行き"みたいな気持ちになってしまっていたわけです。

何か明確なヘイトの対象があるわけでもなくて、何なら自分に原因があることがぼんやり分かっていて、それでも中途半端に居場所があることがどうしようもなくキツいあの所在の無さ。ぜーんぶ投げ出してめちゃくちゃ遠いところに行きたくなるようなあの感じ。
「何もかも終わった!」ってなっても日雇いバイトをすれば幾分かは食い繋ぐことができることを知っているが故に「一旦リセットしてゼロから始めて見ようかしら」「いやいやアレはきついから本当にやめた方がよい」などと考えるも、「じゃあどうする」を考えるエネルギーも動き出す気力もないので、行き場も落とし所も見つからないあの感じ。
(今はぼちぼち元気です。念のため。)

これは完全に大袈裟な主観なのでどうか笑って聞いてほしいのですが、「死にたい」とか「消えたい」とか、その類の気持ちってこの感覚を丁寧に絶やすことなく辿って行った先にあるのではなかろうか。
そんな感じのことをあの時は結構本気で考えていた。ような気がする。
正直なところ、その辺りの時期については毎日の記憶が結構曖昧でして。目の前のことを打ち返すのに精一杯だったことと「マジで救われたな」という出来事しか覚えていないのでちゃんと書くことが出来ない。
覚えてはいないけど、毎週リサイクルゴミを捨てる日のゴミ袋は持ち上げるとやたらと重たく、ガラスとガラスが擦れあう音がしており。その音を聴く度、とてつもない嫌悪感に苛まれていたので多分ろくでもない生活だったのでしょう。何故か尿酸値は前年より下がってましたが。

勿論、楽しく酒飲んだり遊んだりもしていたので四六時中ダウナーだったわけでは無いのですが、根底には常にその感覚があり、油断したらそっちに引っ張られてしまうような危機感があったので土日は努めて楽しいことをしておりました。
そんな感じで色々と大変だったこともあり、レコーディングの準備の諸々も「ひぎぃいいい」みたいな感じだったのですが、多分そのレコーディングと準備のおかげで、ここ最近はあの時期みたいにならずに済んでいるのだろうなと思う。

唐突で恐縮なんですが、
小生タダでは転びたくない性格、というか「死なば諸共」が根に染み付いて生きているタイプです。
「君は反骨精神で生きてるね」とか言われたし、実際その気持ちで色々と頑張っていた心当たりはある。"それだけ"と言われると癪やけど。ちゃんと前向きにも頑張っている。
けど、ウエムラの場合はその感覚をもって生きることが恐らくめちゃくちゃ大事で、今日もそんな気質のお陰で何とか元気にやれているのでしょう。

そういう生き方でここまで来ちゃっているので、自殺云々みたいなことについても、自分以外の何かしらから逃げるように死ぬんじゃなくて、自己選択に基づいた大満足な終わり方として「よし!やるか!死のう!」みたいな感じでありたいと元気な時は思っている。
後あんまりガチギレ!みたいにもならん。イライラはするけど。だって普段遅刻しまくってるやつが他人の遅刻にブチ切れるとかあり得なくない?
遅刻に限らず、結構不義理をかましてきたので(反省してます)、大概のことは笑って許そうと心がけている。
まー何かがキッカケでどうにも笑って許せないとか笑って落ち着かせることが無理ってなったときは、俺かてそういう選択をするんでしょうが、どうせそうするならとびっきりのインパクトを残してやりたいなと思っている。
どうしようもない不死鳥みたいになってやるんじゃい!みたいなね、人なのでいつか当たり前のように死にますが。
後ね、死んだら死んだで死んだ本人は良かろうけど、生前「悲しませたく無いな」思っていた人に限って取り返しがつかないような後悔をさせてしまうし、「化けて出てやる!」って思うような相手に限って案外ケロッと忘れてのほほんと元気に暮らすもんよ、多分。

こんな強烈な自分語りをこんなインターネットで晒すなんぞマジで頭がイカれてるとは思うけど、もうほんっとうにキツかったことが今になってようやく大丈夫になりかけてるので続けますね。

