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「新戦争論」小室直樹

 日本人の多くは「遅れてきた青年」かもしれない。

「空想的平和主義者の勢力が強くなったために、彼らの主張を本心で賛成であると否とにかかわらず、これに公に反対することは政治家にとって自殺行為にひとしいという世潮ができあがってしまったのである。」

「戦争を憎んで否定するのは、個人の行為である。しかも、それは個人の内なる信念の問題である。しかし、戦争そのものは、人間個人の問題ではない。ましてや人間の心の内なる問題ではないのだ。(中略)社会は個人の算術的合計ではない、ということは、デュルケイム以来、じつに社会学の基本的命題の一つである。」

 かつての安保年代の若者のような、信念と行動の一致をみることが少なくなった。科学的な分析と方法のない念力主義となり、平和主義者とはこんなもので、私同様、ただ祈るのみだ。

 「日本人は、簡単に社会が所与であると思い込む。その社会を場として人間が作ったはずの制度も、所与と錯覚を起こす。人間が作ったものなら、人間が変えることができるということに気がつかない。憲法も神様の作った自然の掟であるかのように思い込む。

国際情勢も単なる所与である。だから、それに上手に順応することが対外行動である。日本人は外圧がないと、行動を起こさない。自分自身が能動的な役割を果たしうることに気がつかない。」

「戦争は文明の所産なのだ。制度なのだ。自然現象ではない。文明であるならば、それ相応の構造があり、論理があり、手続きがあるはずだ。」

 では、真の平和を願う者のなすべきことは何か。
「①まず、戦争の文明史的本質を洞察することである。ポイントは二つある。
Ⅰ)戦争とは国際的紛争解決の手段である。
ⅱ)戦争上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しないかぎり、戦争はなくならない。
②しかし、現在、そのような一段と次元の高い国際的紛争解決の新メカニズムは、その萌芽すら現れていない。
(中略)
④その間、現実への戦争の可能性に対しては、物心両面で十分備えがなくてはいけない。このことは、平和への努力、平和への祈りと矛盾することではない。むしろ、そうしないことが、結果として平和主義と矛盾することになる。」

#新戦争論  #小室直樹 #読書

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