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不都合な奇跡(現実) 〜泥流地帯考察〜

 拓一が実は超人でもなく聖人でもない普通の人であり、その普通の人であることにこそ大きな意味がある、というわたしの勝手な主張はこれまで何度か垂れ流してきたところでありますが、一方で過小評価されていると思ってしまう拓一の行動があります。泥流からの生還。

 「母ちゃんに孝行せっ!」と耕作に言い残し猛り狂う濁流に飛び込んだ拓一。ネタバレの恐れがありますが多くの人が予測したとおり無事に生還します。
 死んでしまったものと諦めていた兄との再会。じっちゃんと良子の野辺の送りの真っ只中、今まさに火をつけようとした瞬間の出来事でした。
 実にドラマチックな再会劇。耕作も修平も沢の住民も、もちろん読者も、絶望の淵にあってようやく一筋の光明を見た瞬間であったと思います。が、一方では「まあ、そうでしょうね」的な、物語の中心人物ですからまあ簡単には死なせないよね、と感じた方も多かったのではないでしょうか。
 もちろんその通りですし、何しろ私のような昭和の少年ジャンプ世代などは「実はアレ影武者でな…」と、場合によっては市三郎でさえ生還するぐらいの演出に慣れ親しんでおります。

 しかし『泥流地帯』終盤の拓一生還劇はそんな生易しいものではありません。
 北海道上富良野町。言わずと知れた泥流地帯の原作地。前半の石村家があった日進(実際の地名は日新)の沢の入り口あたりの道々三五三号線沿いに「十勝岳噴火記念駐車公園」(※正式名称は調べても結局わからずじまいでした)があるのですが、この場所に噴火災害からちょうど一年後の昭和二年五月二十四日に建立(除幕式には吉田村長の娘、ていちゃんも参加しています)された記念碑が十勝連峰の北端、オプタテシケ山を背に鎮座しています。

上富良野市街地から車で約5分、石村家があった(設定上)場所から少し下流に位置します


 真っ先に目に飛び込んでくるのは記念碑本体よりもその土台となっている巨岩。実はこれ、泥流によって押し流されてきたものをそのまま(位置は移動していますが)使用されているのです。
 直径二メートルを優に超える巨岩、重量は六十九トンと推定されます。とても重たい安山岩(だったかな?)です。ちょっと想像し難いサイズですが、町内でガイドをされている方の説明によると上富良野駐屯地に配備されている最新鋭の戦車の重量が約四十トンだとか。

 実際に見て触れてみるとまさに大地に根を張ったような圧倒的な質量。移動する姿など全く想像できない大迫力ですが、それでも上流から流されてくる間に随分と削られ、小さくなった姿なのでしょう。
 何が言いたいかといいますとこの巨大な安山岩、「水」では決して動かすことはできないというのです。それがどれほどの水量であったとしても水そのものでそれを動かすには比重が足りないのだと。
 ところがかの巨岩は実際に押し流され、転がされ、割られ削られながら遥か下流まで運ばれているのです。

 これは上富良野を襲った濁流が「泥流」であるが故に起きた事象です。水、泥、石、岩、そして巨木。沢の出口に近い石村家あたりまで来ると多くの家屋の残骸も含まれていたでしょう。
 十勝岳の大噴火により噴き出された地中湖の水や雪解け水は、流れ進む毎に巨木を薙ぎ倒し地を削り、周囲を飲み込みながらどんどん質量を高め、日進の沢を、石村家を襲いました。あの、戦車より遥かに重い巨岩をいとも簡単に押し流す「泥流」に姿を変えて。

 拓一が飛び込んだのはこの「泥流」です。「無事を祈る」ことさえ非現実的な、超破壊的な山津波。
 「生きてなんかいないっ! みんな死んでしまった」と叫んだ耕作の感覚が正しいのだと思います。私も同様ですが、「拓一、大丈夫かな」と心配する時点で恐らく、泥流の規模とその禍々しい死の気配に想像が及んでいないのだと思うのです。

 ところが拓一は生きていました。下流で逃げることを諦め孤立していた老夫妻によって介抱され、二日後に耕作らの前に元気な姿を現します。

 さて、これはフィクション特有のご都合エピソードなのでしょうか。拓一の強靭な肉体と精神が泥流の猛威を跳ね除けたというのでしょうか。しかしそれでは福子までが生存していたことが説明できません。