ようやく歌詞の内容に入るけど、
この曲については震えるほど自分のために書いている歌詞であり、
ほんのりとした恨み辛みと自分の非を自覚してるが故の後ろめたさとの間でどう着地したら良いのかわからない、みたいな感覚をウエムラなりに落とし込んだ。
我ながら「こんなんミスタニスタでやっちゃったらダメだろ〜家族も友達も会社の人も見てるのに〜いかんでしょ〜」とか思ったけど、この曲はもうこの歌詞以外あり得ないと思っていたので強行突破。

ミスタニスタの曲作りに当たっては、
シバガキが曲を作り、ウエムラが歌詞を書き、後日2人でそのすり合わせを行う、という過程を踏んでいる。
この曲もご多分に漏れず、歌詞の初稿共有後にシバガキと2人で打ち合わせをしたのだけど、シバガキは開口1番「ギョっとした」と言うてた。そりゃそうだ。
俺は「ですよね〜ハハ」とか言うてた。

活休前の音源だと絶対にリテイク出されただろうし、シバガキも当初は考えてたらしいけど諸々話して無事OKが出る。ジョーザキからもなんか言われるかもな、とちょっと不安やったけどそれも無く、ただ見守ってくれた、と思っている。
けど多分リテイク出されたとて同じような歌詞を書いていたと思う。何回NG出されても何回も同じような歌詞を書いて、2人が根負けするまで続けてたと思う。はちゃめちゃにエゴ。全部でこれをしたら確実に友達と仕事を失くす。
けどそうしちゃうくらいにはブリブリな感情で書いたこの歌詞でゴーを出してくれたメンバー2人にはめちゃくちゃ感謝している。この2人と音楽やってて良かった〜。俺が全ての力をもったら、まず2人にはデッカい土地とかをあげたい。エリア指定も可。けど家は自分で建てて欲しい。間取りとかは各々の生活スタイルがあるので。

これもシバガキのデモから始まった曲なんやけど
最初は「明るい曲なので、凡骨日和みたいに元気に憂鬱を吹っ飛ばす歌にしよ!」とか思ってました。
思ってはいたのですが、件の事情で書き始めたら地獄みたいな歌詞になってしまった。けど、恥は書き捨てってことで。洗いざらい吐き出してやっと落ち着く気持ちもあるってことでね。この文章含めて、みんな大目に見てくださいな。
ピンポイントで自分のしんどさをここまで書いちゃったのは初めてだったし、上手く表現出来てるのかは実は良くわからん。
けど、節々にウエムラっぽさはしっかりとあるし、何より俺に1番しっくりくる歌詞はこれなので多分これで正解!そういうことにしましょう。

「帰るにゃバツが悪い」とか、当時思い出すと「うへ〜」ってなるし
「急げあのビルの頂上へ」とか完全にソレやし
「ゴミまみれの部屋、詰まるポスト」とか恥ずかし過ぎるし
「逃げることは出来ないさ しくじれ全てを」なんてもう「ギャー」という気持ちになるんですが、心底そう思っていたし思っているので隠すのも逆にダサいわ、と思っている。
後、書いてるときは必死でしたが、読み返してみるとなるほどなと思うところもある。
「ご縁が有れば来世また」ってフレーズは自分と世間に対する強烈な恨み節だなぁと思うし、
「ご縁が有ればお粗末さま」ってフレーズは現世に対する強烈な執着だなと、思う。
自分で読み返してもう一回自分の感情を掘り起こしている。これが出来るから言葉は良い。
実は1人で全部書き上げられず、メンバーに助けられてるフレーズなんですがこれは後日。

