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Charles Smith ロングインタビュー 1

noteをはじめてもうすぐ1年。社内共有のネタをもったいないからnoteにも
コピペしようと思って始め、、、来年もそうするつもり。

今回、ワシントン州のヒーロー・ワインメーカー チャールズスミスの最新のインタヴュー音源の文字起こしをしました。

自分で楽しく聞いてる分にはよかったけど、2時間のインタビュー、しかもアルコール入り会話の文字起こしは時間がかかりました。何度もくじけかけたけど、話してること自体がとにかく面白かったのでがんばってみました。めちゃめちゃ長文です。さすがに数十ページを全部だと、読み切れないと思うので、適当に区切ってパートを分ける事にします。

2022年10月9日 @sonoma


チャールズ(以下C)・・・ワシントン州でワインを造っていると話すと、必ず「なんでそんな雨の多いところでワイン造ってるんだ??」と返ってくるけど、、僕らがワインを造っているのはカスケード山脈の東側なんだよ。
シアトルからカスケード山脈を東に超えるとそこは、全く違うとても乾燥した地域。高地の砂漠。緯度47度で素晴らしいテロワールをもつブドウ栽培に最適な土地なんだ。

インタビュアー(以下I)House of Smith、つまりチャールズのワインは、小規模ワイナリーなわけではなくて、アメリカ国内ならどこでも買えるようなワインだよね。中でもK vintnersが有名だと思うけど、、、

(C)今でもK vintners がうちのTOPのブランドだね。これは僕が、他の2人に手伝ってもらって自宅の目の前に2002年に初めて自分で植えたブドウで造っているし、今もそこに畑はあるしね。

( I )それは、ワラワラ?ロックス?

(C)いやロックスじゃない。ロックスの標高は800フィートだけど、そこは1200フィート、ロックスは扇状地の小石がごろごろある場所だけど、僕はそれよりも標高が高いところにブドウを植えたかったんだ。


サブスタンスSubstanceとはじまり

( I )サブスタンスSubstanceについて、聞かせてくれる?

(C)サブスタンスというブランドは元々、僕のものではなくて誰かのものだった。いいコンセプトだと思ってたんだ。そしてそのブランドは実際にはすでにあまり動いていない感じだったから、このブランドを購入したんだ。そして、自分のブランドとして落としこんだ。まずはカベルネソーヴィニヨンから始めた。カベルネ100%で、重要なのは「ブラック・フルーツのキャラクターを持っているブドウを使用する事」とした。ブドウ栽培はサステイナブル栽培か、バイオダイナミック栽培のもの、そして100%野生酵母で発酵し、瓶詰するだけ。それがルールだ。

今、僕らの目の前にあるのは、ヴィンヤードコレクションのソーヴィニヨンブランだから、コンセプトはサブスタンスのカベルネとはちょっと違う。これはシングルヴィンヤード。エンシャントレイクスAVAのサンセットヴィンヤードのSBだ。このヴィンヤードコレクションは、より自分たちのパッション・熱意の入ったワインと言えるかな。

ちょっと、香って欲しいんだけど、みんながイメージするSBとは違うだろ?僕が造っているのは、もちろんワシントン州のSBでフランスのワインを造っているわけじゃないから、まぁ、参考程度に考えて欲しいんだけど・・・

( I )確かに、これは想像と違っているね。明らかに、ソノマのソーヴィニヨンブランではない。カリフォルニアのものとは全然違う・・何というかオールド・ワールドの香りと答えるだろうね・・・多分 フランス・ロワールのソーヴィニヨンブラン。

(C)サンセットヴィンヤードはとても風の強い畑なんだ。ソーヴィニヨンブランが生育できるぎりぎりの土地かもしれない。フランスでもロワールはソーヴィニヨンブランが作られる端の場所だろ?そこにはカベルネフランもシュナンブランも植えられてる。そして石灰土壌だ。サンセットヴィンヤードも同じ。人間と同じ、食べたもので体はつくられるから、ブドウも土壌と同じフレーバーを持つんだ。

( I )ワシントン州を良く知らない人の為に、このコロンビアヴァレーのエンシェント・レイクスAVAはどこにあるのか、説明してくれるかい?

(C)シアトルから、東に向かって2時間15分くらいドライブした場所でコロンビア川のすぐ東にある。コロンビアリバーと言うのは、カナダから連なるロッキー山脈から流れる川だ。この辺りから乾燥地帯に入る。ここがエンシェント・レイクス。

( I )という事は、雨が降らない地域なんだね?

