10年前は「史上最弱」と言われた…北海道コンサドーレ札幌がJ1で戦えるクラブになるまで
2018年に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもと、攻撃的なサッカーでJ1に定着している北海道コンサドーレ札幌。2018年にはJ1で4位、2019年にはルヴァンカップで準優勝を果たすなどACL出場やタイトル獲得も視野に入れている。そんな札幌だが、10年前の2012年には「史上最弱」とも言われるほどに悲惨な成績でJ2降格を経験している。対戦相手の選手からも苦言を呈されるほどだったクラブがJ1で戦えるようになるまでの軌跡を辿っていこうと思う。
1.ワースト記録づくしの降格劇
2011年、J2で3位となった札幌は4シーズンぶりのJ1復帰を果たした。石崎信弘監督のもと粘り強い守備からの速攻を武器にJ2を勝ち上がり、2012年は悲願のJ1残留を目標としていた。しかし選手の年俸等に使える強化費はリーグでも圧倒的に最下位であり、残留は厳しい台所事情であった。
迎えた2012年は、河合竜二や内村圭宏といった昇格に貢献したメンバーに加えて、前田俊介や山本真希といった実力者を補強して残留に挑んだ。
開幕戦のジュビロ磐田戦ではスコアレスドローにより勝ち点1を掴んだが、次節のヴィッセル神戸戦から7連敗。
第9節のセレッソ大阪戦で初白星を掴んだが、その後は9連敗で残留圏にはほど遠い最下位が定位置となってしまった。クラブは夏の移籍でMFハモン、FWテレらを補強して残留を目指したが、最後まで好転することはなく第27節の川崎フロンターレ戦の敗戦により、7試合を残しての史上最速でのJ2降格が決定した。
このシーズンは最終的に4勝2分28敗の勝ち点14、得失点差は−63となり、勝ち点と得失点差はJ1が34試合制になってからのワースト記録。失点数88もワースト記録を更新することとなった。
当時主将を務めた河合竜二は「何をしても勝てる気がしなかった」と引退後のイベントでこのシーズンを振り返った。前年に守備の要として活躍した山下達也がセレッソ大阪に移籍し、正GKとして昇格に大きく貢献した李昊乗は5月のカップ戦でシーズン絶望の大怪我を負うなど前年J2を勝ち上がった堅守は完全に崩壊。この崩壊ぶりから一部サッカーファンからは「さっぽこ」と呼ばれるほどであり、J1では通用しないというレッテルを拭えないままJ2へと逆戻りとなった。
2.新社長の就任、クラブの転換期へ
2013年は再びJ2での戦いとなった札幌だが、クラブは財政面で大きく問題を抱えていた。J2降格に伴い、クラブの経営規模は縮小し、ベテラン選手など多くの選手の放出を余儀なくされた。かつて主将としてJ2優勝に貢献した芳賀博信や高木純平、岩沼俊介といったレギュラー格がチームを去り、チームの強化費はJ2でも下位クラスまで減らされる見込みとなっていた。
そんな厳しい状況の中、新社長に就任したのがクラブOBの野々村芳和である。選手として2シーズン札幌でプレーし、J2優勝やJ1残留に貢献。解説者として活躍していた野々村氏の社長就任には驚きの声が多かった。
野々村社長は元解説者としての知名度を活かし、積極的に道内のメディアに出演するなどクラブに興味を持ってもらう人を増やすために自ら動いた。また、夏にはベトナムの英雄と呼ばれる同国代表のレ コン ビンを獲得。東南アジアでの新規スポンサー獲得やクラブの海外進出も進めていった。
サポーターにもクラブの現状をメディアを通して発信していくことでサポーターとクラブが同じ方向性を向いていくようになったのもこの頃からだろう。
2013年は財政面の問題もあり若手主体のチームとなったが、同年に就任した財前恵一監督のもと、バスを繋ぐ攻撃的なサッカーを展開。最終節まで昇格プレーオフ進出の可能性を残すなど健闘し、8位でシーズンを終えた。
野々村社長の働きもあり、クラブの経営状況は改善していき、チームの強化費も少しずつ増加。2014年には小野伸二、2015年には稲本潤一といった元日本代表選手の獲得にも成功し、若手の成長を促していった。チームは結果としてJ1昇格を3シーズン続けて逃したものの、クラブは少しずつ目標であるJ1定着に向けた歩みを進めていくのであった。
3.再昇格そして悲願のJ1残留
クラブ創立20周年として迎えた2016年。前年途中に就任した四方田修平監督のもと、混戦となったJ2で札幌が主役となった。開幕戦は東京ヴェルディに敗れたものの、第2節のFC岐阜戦で都倉賢のハットトリックにより4-0の快勝を収めるとそこからは安定した戦いを披露。
J1クラスの戦力を揃える清水エスパルスやセレッソ大阪も下し、5月以降首位の座をキープし続けた。
後半戦には失速に加え、他クラブの猛追により激しい昇格争いに巻き込まれたが、第41節のジェフユナイテッド千葉戦で内村圭宏のアディショナルタイム劇的逆転弾により結果的に勝点1差でJ2優勝とJ1昇格を達成した。
そして屈辱の最速降格から5年後の2017年、札幌は再びJ1の舞台に挑戦することとなった。シーズン前の下馬評では断トツの降格候補。クラブもサポーターもとにかくJ1残留という目標に向けて一致団結することができた。
開幕2連敗でスタートし、シーズン中盤には6連敗を喫した時期もあったが、粘り強い戦いで着実に勝点を積み重ねていくと前半戦終了時点で残留圏内の15位。勝点も既に5年前を上回っていた。
残留という目標が現実的なものとなった中で迎えたシーズン後半戦、クラブは勝負に出た。それはタイ代表のチャナティップ、元イングランド代表のジェイという2選手の獲得である。「このシーズンは何がなんでも残らなければならない。」クラブに関わる全ての人の想いがこの補強に現れていたと思う。