こうありたい、という話になります。
皆さんがご存じの通り、人生には本当に色んなことがあるけど大概は些事である。
そんな中で辛いことも、その些事の一環として当然腐るほど湧いて出てくるんやけど、"生きづらさ"とか"しんどさ"とかそう言った類の原因は大概自分にあると思うように努めている。自分の行動と自分の解釈によってもたらされる感情なので。
それらの感覚が言葉に出来ないのであれば尚更そうだと思っている。
他のせいにするのは楽やけどダサいし、嫌うにもエネルギーがいるしそういうのにエネルギー使うのは勿体無い。なので出来れば何も嫌ったり嫌がったりせずにおりたい。
けど、そう振る舞うにもソレ相応のパワーが必要なこともわかっており、全部が空っぽになるとご飯の味がしなくなったり、声が上手にでなくなったり、これまで楽しいと思えてたことが全然楽しくなくなる。というかそうなることがこの度よーくわかりました。冷蔵庫から豚肉の匂いが消えないことであんなに辛くなることは今後無い、と思いたい。

一方で、自己啓発本各位が「自分の機嫌は自分で取れ!」みたいなことを宣って居られるのを度々見るけど、これはちょっと違うなと思う。それが出来るならこちとらこんなに困りませんよ。困りませんでしたよ。
言ってることは本当にその通りなんやけど。無理な時はマジで無理。それは自分が自分にかける言葉。
けど己の機嫌で人を振り回してしまうことは健全ではないなぁという気持ちもある。その点でいうと己の憂鬱は全部自分のせいであり、そこに対して言い訳も出来ないなと思う。

確かに仰る通り、自分の感情に誰彼構わず人を巻き込むのはあんまり健全じゃ無い。「イライラしてたから」とか「寂しかったから」とか「俺ってこうだから」とか、めちゃくちゃしょうもない。ら抜き言葉をいちいち指摘するくらいしょうもない。
とは言いつつ他ならぬ俺自身がそうやって誰かの感情をかき乱していない、或いはそうしないと言える自信はない。且つ、この度も色んな人に話を聞いてもらってなんとかキッツイ状態を乗り切り、今もこうして絶賛黒歴史を更新し、そんなこんなで何とか人生がポッキリ行くことをギリギリ回避しているわけです。今日も今日とて。
色んなことが重なったときってガチのマジでどうしようもなく辛いんですが、そのまま暮らし続けるつもりなんて毛頭無いし、そんなんにやられてるせいで自分の暮らしばかりが割を喰うのは勘弁してほしい。しかも客観的にみたらここまで人がやられてる様はちょっと面白いなとも思う。趣味が悪いとは思う、すいません。けどドッキリ番組で笑えちゃうのはそういうことよ。知らんけど。
この曲の歌詞にしてもそう。
書いてる時は辛かったけど、いざ歌うのであればちゃんと昇華させてやりたい。自分にとっては不幸でも、誰かにとって笑い種になりそうならそっちの方が皆んな幸せになりそうやし。
「俺の人生こういうの結構多いので、どうせなら生き様ごと笑い草にしてくださいよ!」という気持ちがこもった俺の俺による俺のための言葉たちであります。
俺を支えてくれた人や俺が支えたいと思っている人が、こんな自己中心的な歌詞で以ってして救われてくれ!などというあり得ないくらいワガママな願望もある。

冒頭の話に繋がる。
こうやって健全と不健全の間をフラフラしながら人生ポッキリ回避を重ねるうちに、きっと毎日はマシになっていくのだと思う。成功体験的なやつのお陰なんやろうけど、次回以降は「こないだよりはマシ」とか「あ〜このパターンね」みたいな感じにきっとなる。
正しい表現かどうかはわからんけど、多分確実にちょっとずつ強くなっていくはず。
もしそうであれば、ジャンプ漫画みたいでなんか素敵じゃ無いです??
けどこの話を越前リョーマにしたら「まだまだだね。」とか言われるんかな。うわ、やかまし。しばいたろうかな。しばかんけど。
というか越前リョーマが「まだまだだね。」とかいうてるの、アレ13歳なのね。舐めてんのか。なんか老害っぽくて嫌やけど。
けどリョーマが社会人になったときに仕事でヘマした時は、やっぱり嫌味な上司から「君の提案、まだまだだね。」とか言われるんやろうか。で、そのときに「あん時の俺、流石に良くなかったわ〜」とか思いながら自宅で発泡酒を飲むんだろうか。

