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私を見つける① 【足りないかけら探し】

こんなに深く胸に響いた絵本ははじめてで涙がとまりませんでした。

『ぼくを探しに』シルウァスタイン作

何かが足りない
それでぼくは楽しくない
足りないかけらを探しに行く
ころがりながらぼくは歌う
「ぼくはかけらを探してる、足りないかけらを探してる、
ラッタッタ さあ行くぞ、足りないかけらを……」

「ぼく」は自分のかけている部分、「ぼくのかけら」を探しに旅に出ます。
ころがりながら、歌いながら、自分に足りないかけらを探す旅。

みみずとお話したり、花のにおいをかいだり、雨の日も、かんかん照りの日も、野を越え、山越え。

途中、いろいろなかけらを見つけても、小さかったり、大きすぎたり。
そしてついに自分にぴったりのかけらに出会います。

ぴったりのかけらをはめて転がりはじめると、今までのようには楽しく歌えない自分に気づきます。そしてそのかけらをゆっくりとおろしてまた転がりはじめました。


こんにちは。“今よりちょっと自分を好きになる暮らし方”を手に入れるお手伝い役、ライフオーガナイザー®武田和美です。

小学生わんぱく男子2人の母です。大学卒業後、設計事務所に勤務していましたが、出産を機に専業主婦になりました。

子供が生まれ、家にいる時間が長くなると、より住まいを快適にしたいという想いで収納を見直したりするのが楽しくなり、長男が幼稚園に入園してからは週に何度もお友達が遊びに来るようになって、いつでも人を呼べるように整えておくこと、それを褒めてもらえることに喜びを見いだすようになりました。

けれど、見せかけだけのきれいさや収納法では自己満足だなと思うようになり、家族にとってもそれぞれに快適であるように暮らしを整えるライフオーガナイザーという職業を知りとても興味が湧きました。


また息子の通っていた園が仏教の幼稚園で、理事長先生に「自分はどう生きたいか?」「我が家はどうありたいか?」など、たびたび問われる中で、いつも人と比べては落ち込み、ないものねだりばかりしてきた私はたくさんの気づきをもらい、もっと自分と向き合ってブレずに生きていきたい!情報や噂や周りの影響をとても敏感に受ける母だからこそ、自分軸をしっかり持ちたい!と思うようになりました。

それがライフオーガナイズの考え方ともリンクしたので、自分のために資格を取りたいと思ったのが、私がライフオーガナイザーになったきっかけです。


息子たちが通った幼稚園は毎日お弁当、徒歩通園で、遠足は毎年親子で田植えをし、稲刈りをして脱穀したお米で母がおにぎりを握る会や持ちつきの会があったり、年末には締め縄まで作るような園でした。

制服は冬でも半袖短パンの体操着に素足にゾウリ、園庭にはお父さんたちが作った遊具やツリーハウスがあったり、母たちのサークルは20近くあって、草木染めをしたり陶芸をしたり、園児が料理活動で使う味噌を仕込んだり、梅干しを漬けたりと毎日、私も子どもと一緒のお弁当を持参して登園し、終日園で過ごすようなめちゃくちゃ濃密な幼稚園生活を送っていました。

年少・年中・年長が同じクラスという縦割り保育の園で、中には障害を持った子もいたりするのですが、そんな中でも子どもたちは出来ない子を自然に手伝い、出来る子を見て学び、お互いを尊重し合って100人いれば100通りのありのままを受けとめて、自分らしくキラキラしていました。


そんな子どもたちとは反対に、私はずっとないもの探しをして生きてきました。自分に足りないものは補わなくては。できないことはできるように努力しなくては。一人の人間としてきれいな丸にならなくては。

だからどこかを褒められても、「いやこっちはできていないから」とそれを自信にすることもできませんでした。だから我が子にも足りないところを見つけては丸くなるように埋めようとしていたので欠けている部分ばかりが目についていたのかもしれません。


早生まれで感受性の強い長男の子育てにすごく悩んできて、次男が生まれてからはさらに大変になり、3年ほどの子育て暗黒期を過ごしましたが、仏教やコーチングやライフオーガナイズの考え方を学ぶことで少しずつ色々なこだわりを手放し、たくさんの母たちに助けられ、「完璧な丸にならなくてもいいんだ!」とようやく気づきました。

自分の足りないかけらに誰かがなってくれる、誰かの足りないかけらに自分がなればいい、親も子も夫婦も足りないかけらはお互いに補い合えばいいんだ!

それに気づいたら、子育ての悩みも自分の自信のなさも薄れていきました。


つづく・・・次は私の苦しかった子育て暗黒期について書いていきます。

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