「平等」には二つの意味がある

ごきげんよう、おれんじ歯車です!

「平等」という言葉、たまに耳にしたり、使ったりすると思いますが………私は、平等には二つの意味があると思っています。

一つは、物質的な平等。もう一つは、感覚的な平等です。

どちらの意味の平等を使うかによって、平等にすべき点が変わってきます。

物質的な平等の話をしているのに、感覚的な平等で考えてしまうと、そもそも意味が変わってくるので、争いの種になってしまいます。

本当の意味での平等って何だろう…なんて悩んだ時期もありましたが、どちらの意味で平等を使っているのか分かれば、なぜ同じ言葉なのに通じないのか悩む必要はなくなりますね(笑)

では先に、物質的な平等について説明します。物質的な平等は、どんな状態の人にも、どの人種の人にも同じ内容にすることだと私は考えています。

例えば、大食いのオー君と小食のショー君、平均的に食べるフツウ君がいたとします。

オー君はおにぎりを三個を食べると満腹になり、フツウ君は二個、ショー君は一個で十分だとします。

物質的な平等は、六個のおにぎりを三人で分ける場合、一人二個ずつおにぎりを受け取ります。

良い部分は、目に見えてわかりやすいという点ですが、この平等の弱点は、平等を受ける側の状況を考慮しない点です。

もし、「六個のおにぎりを物質的な平等に分けて食べなさい」だった場合、一人二個食べるノルマが発生します。その場合オー君は、二個のおにぎりでは物足りず、ショー君は二個のおにぎりを食べきることができません。

こんな風に、無理が生じてしまいます。

一方で、感覚的な平等は、オー君に三個、普通君に二個、ショー君に一個のおにぎりを食べてもらうことです。

ラップに包まれたおにぎりを持ち帰る場合は、物質的な平等が適していると言えますが、その場ですぐ食べきらなければならない場合は、感覚的な平等が適していると言えるでしょう。

つまり、平等という言葉には、二つの意味があるので、物質的な平等を勧める人に、感覚的な平等の話をすると、論点がずれてお互いにすれ違う会話になってしまいます。

私は普段から、感覚的な平等の考え方なので「Aさんは家族が多いから、お菓子は家族分渡しておくね」と、自分より多くお菓子をもらっている人がいても気にならないタイプです。

しかし、家族が多いからと言って、他より多くお菓子を受け取るのは間違っている。きちんと分けるべきだ。という方もいます。その方は、物質的な平等を主に考えている方ですね。

私は自己肯定感が低いので、おまけなど、人より何かを多くいただくのは恐れ多いと感じてしまいますし、ありがたみも10倍に感じます(笑)

さて、平等の意味についての説明はここまでです。

この「平等」の使い方。どちらを優先するかということで、意見が分かれたり、論点がずれたりしてしまうので、私は簡単に「平等」という言葉が使えないのです。

物質的な平等も、感覚的な平等も、どちらかに偏って推し進めると、とんでもない不平等が生まれてしまいます。

物質的な平等を推し進めた例

〇車いすの人に階段を強制する

〇会社の制服を全てSサイズに統一する

〇お酒に酔いやすい人に、酔いにくい人と同じ量のお酒を飲ませる等々。

感覚的な平等を推し進めた例

〇一人暮らしの社員の給料を減らす

〇500g以上の荷物は成人男性が持つことを義務付ける

〇夏の暑さが苦手な人が全裸で外出することが許される等々

平等という言葉を使っているのに、バランスをとることは難しく、同じ単語を使っているのに、使っている言葉の意味が違えば、違う言語になってしまいます。とらえ方が人によって違うのも、言葉そのものの意味にも個人差が出てくるからだと思います。

物質的な平等と感覚的な平等。あなたはどの平等を中心に考えていますか…?

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