あまりに無駄な話をしましたが、こんな具合にダメ人間を体現したような意志の弱さと怠惰な感性を携えながら暮らし続けて、とうとう30歳になります。
なんだかもう「本当にどうするの?」と自分で言いたくなることばかりですが、流石にここまできたら己の気質を受け入れるしかない。
早起きが苦手なのも、ダイエットとか言いながらラーメン食うのも、過去の失敗を思い出して凹むのも、大して読まれない駄文で自分語りをしてしまうのも。
けどそれは開き直りではなくて、力の入れ方とか欠点のマスキングの仕方や見せ方を学ぶということなのかもと考えている。
スピードが出ないピッチャーがコントロールと変化球を極める、みたいな。見た目に自信がないホストが気遣いとトークを極める、みたいな。ギターに自信が無いギタリストが歌と感性を磨いてみる、みたいな。
己を救うために言うてる節はあるけど、苦手なことは及第点にちょっと及ばずくらいでも別にええねん。「スキルは掛け算」って会社の先輩も言うてたし。
今後大事にするべき人は案外そこも含めて理解してくれるし、理解してくれない人に対して敢えて迎合する必要はあんまり無い。ご縁があったら「ドンマイ!残念でした!」という元気なハズレクジでいることにする。というかします。

繰り返すけど、この曲はあまりに自分事になってしまっている。
故に「聴いた人にとってどうか」という作る側の人として必要なマインドが笑っちゃうくらい欠如している。
従いまして、恐らく"作詞"という面で見るとこれは失敗作、だと思っております。情けないことに。これでも結構歌詞書いてるんですよ。
しかしながらどんな曲を聴いてもしっくりこなくて、それでも今のままである事が耐えられなくて、尚且つ当時のあの感覚を乗り越えることはウエムラの人生において非常に大事なことであるような気がしていたわけです。
それからちゃんと形にするっきゃないでしょーに。
己の感情を他人に語らせてたまるかい!みたいな日がたまにあるんです。くるりのマーチを聴いて号泣する日もありますが。HY聴いてええなぁとなる日もあります、勿論。なんなら好きです。

このライナーノーツを含めて、いい大人が書くような内容では無いのだろうけど「これは形にしなくては」という気持ちの一点突破で駆け抜けた経験は何事に於いても活きてくれると信じている。
カラオケ配信される予定はないので、大きな声で歌うのは多分俺くらいなんでしょうけど、機会があればやってみてください。
この曲のラスサビの言葉たちを元気よく歌えるようになれたら、それは人生いい感じに戻ってきてる証拠だ。多分。

ごちゃごちゃ遠回りしたけど、何事も言うほど誰も悪くない。けど相性が悪い人や物事は本当に何をどうしても無理。だからといって無下にして良いわけも無いのだけど。
とは言っても関わり続けるのは多分自分がしんどくなっちゃうだけなので、しんどかろうがブッタ斬るなり都合よく蓋をするなりして、自分が大事にしたいものを自己満足的に思い切り大事にしながらやっていきましょう、という話。
もしこの曲を聞いてくれる貴方がめちゃくちゃしんどい時、本当に心底ダメになってるのだとしたらこの曲は多分微妙と思うかも。というかそういう時はどんなに好きな音楽も響きはせんよ。
なので"いよいよダメになる直前"、或いはちょっと「いけそーかも」ってくらい復活したときにこの曲を思い出してくれると嬉しい。ヤケクソに近いような根拠の無い元気に溢れることを祈る。

ひたすらに安心して欲しいのは俺は恐らく貴方よりもダメダメな人間ですが、ギャーギャー喚きながらもぼちぼち元気に生きているので程々にそんな俺のことを馬鹿にしたり見下しつつ自分を肯定してあげてちょーだい。

P.S. 
こないだ「体がきちー」となって整体に行ったら、初めて令和500円玉と出逢えました。「お!マジすか!初めて見ました!めっちゃテンション上がりますわ!」とかはしゃいでたのですが、先生は「そっすか、よかったす。ハハ」と言ってました。そこは気持ちを分かち合えよ。

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