人間関係のタワー

人間関係の深度や親密度を測る時、ついついどれだけのことをしてもらったかで考えてしまうのは当たり前だと思う。

だからこそ、結婚式のスピーチの時には「今まで育ててもらって」なんて言葉が出たりだとか、SNSで彼氏自慢をするときにはもらったプレゼントの写真をあげたりしちゃうわけだし、自分が何かしら相手に向けた行動するときにも「まぁ前に●●してもらったしな」なんて発想も出てきてしまう。


施し、なんていうのはあまり聞こえの良い言葉ではないのかもしれないけど、綺麗事は言っても所詮この世はギブ&テイクで、お互いの行動が平等でないと不満が生じたりやる気にならなかったりするものだと思う。

私は決して友達が多い方ではないし、職場は少人数だし、何なら家族なんて夫と姉妹を除けばいなくなっちゃったし、比較的人間関係が小さな小さなサークルで回っている。
ただ10年前までは、とにかく多くの人間と日々関わり合い、今とは対極の位置で人生を歩んでいた。そんな過去と比べても、特段今の生活に物足りなさとかは一切感じない。(ちなみに物足りなさを感じない、というのは満足しているという意味とは少し違う。)


話を戻して、33歳になった私が人間関係に必要なものとしてギブ&テイクの概念は一切なくなった。そこにあるのは好きか嫌いかだけだ。
もちろんギブしてもらったから好きということもあるかもしれない。とはいえこれだけ生きてたら、いくら高価なプレゼントを貰おうが根本的にこの人苦手なんだよなんて考えも出てくる。

今私は比較的好きな人ばかりに囲まれた贅沢な生活をしているわけだが、ここに至るまでに多くの嫌いな人間を切り捨ててきたし距離をとってきた。人間関係を断捨離してみて気づいたのは、先述したように特に物足りなさだとかは感じない極々変わらない日常を送っているということ。あえてポジティブな変化を挙げるなら小さなストレスが減ったことと、無駄な付き合いが無くなりお金に少しの余裕が出来たこと。
たまに「おいおい私友達少なすぎやせんか…」とSNSを見ていて猛烈な不安に襲われることがあるので、完全なストレスゼロとは言い難いが、それは他者に与えられたものではないので自分の中に解消方法があったりする。

私は亡くなった両親が大好きなんだけれども、それは決して育ててもらったからではない。
そして夫も友人も大好きなんだけれども、それもまた何かしてくれたからとかではない。思い出やエピソードとしてはもちろん多数出てくるけれど、それらが直接好きに結びついているわけじゃない。それならもっとたくさんの人を好きになれている。

彼らに共通しているのは、私のことを決して傷つけないというその一点だけだ。

傷つけない、という言葉の意味は、いつだって私の味方をするだとか応援してくれるとかそんなことじゃない。とにかく傷つけないのだ。
暴力とか物理的なことは当然として、私が悲しむ言葉を言わない、私が落ち込むだろうなという行動をしない。だからこっち側だけで勝手に好きが積み重なっていく。
プレゼントや金額が積み上がるのではない。気持ちだけが積み上がっていく。

もちろんみんな、破天荒なことやそれどうなのということを私がしようとする時にはしっかり反対してきたし、怒ってきた。でもそれはいずれも私を傷つけるものではなかった。
言葉選びや行動が思慮深かったのもあるだろうけど、きっと彼らも私を傷つける意図は全くなかったから私も傷付かなかった。

私は本当に都合の良い頭をしているので、悪意だったり攻撃性には非常に敏感で、いかに柔らかい言葉を使っていようが悪意が少しでもあればそれを見つけることがとっても得意で、ギャンギャンに噛みつきたくなるのだが残念ながら彼らにはそういった噛み付けるものがなかった。何度1人で言葉を反芻しても、悪意が見つからない。歳をとって気づくのは、そこには悪意どころか思いやりしかなかったことだ。
もちろん若い私はそんな思いやりにその場で気づくことができなかったのだが、悪意も感じないので噛み付くこともできず、ただ機嫌が悪くなってグヌヌヌと黙るだけだった。


現在比較的対人ストレスが少ない私が人付き合いでお勧めするのは、自分を傷つけない人だけを選べば良いと言うことだ。
それがすごく難しいのだけど、まず簡単なことは自分を傷つける人を生活から断捨離することだ。

嫌味を言ったりマウントをとる友人がいるなら会わなくていい。
やたら傷つける彼氏がいるなら別れたらいい。
いつも傷つく言葉をかける親なら実家に帰らなければいい。

でも好きだからとか、でもあれだけしてもらったしとか、そんなことどうでもいい。ってか傷つけてくる人ってあなたのこと多分そこまで好きじゃないよ。
だってあなたは好きな人を傷つけたくないでしょう。

親だから、友達だから、彼氏だから、好きなんじゃない。
好きなのにはたくさん理由があって、どんどん色んなエピソードが起こってどんどんその気持ちは積み重なっていくんだけど、その土台の前提条件としてまず「傷つけない」があるのだと思う。
どんなに好きのタワーが高くとも、土台が揺らげば一気に崩れ落ちる。
怒りを発生させる事象が起こったとしても、そこに悪意がなかったのであれば土台が揺らぐわけじゃない。ただ10階建てのタワーが8階建てに変わるだけ。地盤は盤石だ。また時間が過ぎれば10階建てになるかもしれない。

今あなたの付き合っている人達は、その土台を揺るがす人ではないか。
さすがに土台は動かしてこないけどタワーの高さにはやたら調整かけてくるタイプではないか。

もし後者なら、案外付き合ってみるといいのかもしれないよ。



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