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散らかった家に住んでいた私が、掃除機を毎日かけるようになった理由

慣れという麻酔

私は掃除機がけを日課にしている。床には物を置かず、掃除機がすぐにかけられるようにしている。いつ人が来ても大丈夫。残念ながら来るのは郵便屋さんか宅配のお兄ちゃんくらいなのだけど。

実は、この日課がスタートしたのは、たった2ヶ月前だ。それまでは掃除機などかけられたものでは無かった。家じゅうが散らかり放題で、とてもじゃないが、恥ずかしくて人には見せられない。

床のあちこちに本や書類が積まれ、やむを得ず人が来る時は慌ててスペースを作るが、段ボールに一時避難させた物たちは、それきり段ボールごと放置されたままだ。目立つ埃はモップで少し避けるだけ。こんな調子で、掃除機なんてかけられる訳もなかった。

実家に住んでいた頃はそんなことは無かった。母がいつもキレイにしてくれていたし、私も片付けをしていた。しかし今では、母の監視の目が無くなったからか、「いつか使うだろう」という捨てられない性格と「そのうちやろう」という後回し癖の日々が、蝕まれた空間を作ってしまった。

慣れというのは恐ろしい。麻酔のように感覚を麻痺させ、環境に順応していく。その証拠に、居心地は悪くなかった。テレビを見ることもできるし、寝る場所もあるし、物を探すのに少し時間がかかる程度で、生活する上では困らない。

ただ、居心地が良い訳でもなかった。つねづね片づけなければ、と思っていた。しかし、思うだけ。テレビや雑誌などで芸能人のキレイな部屋が紹介されると、どんな配置になっているのか、収納はどうなっているのか、と釘付けになるものの、私の麻酔は良く効いており、キレイな部屋は遠い未来の憧れとしか見ていなかった。

麻酔が切れるまで

私にはインテリアコーディネーターの友人がいる。彼女はいつもお洒落。家の中も洗練されたセンス溢れる空間で、インテリアコーディネーターとしての威厳がある。周りからの評価も高い。

ある日の午後、彼女も参加しているコミュニティの会議に出席した時のことだった。部屋の中は、あちらこちらで雑談や笑い声が飛び交っている。そんな賑やかな空間の中で、隣で話していた彼女の言葉が飛び込んできた。切り取られたかようにはっきりと。

「部屋が散らかっている人は、頭の中も散らかってるんだよ」

カチンときた。私に向けた言葉ではないにも拘らず、怒りとともに抵抗している自分を感じた。部屋の状況と頭の中を一緒にしてくれるな、と。その後の会議はモヤモヤしながら参加した。だが当然ながら彼女は一切悪くない。私が勝手に反応しただけだ。

冷静になって考えてみた。とっさに怒りが出たのは、「あなたは頭の中が散らかってるね」と私が責められたように解釈したことによる反発だ。私は弱みを見せないように生きてきた。周りに負けまいと「仕事が出来る女」になることに必死だった。だから根本は、自分の弱い部分を認めたくないからだと分かった。

さらに、彼女の言葉は図星だった。事実、頭の中はいつも整理できておらず、手当たり次第に目の前のことをこなす日々。何か行動していないと落ち着かず、追われている感覚に長年悩んでいたのだ。

彼女の言葉をスッと受け入れた自分がいた。すると途端に気持ちが軽くなり、ワクワクする気持ちが溢れてきた。部屋をとことん片付ければ、悩みが解決するかもしれないと思えてきた。この時ついに、麻酔が切れ始めたのである。

とは言え、リハビリ方法が分からない。引っ越す時でさえ断捨離が出来なかった私だ。捨てられないまま段ボールに入れて移動させるだけ。なかなか思うように片付かない。そのうえ、掃除機をかける頻度は年に1~2回程度。掃除機という存在を思い出した時にしかやらない私が、この時点で「日常的に」掃除機をかけることなど毛頭ない。なんとも情けない。

毎日かける必要があるのか

彼女の言葉から数日後、「日常的に掃除機をかける」という方法に出会うことになった。別の友人からある話を聞いた。90歳になるおばあさんが、結婚された頃から毎日欠かさず掃除機をかけているというのだ。すごい話だ。60年も続けていることになる。並大抵のことではない。

ここで疑問がある。毎日かける必要があるのか?

