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レッケルベーチェの戦い Slag van Lekkerbeetje ~「最後の中世騎士試合」? スイーツ男子のただただイタい私闘の顛末

茶化すつもりはないんですが、あまりにも残念で救いようのない戦いで、八十年戦争期の戦闘リストからもハブられています…。

2010年代は、「タイトルもフザけてるんじゃなく、イヤ、ふざけちゃいるんですけど、でも限りなく直訳(のつもり)なんです。ホントです。」として、タイトルを『スイーツ(笑)の戦い 』としていました。言外のニュアンスも含んで本当にちょうど良い訳だったんですが、「スイーツ(笑)」自体が死語となりつつあるので、従来の「レッケルベーチェ」に戻してあります。

「レッケルベーチェの戦い」は地名ではなく、戦われた場所はフーフテルヘイデというスヘルトヘンボス近郊の原野です。「レッケルベーチェ」というのは、良くいえば「美食家」「グルメ」、どっちかといえば「食いしん坊」、しかも指小辞「-tje」がついているためこれは甘味を指す意図が強いらしいです。資料によっては、「この場合はsnoeper(甘党)の意味」とわざわざ但し書きしてあるものもあります。というわけで。

経緯

Circle of Sebastian Vranck (17th century) 「レッケルベーチェの戦い (1600)」In Wikimedia Commons

スヘルトヘンボス知事アントニー・シェッツの副官である大尉ハウウェリンゲンは、「スイーツ男子(=レッケルベーチェ)」とあだ名されるほどの超甘党で、このとき40歳。ナッサウ伯麾下のフランス人大尉ド・ブレオテは19歳の野心家の若者。この2人がなぜか、集団で果し合いをしようという話になりました。当時としてもめずらしいことで、どういった経緯でそんなことになったかも意味不明です。一説には、ブレオテが「1人のフランス兵はスペイン兵2人分の価値がある」と言ったところ、レッケルベーチェから、「ならそれを試してみろよ」ということになったとか。決闘(デュエル)は一対一が基本なので、どちらかといえば中世以来の「フェーデ」に近いでしょうか。それぞれきちんと上官の許可は取ったようです。

人数は、この2人の大尉を筆頭にそれぞれスペイン兵・フランス兵が20人ずつとされました。(21人ずつ、22人ずつとする説もあります)。場所はフーフト傍の雪原が設定されました。ここはスヘルトヘンボスの裁判で有罪になった人物の処刑場があるところで、絵画にも処刑台が描き入れられています。この話を伝え聞いた見物客も続々と集まり、500人ほどに膨れ上がりました。レッケルベーチェは赤いサッシュを腰に巻いて、ド・ブレオテは兜にでっかい羽根飾りをつけ、馬にまで装飾を施した派手な出で立ちで現れました。

戦闘

Pieter Snayers (1630s) 「フーフテルヘイデの戦い (1600)」 In Wikimedia Commons

昼12時、トランペットを合図に、両軍は戦いをはじめました。

…が、その開始直後、レッケルベーチェはピストルで撃たれてあっけなく死んでしまいます。(おそらく各絵画のいちばん左下に転がってる赤いサッシュの兵士)。

ド・ブレオテのほうも、まずは自慢の馬が倒れ、徒歩での戦いをする羽目になりました。それを見た自軍のフランス兵4人が一目散に逃げてしまい、士気の下がった残りのフランス兵は皆殺しに遭ってしまいます。傷を負ったド・ブレオテは降参し、金を払うからといって命乞いをして捕虜となりました。ここまでわずか1時間ほど。この後スヘルトヘンボスに戻り、夕飯(レッケルベーチェが前もって両軍分用意していたらしいです…)の席で身代金交渉をすることになりました。

ところが、一行がスヘルトヘンボスの門に差し掛かったところ、レッケルベーチェが戦死したことを知った街の守備兵たちが、怒りにまかせてド・ブレオテの殺害を主張しました。ド・ブレオテは、せめて身を守る剣を与えてほしいと懇願しましたが、それは聞き入れられず、無抵抗のままなぶり殺しにされてしまいました。

余波

Aelbert Cuyp (circa 1652) 「オリーボール」を持ったメイド In Wikimedia Commons ブラバント地方の素朴なお菓子。17世紀からあるオランダ風ドーナツだそう。

フランス側の犠牲者は、逃げた4名以外全員。スペイン側の犠牲者は、逆にわずか4名のみ。ただ、その4人のうち3人が、レッケルベーチェ本人、彼の実の兄弟、義理の兄弟の3人でした。まるで命張ったネタです。

そもそも私闘なので、この事件が大勢に与えた影響はなにひとつありません。

西暦2000年には、「レッケルベーチェの戦い」400周年記念として、2人の騎士が交錯するカッコいいブロンズ像が建てられました。「最後の中世騎士試合」なんて呼ばれることもあります。が、正直、この内容じゃあいくらなんでもちょっと盛りすぎかと…。

ただ、後年かなりの量の絵画が描かれているので、ゴシップとしては長らく人の口の端に登ったものと思われます。

おまけ

セバスチャン・ヴランクスとピーテル・スネイエルスは八十年戦争や三十年戦争の戦画を量産している画家ですが、このレッケルベーチェの戦いについても油彩を何枚も描いています。だいたい1630年代の作のようです。しかも同じ構図のコピーではなくそれぞれバリエーションがあり、人気のモチーフとしてたくさんの注文を受けたのではと推測されます。一覧は下記リンクから。

北ブラバント博物館には、レッケルベーチェ関連の展示品コーナーがありました。

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