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マニアは、好きの優先順位が高い結果、好きと関係のないことは疎かになる。

社会性や協調性の有無は、属する集団の定義で変化する。

 社会性、協調性がないとはどうゆうことだろうか。社会性とは、属する社会集団と関わっていく性質であり、協調性とは他人とうまくやっていいく性質である。社会性・協調性とは、所属する集団に関わって、他人とうまく付き合って行く性質のことである。
 それでは、社会性・協調性がないとはどうゆう意味になるだろうか。先の説明に従うと、「社会性・協調性がないと」は、属する集団に関わらない、又は、関わってもその集団のなかで他人とうまく付き合っていかないことである。違法行為や迷惑行為を繰り返し、社会全体の秩序を乱す行為をする人は、社会集団とうまく付き合わない、社会性のない人となる。属する集団を仕事仲間とすると、その仕事仲間の和を乱し、仕事の成果や目標を向かうことを妨げる人は、仕事仲間とうまく付き合っていかない、協調性のない人となる。このように、社会性・協調性の有無は、属する集団に関わって、うまく付き合っているかどうかで決まってくる。
 しかしながら、注意すべき点がある。この社会性・協調性の有無は、あくまでも定義した集団において決まるものである。仕事仲間とは付き合わず、趣味の仲間とはうまく付き合っている人は、仕事という集団に対しては、社会性や協調性がなく、趣味で繋がる集団のなかでは、社会性・協調性があるということになる。社会性・協調性の有無なんて、定義する集団によって変化する程度のものであると理解する必要がある。

結局、印象の問題

 マニアが社会性や協調性がないと感じるのは、なぜだろうか?結局印象の問題であると考えている。マニアのなかにも社会性や協調性の有る人も無い人もいる。地域の取り組みや職場には興味なく最低限の関わりで過ごし、好きな事で集まる集団とはうまくやっている、協調性のあるマニアはたくさんいる。反対に、好きな集団ともうまくやっていかないマニアも多くいる。ゲームの共同プレイができなかったり、マナー違反したりするマニアはどこにでもいる。マニアであろうとなかろうと社会や職場とうまく付き合っていけない人はいくらでもいる。マニアに限るものではない。
 当たり前だが、自分の家で変わった物を収集していても、変な嗜好の持ち主であっても、社会性や協調性とは全く関係がない。集団と関わってうまく付き合うかどうかだけである。マニアであろうとなかろうと、社会性や協調性のない人なんて探せばいくらでもいる。一方で、好きで繋がる集団とはうまく付き合っている。結局、社会性・協調性の有無は、当人の性質の問題であり、個々で判断すべき事柄である。マニアであれば、社会性・協調性がないというのは、必ず当て嵌まるものではなく、印象の問題である。

単純に優先順位の問題

 印象の問題と記載したが、なぜ、マニアは、社会性・協調性がないと感じるのだろうか?。マニアは、自分が好きで興味のある特定の分野に関して、素直に優先順位が高い。面白くない必要もない会合や飲み会に参加してなんの意味があるだろうか?その集団からの誘いがなくなる程度である。なかには、嫌がらせをする集団もあるかもしれない。それも踏まえて、優先順位の問題である。集団行動をしないわけでもない。集団の和を乱してはいけないとも考えていない。好きな事を優先し、それに没頭するあまり、職場や学校、地域の取り組みといった集団との付き合いが疎かになる。夢中になり過ぎて、気が利かなくなることも多々ある。ただただ自分の好きな趣味の優先順位が高いだけである。結果として、なんとなく、趣味や好きを優先するマニアはすべて社会性や協調性がないと感じるだけである。

好きなことの優先順位を高くしたい。

 正直、好きな事の優先順位を高くしたい。今は、ある程度割り切って好きを優先できるようになってきているが、過去には、自分がしたいことより、職場でのつきあいを優先した結果、時間と金を無駄にしたなと後悔したことは何度もある。好きの優先を高くし、そのとおり実行しているマニアの方々を尊敬しており、そうなりたいと常々思っています。
 だから、最後に言っておきたい。マニアは社会性・協調性がないから嫌と感じているあなた。もしかしたら、自分に嘘をついて周囲に合わしている自分が嫌で、マニアに嫉妬しているだけということがありませんか?マニアは、自分が気を使われることを期待していない人も多く、気が利かない人物を不快に思わない度量の広さ(鈍感なだけかもしれないが)ももっています。好きで繋がる集団をみてください。楽しい人がいっぱいいます。集団とうまく付き合っているマニアもたくさんいます。マニアの考え方をまねてみてください。マニアに近づいてみてください。好きの優先順位を高めると楽しいと思いますよ。