並列処理、スタンドアロンのすすめ
コロナで浮き彫りになってきた直列処理の脆弱性というか短所というか。
今までの日本は基本的にトップダウン。上が情報を処理して命令を出し、下はそれに従う。処理は上で完全に一元管理され、下は情報の処理を行わず、下された命令をそのまま行動に移す。
大きな組織、大人数を動かす場合はこちらのほうがラクで早くて正確な場合もある。ただしそれは、上の情報処理や命令が正確で正しいものであるという前提の上で、という話だ。
今回の政府のあたふた、各都道府県知事の独自の判断や行動を見るとわかりやすい。上の情報処理や命令やが不正確だったり遅かったりしたおかげで、各自治体区長がそれぞれ各個で処理を始めた。並列処理。スタンドアロンで稼働し始めたわけだ。
これは行政に限った話ではない。国民にもこの状況が発生している。
外出自粛や3蜜を避けろ、という要請が出ているにも関わらず外出したり人の多いところに出向いたりしてしまうお馬鹿さん達は今回置いておくとして。
買い占めに走ったり、とにかく政府を批判したり、田舎へコロナ疎開したりとまぁ、行動がちょいちょいバグってきている。
日本国民はトップダウンで生きることに慣れすぎた。自己処理能力がとにかく低いのだ。各個のCPUの性能がそもそも低い。だって上がみんな一元処理してくれるんだから。高性能CPUが必要なのは支持を出す端末のみであり、末端の端末に処理能力などいらないのだ。
だから日本国民のCPUはどんどん劣化していった。
そのため、「トイレットペーパーが無くなるかもしれない」なんていうたった一つの情報で即座に「トイレットペーパーを買いだめする」という行動に移ってしまう。
「安倍の采配はおかしい」と誰かが言えば「そうだ確かにおかしい」とインプットされたことをそのままアウトプットしてしまう。
「東京は危ないから帰ってきなさい」と田舎の家族から言われれば「あぁそうか危ないな帰ろう」と田舎へ帰ってしまう。
今の日本人は入ってきた情報を何一つ処理していないのだ。
だが、僕は誰にでもそれなりのスペックのCPUが必ず積まれていると考えている。ただ、そのCPUの使い方がわからなかったり、命令の出し方が下手だったりするためにCPUが動かない状態になっているだけだ、と僕は思う。今までの経験でもそれは強く思う。
なんだかんだ言って大抵の人はちゃんと一人暮らしができるし、どんな女の人でも結婚してお母さんになったら家のこともやるし子供だってちゃんと育てられる。
新入社員だって学生のバイトだって、ちゃんと任せてあげれば自分で考えて自分で仕事を見つけたり作ったりして、ちゃんと自分で仕事をすることが出来る。
僕はそういう人達をたくさん見てきた。だから断言できる。この世に使えない人間などいない。原因はそっちじゃない。使い方が下手な人間、つまり上に立つ人間の方だ。
どんな人間でも、目的地を伝えればそこへ到着することが出来るだ。
現在地は東京駅です。目的地は新宿駅です。
この指示だけで、その人はちゃんと新宿駅に着くことが出来る。それにプラスして「何月何日の何時に新宿駅東南口前に居て」と付け加えれば完璧だ。どんな人でも間違いなくその時間その場所に着くことが出来るだろう。
だが、指示が下手な人はこう言う。
「そこ右に曲がって」
え?どこだよ?
「そこだよそこ!ほら右に曲がれっていってんだろ!!!」
はぁ?わかんねーよどこのことだよ
みたいなことになる。この調子で行くと新宿駅に到着するまでの間に一体何度指示を出さなければいけないのか。そして何度こうやってお互いに確認しあわなければいけないだろうか。
無駄である。クソほど無駄である。
この調子で指示を出すと単純に命令数が多くなってしまう。そして管理者側は当然他の個体にも指示を出しているので、個体の数だけこれが倍々で増えていく。
管理者側は管理者側の仕事もあるだろう。こんな指示の出し方をしていては仕事を処理するどころか増えていく一方だ。
だからこそ、目的地だけ伝えればいいのだ。時間と目的地。納期と目的地。それだけでいいのだ。細かく言えば時間と目的地と品質と、とか色々ちょっと増えるけど、基本は時間と目的地それだけ言って後は任せれば、あとはみんな勝手に動いてくれる。
ここで注意しなければならないのは、指示を出した個体がどういう経路を選択したかに関して口を出してはいけないということだ。
前述した例で考えてみよう。東京駅から新宿駅に行くにはどうするだろう。普通に考えたら中央線だろうか。
だがそこへ到着する術は案外たくさんある。丸ノ内線、山手線、バス、タクシー、自転車、徒歩、頑張ったらヘリコプターとか出来るかもしれない。
そこで例えば指示を出した対象が中央線ではなく丸ノ内線を使ったとする。普通に考えれば中央線のほうが早い。あえて丸ノ内線を選択する必要など基本的にはない。
そう考えて指示を出した側は大抵口を挟んでしまう。
「お前なんで中央線に乗らないんだよ!なんで丸ノ内線なんか乗ってんだよ馬鹿か!」
いや、中央線人身事故で遅れてて…
「え?あぁ。そうか。」
無駄である。クソほど無駄である。
中央線が早いというのはあくまで”中央線がなんの問題もなく定刻通りに稼働しており、駅構内も通常通りなんの問題もない状態なら”という条件付きだ。
それが日常で当たり前なので忘れがちだが、これは立派な”条件”なのである。
しかしそんなことは結構簡単に崩れ去る。ちょっとしたトラブルやアクシデントなど日常のいたる所に潜んでいるのだ。
人身事故、駅構内の異常な混雑、駅構内でなにかトラブルが発生していて人だかりができてて全然動かないとか、結構あるあるじゃないだろうか。
災害なんかが起きた日には下手をしたら徒歩が一番早い可能性だってある。
だがその現場の状況を管理者側は知らない。知り得ない。だからこそ、現場にいるその人にその場で考えてもらって一番はやい確実な方法を考えて処理してもらったほうがいいのだ。
指示も減らせるし、ほんの些細な下らないトラブルの解決策をいちいち管理者が考える必要もなくなる。任せるだけで後は勝手にやってくれる。
だがその”任せる”を大抵の管理者は出来ない。
そしてその”任される”も案外出来ない。
この社会は、勝手にやったら怒られ、やらなければ怒られる社会だからだ。結局何やってもやらなくても怒られるので何もしないが最適解になってしまっている。かなり多くの人間が。
もちろん、それだけの権利も義務も責任も与えていないのだから当たり前なのだが。
なので管理者側はそれを与えるべきだし、被命令側もそれを積極的にもらうべきだ。
そうして各個がスタンドアロンで動くようになれば、管理者側は”管理者本来の仕事”に時間を割ける。
被命令側は、上司に縛られること無く自分のやり方やペースで”自分の仕事”が出来るようになる。
そうして処理を分散することにより、組織全体での処理能力を底上げすることが出来るのだ。
現状ではごく一部の人間だけが処理をしているため処理がパンクして、ただでさえそこまで高くない処理能力を更に落としている。サーバー落ちしているのだ。
こういった今までの働き方、生き方を改善して皆がスタンドアロンになることができればこの国は次のステージへ進化していくことが出来るだろう。コロナはその一助になる。
いや、その一助に出来るかどうかは日本人次第なのだが。
で、多分出来ないと思うので意識してやろうよ、というのが今回の記事というわけだ。
我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。 ─ 荒巻大輔
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