(C)その通りで1年に6インチ(15㎝)しか降らない大陸性気候だ。穏やかな春と秋、そして暑い夏と言うのは、非常にブドウの栽培に適している。僕はカリフォルニアのサクラメントの出身なんだけど、なぜ僕がわざわざワシントン州でワインを造っているのかと言うと、ここには2つの山脈がある事。そして、霧の影響も受けないし、干ばつの問題もない。

( I )サクラメント出身なのに、UD Davisにも行ってないし、よくあるワイン教育も受けてないよね?しかもワシントンでワインを造ってる。その理由を教えてくれないか?

(C)UC Davisについては、一言言わせて欲しい!僕はUC Davisに通いたかったけど、UC Davisが僕に通って欲しくなかっただけだから。高校もちゃんと卒業してなかったからね。

ワイン業界に入るきっかけはとても良くある話で、サービス業についたからなんだ。最初に働いたのが、カリフォルニアのパームスプリングスのレストランだった。最初はキッチンに配属されたけど、そこはいつも暑いし、汚いし、怒号が飛び交ってる。しかも給料は安い。それが一歩ダイニングに入ると、リラックスする音楽がかかり、スタッフは黒のジャケットとタキシードを着て優雅に歩いてる。お客さんはワインをゆったりと楽しんでいる。単純にこっちのフロアで働きたいと思ったんだよ。いつも誰かが怒鳴られてるような場所では働きたくなかったんだ。
ある日フロアを見ると、ある男が首からメダルを下げてフロアを歩き回っている。あいつは何をしてるんだ?と聞くと返ってきた言葉は
「ああ、あいつはワインやってる奴だよ。大体皆より遅くに来て、ワイン飲んで、皆より早く帰っていくんだ。」
速攻で、「僕もその仕事がしたい!」と言ったよ。
これが、ワインにかかわるようになった最初のきっかけだね、、、まぁそれからいろんな事があり、1999年にワラワラにたどり着いて5000ドルを借金してワイナリーを立ち上げて今に至るんだけどね。

( I )ちなみにその時、そのレストランでサービスされてたワインは何だったの?

(C)パラドゥッチのソーヴィニヨンブラン。メンドシーノの
あれがきっかけでワインの世界にどっぷり入ったんだから、今でもはっきりとその味を覚えているよ。

( I )では、生まれ育った家に常にワインがあったとか、ワインファミリーだったとか、そういうのじゃないんだね?

(C)全く違うね。基本的にはこのウェイターのバイトの経験から全てがはじまったんだ。

( I )ちょっと待って、まだカリフォルニアからなぜワシントンなのか話してないよね?

(C)それはまた全然違う話だ。そこにはすごい量のワイン接酒と、ロックンロールの話が入ってきたりもするんだけど、まず29歳の時にある女の子と出会って、彼女と一緒にデンマークに行ったんだ。デンマーク語なんて全く話せなかったけど、仕事が必要だから、ワインのインポーターやショップに片っ端から履歴書を送ったよ。
でも、そのすべての会社から丁寧な断りの手紙が来た。実はその手紙は全部大事にとってあるんだ。だって、その時にどの会社からも断られたからこそ今の僕があって、僕を雇わなかった彼らには本当に感謝している。
とにかく、お金の為に、バーテンダーをしたり、バンドの手配をしたり、そのうち小さなバンドのマネージメントをしたり、、、

( I )いや、いくつかは小さいバンドじゃなかったでしょ?

(C)とにかくその頃は、給料もよくなかったけど、それを使って、また常に忙しく働いて、毎日が本当に楽しかった。バンドのツアーにも同行したしね。

それである時、ワシントン州のワラワラに立ち寄った時、ワインショップで美味しいレストランのおススメを聞いたんだ。
だけど、「ここら辺にはそんな美味しいレストランなんてない。」と言われた。
「残念だな。。。めちゃめちゃいいワインを今たくさん持ってるのに・・・」と言うと、
彼は、今から自分たちはBBQをするから一緒に加われば良い。と誘ってくれた。

それが、ソムリエのロバート・エイムスだ。
ワインカントリーのワイン屋だから、もちろん集まってるのは、地元のワインメーカーや関係者ばかり、そこでフランス人のワインメーカーと仲良くなり、そいつはあっという間に僕のワインを飲みほしたんだ。

そのフランス人は僕に「アメリカに帰って来てワインを造れよ。」と言った。
僕は「そりゃ、いいけど、ブドウもないし。」
フランス人「ブドウは俺が持ってる。」
(C)「いいね。」
フランス人「ブドウはわけてやるよ。それでワインを造って売れたらブドウ代を支払ってくれればいいから。」
「年寄りを蹴散らして俺たちがワインを一緒に作るんだ」

これが、はじまりだった。
( I )で、そのフランス人がカユースのクリストフ・バロン。

・・・・えーーーーーーっっ!!!