一般的には小さな子どもがいない限り、週に一度、多くても2日に一度、と認識している。実家の母のルーティンは週2回だった。

「うちのおばあちゃんね、体調が悪くても掃除機は絶対にかけるの。代わりにやるって言っても、聞かないんだよね。でもさ、最近知ったんだけど、キレイにするためだけじゃないみたい。自分のリズムを保ってるらしいよ。」

うーん、やはり分からない。自分のリズムのためなら他の方法を取ればいい。毎日散歩をするとか。おばあさんの行動は、必要以上に掃除機をかけるような気がして理解できなかった。

ところがここで、面白いことが起きた。興味が湧いてきたのだ。

掃除機を毎日かけるとどうなるんだろう?何のために毎日やってるんだろう?毎日やった人にしか分からないことがあるのかな。「知りたい!」

これが、掃除機を毎日かけている理由だ。

それからというもの、人が変わったように徹底的に部屋を片付けた。一般的に「捨てられない人」というのは、物が多い。溜まっていた空き箱、試供品、古着、雑誌などなど、こんなにあったのかと思う。それでもガンガン処分していった。

捨てられないと思いこんでいたモノたちがどんどん減っていく。「必要な時にまた手に入れよう」と軽く思えるようになったのは驚きだ。好奇心というものはここまで人を動かすのかと実感した。

そしてついに、掃除機をかけるというリハビリを開始した。2か月前のことである。最初のうちは、ぎこちないし時間もかかっていたが、今ではあまり考えることもなくスムーズに出来るようになった。やっと人並みになったということなのだが。今はこの挑戦が、楽しい。

毎日続けてみて気づいたこと

まだ2か月ほどだが、「掃除機を毎日かける」を実践してみて気づいたことを書いてみる。

①当然ながら毎日掃除をすると、とても気持ちが良い。特にこの時期は気候も良く、窓を開けると透き通った風が抜けていく。散らかっていた頃に比べたら断然、居心地がいい。

②意外と一日でゴミが溜まっていることを知った。特に気になったのが、粉のような細かい塵。最初の1~2週間は元々掃除機をかけていなかったからダニの死骸がたくさん出たのだろうと思っていたのだが(酷い環境だったな・・・)、何日経っても一日で溜まる量が減っていかない。インターネットで調べてみたところ、ダニの死骸以外にも人の皮膚(!)も結構床に落ちるそうだ。ちょっとショック。肌のターンオーバーが健全だということにしておこう・・・。

③掃除機を毎日かけられるように常に部屋を片付けておくので、もっとキレイな部屋にしようと意欲が湧いてきた。おかげで常に片付ける習慣が身に着いた。食事の後にすぐ台所は片付ける。ダイニングテーブルの上は片付けてから寝る。やればできるじゃん、私。

④これが一番大きな気づきかもしれない。部屋が散らかっていると、余分なエネルギーを注いでいたことが良く分かった。振り返ると、散らかった部屋をいかに誤魔化すか、ばかりに意識がとられていた。インテリアコーディネーターの友人の言っていた通りだった。部屋の中が散らかっている時は、頭の中も散らかっていた。今では、やるべきことがシンプルに考えられるようになった。

⑤これも意外だったのだが、自尊心が上がった気がする。自分で決めたことを続けているということに達成感があり、自分を褒めてあげたくなるのだ。

以上、ざっとこんな感じ。これからも続けていくつもりだが、コロナも落ち着いてきたので忙しくなってくるとどうなるのか。力を入れすぎないように、楽しく続けていけたらいいな。



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