この2選手のデビュー戦となった第19節の浦和レッズ戦では3万人超えのサポーターの前で同年アジア制覇を成し遂げた強敵を撃破した。後にこの浦和戦はクラブの歴史を大きく変えた1戦となるのである。
終盤戦まで厳しい残留争いとなったが、10月に入ると途中加入のジェイが大爆発。28節柏レイソル戦での2ゴールを皮切りにラスト6試合で8ゴールの大暴れ。チームもその6試合で5勝1敗と一気に勝点を積み上げ、32節清水エスパルス戦で勝利で16年ぶり2度目となるJ1残留を勝ち取ると最終的には12勝7分15敗でクラブ最高位に並ぶ11位でフィニッシュ。屈辱の降格劇から紆余曲折を経て、J1でも戦えるクラブであることをついに示したのである。
4.名将の招聘、更なる高みへ
2017年のシーズン最終節の直前に衝撃のニュースが駆け巡った。それは2018年から新監督として浦和レッズの全指揮官ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任するとのことである。浦和では年間勝点1位やルヴァンカップ制覇を成し遂げた名将の招聘ではあるが、残留を成し遂げだ功労者である四方田監督を変えてまでの就任には賛否両論の声が多かった。
四方田体制では3-4-2-1のシステムで戦っていたが、ウイングバックの選手を最終ラインに下げて5バックでブロックを形成する守備的な戦い方であった。一方のペトロヴィッチ監督は逆にウイングバックが前線まで上がり、5トップで押し込むという超攻撃的なスタイルであるため、今までのスタイルから真逆のものとなる。さらに過去に指揮したサンフレッチェ広島ではJ2降格を経験していることも札幌サポーターが不安に感じていた理由の一つである。
しかし、そんな攻撃的なサッカーによるバランスの崩壊を避けるべくクラブは四方田前監督をヘッドコーチにしてチームに残留させたのである。野々村社長はペトロヴィッチ監督の攻撃的サッカーをコーチとして学ぶことで四方田前監督の更なるレベルアップに繋がるとして慰留し、ヘッドコーチ就任が実現した。
シーズンオフも積極的な補強を行い、浦和でペトロヴィッチ監督からの指導を受けていた駒井善成や川崎フロンターレの若きホープである三好康児を獲得。現有戦力の慰留にも成功し、攻撃的な札幌のサッカーが始まったのである。
シーズンが始まると不安視されていた守備面の乱れから開幕3試合未勝利のスタートとなるが、4節のVファーレン長崎戦で初勝利を飾ると、その後は11試合負けなしを記録し上位戦線に絡むことに。シーズンを通して安定感のある戦いを見せた札幌はACL出場圏となる3位以内の争いに加わり、最終節のサンフレッチェ広島戦に勝利すれば3位以内が確定する所まで上り詰めた。その最終節では2点リードを守り切ることができるドローで最終的に4位でフィニッシュ。ACLには届かなかったが、クラブ最高位を更新する成績を残した。
この年はペトロヴィッチ監督のもと、多くの選手が飛躍。加入2年目のチャナティップはリーグベストイレブンに選出され、進藤亮佑や菅大輝といったユース出身の若手選手をはじめ、センターバックにコンバートされたキム・ミンテもチームに欠かせない選手となった。
翌2019年は、エースの都倉賢がセレッソ大阪に移籍する驚きのニュースが駆け巡ったが、代役として鈴木武蔵を獲得。アンデルソン・ロペスやルーカス・フェルナンデスといった打開力の高い外国籍選手を加えたことで攻撃の爆発力はアップ。23節の清水エスパルス戦では敵地で8-0の歴史的圧勝を収めるなど攻撃面での強さが目立った。
リーグでは後半戦に失速したことにより10位という成績に終わったが、ルヴァンカップでは快進撃を見せ、21年ぶりに決勝トーナメントに進出。トーナメントでもサンフレッチェ広島、ガンバ大阪を撃破し、クラブ史上初となる決勝進出を果たした。決勝の川崎フロンターレ戦は歴史に残る死闘にとなり、激しい点の取り合いの末、PK戦に突入。札幌は決めれば優勝というところまで行ったものの、5人目の石川直樹と6人目の進藤亮佑が連続で失敗し、あと一歩のところでタイトルを逃した。
それでもクラブはACL出場やタイトル獲得が現実的な目標として目指せるようになり、残留が目標だった数年前には考えられなかった景色が広がっていった。
5.更なる新しい景色を目指して
数年で大きく飛躍した札幌だったが、2020年からの新型コロナウイルスの影響によるスタジアムの入場制限等により、財政面は苦しくなっており、大型補強はなかなか難しい状況となっている。2020年は12位、2021年は10位と中位が定位置となっているものの、攻撃的で魅力的なサッカーは成熟してきている。鈴木武蔵、ク・ソンユン、アンデルソン・ロペスとこの2シーズンで主力が多く流出。さらに今季はジェイとチャナティップがチームを去り、ルヴァンカップ準優勝時の主力が多く抜けた。
それでも近年は優秀な大卒選手の獲得に成功できるようになり、金子拓郎や田中駿汰、高嶺朋樹など若手選手がチームの絶対的な存在となっている。J1に上がってもすぐJ2に落ちてしまう苦しい時期が長かったクラブの未来は2016年の昇格以降一気に明るくなっていった。
クラブを大きく立て直した野々村芳和社長がクラブを去った今季、札幌は更なる新しい景色を道民に見せてくれるのか。伸びしろ十分のクラブの戦いぶりに今後も注目していきたい。
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