(C)作り話じゃないんだよ。これが事実だからしょうがない。
僕がワインを造るきっかけとなった話がこれなんだ。

( I )それはいつ頃の話?

(C)1899年だった。まだクリストフもワインを造り始めてすぐの事だよ。僕は10年間デンマークに住んでいて、ヨーロッパっぽい考え方を持っていた。クリストフはシャンパーニュの出身ながらワシントン東部ワラワラに住んでいてヨーロッパ的な考えがなかった。ワラワラは良い場所だけど文化的にもクリストフの出身地とは全く違う場所だ。そんな時、ワインや食文化に情熱を持つ僕が現れて、僕らはお互いの異文化経験を理解したんだ。

僕の最初のワインはシラーだった、1999ワラワラシラー。その頃ワシントンには293のワイナリーがあり、290のワイナリーはボルドーブレンドを作っていて、シラーをつくっているワイナリーは3つだけだった。と言う事は、僕がシラーを作ればTOP3に入れるぞ!と・・それが理由。

( I )その頃まわりは皆、クリストフは狂ってると思ってただろ?(笑)99年ならまだカユースもリリースしてなかったんじゃない?

(C)たしかカユースは97年からだったと思うけど、あんまりよく覚えていない。

↑話題にのぼったクリストフ・バロンはこの人です。まさかのクリストフ!

( I )その出会いの時に、チャールズが車に積んでいたワイン(BBQでシェアしたワイン)ていったいなんだったの?クリストフがチャールズの見る目を変えたワインって・・

(C)覚えてるよ・・ペスケラ(リベラデルデュエロ)、プリュレーロック、アマドールカウンティの小さな生産者Scott Harvey, SantinoとTKC などなど。ワラワラの地元生産者とワインを飲むうちに仲も良くなったんだ。
その頃のワラワラは、、、今でもそうだけど、、本当に小さいコミュニティで皆とても仲が良かった。むかーーしの、ナパバレーみたいなものだ。

( I )ワラワラは農業地帯だけど、ブドウの産地ではなかったでしょう?

(C)そうだね、小麦、アルファルファ、豆・・・今でも乾燥地帯としては世界的に有名な小麦の産地だよ。

小麦だけじゃない、リンゴや野菜や、いちごや、そしてブドウも栽培している一大農業エリアだ。

今では、ワラワラの市街地に行けば、素晴らしいレストランもたくさんあるしテイスティングルームもそこら中に作られている。僕のワイナリーは17番目のワイナリーだったけど今では140以上のワイナリーがワラワラにあるよ。もう僕があの頃の年寄のひとりになってるよ(笑)

( I )さっき、皆がカベルネを作っていたといったけど、今でも変わっていない?私がワラワラをイメージする時は、シラーの産地だと思うけど。

(C)ワシントン州全体ではね。赤ワインと言えば、カベルネと思うだろね。ただ本当に素晴らしいと思うのは、メルロだよ。ワシントンのメルロは多角的でいくつもの層からなっている。土地の多様性と言う面で考えると、ワシントンはフランスに似ていると思う。ワシントンでは適材適所に則れば本当に色々な品種を作る事が出来る。
たとえば、ソーヴィニヨンブラン。北の冷涼で高地でも造るけど、南のオレゴンとの州境の畑でも造る事が出来る。本当に沢山の土地があるのがワシントンだ。

(C)ワラワラは今ではたくさんのワイナリーが出来、ワイン産業として確立されているとは言え、まだまだ始まったばかり若いワイン地域だ、。シアトルから270マイル、飛行機で1時間、ポートランドからは270マイルも離れてる。シアトルから車なら、美しい景色を眺めながらコロンビア川にそってカスケード山脈を越えていくと、1880年代の美しい小さな町があり、その中に1868年に建てられた僕の家もある。ワイナリーもここにあるよ。ワラワラの町にはたくさんの歴史があり、ここがワシントン州のワインタウンなんだ。ホテルもレストランも全てこの小さな町にそろってるし、ここに泊まれば、どのワイナリーや畑に行っても15マイルもかからないよ。そして夜になればまた、皆この町に帰って来て、美味しい食事とワインを楽しみ、ぐっすり眠る。そして次の日また同じ事を繰り返す・・・

( I )全く農業の多様性を感じる事が出来る町だね。

(C)今ではすっかり有名でブランドになったRocksもここにあるけど、その隣では、まだリンゴやサクランボの畑があるんだ。

僕はワラワラの畑からスタートして、今はワシントン中のAVAでワインを造っている。


パート2に続きます。


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