 実はこれ、シンプルに「実際に生還した人がいたから」ということに尽きるのです。
 耕作の教え子ではありませんが、近所の小学校の生徒で「生き残って」という綴り方の作者として登場する船引武君や父親の藤兵衛氏(いずれも実在します)が泥流に飲み込まれながらも生還したことは実話です。また、罹災後拓一らと菊川先生を訪ね、真っ二つに裂けた屋根ごと流されるも一家六人が生還した逸話を語った大川君は実在する大澤治雄さん一家の生還エピソード(ほぼそのまま)がモデルとなっています。

 そして作中さらに続く、自身らが助かった直後、目の前を流されていく母を流木を飛び渡りながら救出する(しかも軽傷)という、小説でも引用をためらうようなエピソードまでもが、まぎれもない実話として実際に残された災害誌に綴られています。
 これは現地上富良野で取材を重ねた綾子さん、どう受け止めたのでしょう。

 「押し迫る泥流、屋根の上に逃げたら家ごと真っ二つに割れ、そのまま流され、丘に激突する寸前に妹をぶん投げ、自分も飛び移り全員が生還。ついでに流されてきた実母を救助」
 さすがに担当編集さん「綾子先生これはいくらなんでも」とでも口にしたでしょうか。
 しかし「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、時としてリアルであればあるほどリアリティが薄れゆく圧倒的なキセキ、創作にあたってはある意味不都合な現実に直面します。

 拓一決死の泥流ダイブからの生還も、続編で大川くんの屋根渡り仰天エピソードをはじめ数々の生還劇が語られ全体的には「奇跡度」が薄められてしまった感が否めませんが、これをもって「やっぱ主要キャラはそう簡単に死なないよね」とイメージしてしまいがちです。しかしこれ(拓一ダイブ)は三浦綾子さんが「小説より奇な現実」と正面から向き合った果てに描かれた渾身の「奇跡」です。創作物の予定調和などではないのです。

 ここでさらに読み深めたいことは泥流に飛び込んだ際の拓一の心情。すがる耕作を振り切り泥流に飛び込む場面は拓一の行動原理が如実に現れていると思います。

 損か得か。報われるか報われないか。成功するか失敗するか。安全か危険か……
 どれも拓一の行動を決定する要素ではありません。あえて言うなら「やるべきか、やらざるべきか」

 そういう意味では、拓一のこの行動が勇気ある行動であるかというとそうではないでしょうし、自らの命を顧みず~というのも少し違う気がします。
 後に「耕作は頭で考えるからな」と語っているとおり拓一はこの瞬間、市三郎らを助けられる可能性や残される母と弟のこと、福子への思いなど脳内に浮かんでさえいないでしょう。「家族が流された・追いかけた」という脊髄反射。
 「死んでもいいっ」というセリフも当然、本当に死んでもいいかどうか考えた上で勇気を出して発したものではないはずです。


 本能で行動し「奇跡」によって助けられた拓一。「命を顧みない勇気ある行動が奇跡を呼び込んだ」ということではありません。
 十勝岳泥流災害の中でも最上級の奇跡によって家族を無事に救い出した大川君。それに次ぐ奇跡によって泥流から生還した拓一。そしてその奇跡を手にすることができなかった百四十四人の村人たち。災いと奇跡によって断行された無慈悲な「命の選別」を前に、「日頃の行いが良かった」「拓一は善人だから助かった」「勇気ある行動が報われた」などという生ぬるい因果が入り込む余地などあろうはずがありません。

 「日頃の行いが〜」という何気ない言葉に潜む罪や、「良い行いをした人が報われない」(またはその逆)という都合の良い善因善果、悪因悪果ってのは違うんだよ、ということもこの作品の大きな、重要なテーマでもありますよね。
 拓一が猛り狂う泥流に躊躇なく飛び込み、そして生還する。
 創作物にスパイスとして織り込まれたヒロイズムと予定調和などではなく、不都合な現実にも目を背けることなく描かれた、しっかりと物語の主題に則った渾身のエピソードだと思うのです。

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