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恋愛体力。

「恋をする」というのは
「とても体力がいることだな」と
30歳を過ぎてから思うようになった。


あの頃は
何が好きで何が嫌いかを知りたいという気持ちも
今日は会えるかなとワクワクする気持ちも
返信がなくて不安になる気持ちも
すべてが愛おしくてたまらなかった。

いろんな感情に飲み込まれながらも
「恋をする」日々を楽しめていたのは
「若くて元気だったから」だと思う。


今のわたしは
「恋をする」ことに憧れを抱きつつも
「恋をする」ことを「2度と経験をしたくないもの」に分類している。


いくつか恋愛をしながら
「始まりは終わりのスタート」だと知っていったわたしは
「恋をする」というのはとても怖くて恐ろしいものだと思うようになっていった。

わたしは
「終わり」を迎える恋愛しか知らない。
「傷つく」恋愛しか知らない。

終わりを迎えるたびに
自分のダメなところをつきけられ
自分は何かが欠けている気がして
悩み、落ち込んだ。

「失恋」というのは
肉体のどこにも傷がつかないはずなのに
とにかく何かが痛くて苦しかった。

内臓をもぎ取られたのかと思うぐらい
痛くて苦しかった。
(もちろん、もぎ取られたことはないので
 ほんとの痛みとは比較できないけれど。)


失恋ソングを聴いては泣きじゃくり
痛みに悶え苦しみながら笑顔をつくり
「悲劇のヒロイン」になったような気持ちで星を見つめながら夜をやり過ごし。

どんなに寝不足でも
学校へ行き、会社へ行き、
普通の毎日をこなせていたあの頃。

ほんとうに若くて元気だったな、と
思い出しておかしくなる。

わたしにもそんな時代が確かにあった。

あの頃はそうしているうちに
いつのまにかその痛みは昇華され
次の恋愛への希望を見い出し
再び立ち上がり前を向いていた。


けれど…
今はもう無理だ…。

いくつかの失恋の経験を経て
わたしの自尊心は削りに削られた。

気がつかないうちに。
わたしが思っている以上に
わたしは大きな傷を負っていたようだ。


もう一度「終わり」を経験し自尊心を失う勇気も
「終わり」から再び立ち上がるための体力も
もうない。
HPゼロってやつだ。


次に傷ついたときが最期。
わたしはもう2度と立ち上がれなくなる。
ギリギリのところでなんとか均衡を保っている。


もう傷つきたくない。
もうこれ以上、自分のことを嫌いになりたくない。


「今回は恋愛に縁のない人生だから諦めよう」
と自分自身に言い聞かせて
「恋をする」ことから逃げて
自分自身の自尊心を守るようになっていた。



誰かに「愛される」日々に憧れながら
わたしにもいつかそんな奇跡が起きないかなと
ひっそり願っている。

そんな思いは心の奥に閉じ込めて。



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