40代になってみて考えたこと
私には父がいない。
深刻な話ではなく単に母子家庭で育った、というだけだけど、なかなか面白いんです。
何が面白いかって、私は男性ですが、大人になったらどんな感じの人間になるか、っていうイメージが全くないんです。
同姓の親って、きっとほとんどの人が、自分が大人になったときのイメージになると思うんです。
ときに、それは呪いのようになって、あんな親になるもんか、と反発するかもしれません。しかし、それって、表に対する裏です。白と黒。具体的イメージがある前提の話ですよね。
私は、そのイメージすら、ないまま大人になっていったのです。
今は私は40代ですが、子どもの時の40代のイメージはどちらかというと老人よりのイメージでした。
もう、人生を悟りきっているような、そんな風景。
テレビや本などで「お父さん」イメージについて知ると、自分が関わったこともないのもあって、宇宙人のようなイメージでした。
で、そんな宇宙人に、自分がなれるのか?と疑問に思うかというと、そもそも宇宙人は会ったこともないし知らないので、基本的にはなるようにしかならないかな、と思って生きていきました。
改めて四十代になってみて、後ろを振り返ってみると、いやはや精神的には不安定だった気がします。
おそらく、テンプレートのような、模範となる生き方が何もないので、自分で構築するしかないのですが、それは自分公認、でしかありません。
だから、自信がなかなか持てなかったのだと思います。普通は親から教えられるようなことも知らないので、失敗の数も多かったと思われます。
でも、なんとか、自分はこれでいいんだ、って思えてきたのがやっと、四十代半ばです。
多分、他人よりは、遠回りしたり迷走したりして、ここまで到着しました。
でも、自分の形を自分で作って、そして納得して自分でいることができるので、今はすごく安定しています。
でも、やっぱり、私が社会を眺めて見てきた「四十代のお父さん像」はやっぱり虚像でした。あんな人格には、どうあがいても私はならないし、なれない。
なれないものになろうとすることこそ、苦しくて、それをやめたら楽になります。
そこまで来るのでも四十年かかります。
だから、二十代、三十代の人で、悩んでいる人がいたら、いつかゴールがあるので、気長に人生を捉えてほしいです。
自分のフォーマットが決まった、なんて青いセリフを、わざわざ四十代でほざいている人がいるくらいです。
二十代、三十代、まだまだ冒険のときでしょう。
たぶん、自分自身が年齢を重ねたらわかる。四十代、五十代、六十代・・・その未来のイメージは、一致しないのです。
年を重ねる → 頭が固くなる → 老害
なんて、ウソもいいところだと、思いますよ。
あなたはそうはならない。
私には父がいない。
だからこそわかることの、一つです。
いつも読んで頂きありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。