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コロナ禍、ひっそりと別の病気と向き合っていた話(5)

続き。最初から読む方はこちらをどうぞ。入院の話はこの回でおしまい。

前日の午後、腎生検を受けてそれっきり仰向けになったまま動いてはいけませんという指令を受け、結局一睡も出来ないまま朝を迎える。予定では朝9時に状況を確認したり、エコーで調べたりすることになっていて、その時刻がやってくるのが本当に待ち遠しかった。

9 時少し前に先生達集結。傷を見て、エコーで確認して、動いて良いことになった。その後、尿管カテーテルも点滴も全部とってもらって約20時間の「動くな!」終了。不自由になってみると、自由って素晴らしいと思うのであった。
階段の上り下り、重いものを持つなど多少の行動制限はあったが、別にその予定はないので何も問題なし。あとは退院日が決まるのを待つのみだ。

さて、私は4人部屋に入院していた。他の3人の方はだいぶご高齢の方々だった。入院した当日の夜から次の日の朝にかけてくらいのタイミングで、3人とも認知症であることを知った。(それぞれのご病気の治療の為に入院していて、プラス認知症という状態)
前にも書いたが、コロナ禍ということで入院患者の付き添いやお見舞いは原則禁止されていた。お見舞いはさておき、家族等の付き添いがないというのは大変だなぁと思うことがその3人のおばあちゃん達の入院生活を見ていて多々あった。というか、大変なのは看護師さんたちというのが正しいのか。
病院側と患者側、入院するにあたって「普段の生活はこんな感じなんです」とか「今までこういう病気をしたことがあります」などなど様々なヒアリングをするシーンがある。で、、付き添いの方がいないので、その質問は入院している当人にいく。前述したが、おばあちゃんたちは全員認知症。看護師さんは直近の生活について聞いてるのに、Yおばあちゃんの話は太平洋戦争終戦の日から始まる。だいぶ遡ったねぇ、、である。何度聞いても、ほぼ毎回、昭和20年から話がスタートするのだ。安静にしているのがやるべきことである私にとっては漏れ聞こえてくるその話を興味深く聞いていたが、看護師さん達にしたら相当大変なことだったと思う。そうこうしているうちに、隣のSおばあちゃんが、オムツを交換してぇーと呼び出しブザーを鳴らす。Sさんのオムツはつい数分前に替えたばかり。Sさんはそれを忘れて日に何度も何度もオムツ替えてぇーの呼び出しをしてしまう癖の持ち主。で、私の隣のIおばあちゃんはというと、ほとんどの時間は無音なのだが、日に1,2回発作みたいのが起きて、突然何かが憑依したように別人となり、「どこも悪くない私を強制的に入院させて何をするつもりなんだ!」と大騒ぎを始める。

もう、カオスです。カオス。

入院している時に、と、スマホにNetflixのドラマとか、電子書籍とか色々準備してきていたのだが、結局なーんも観ずに読まずに終わったのだった。とにかく目が離せないというのか耳が離せないというのか、そんな入院生活だった。

私はずっと一人暮らしをしているし、認知症の方と生活を共にした経験がないので、突如この病室で過ごすことになって色々と思うことがあった。人は老いていくと、こういう風になる可能性がありってことだよね。それは自分にもやってくるかもしれないわけで。きっとそれは脳の仕業なんだろうけれど、人間の体ってわからないことだらけだよね。

腎生検が火曜日。
水曜日、木曜日と経て、検査後の回復がすこぶる良かった私は、早めに退院出来ることになった。

金曜の朝。外は快晴。秋空だけど、まだ残暑ある?というくらいの気温の中、リュックを背負って歩いて、電車に乗って、我が家に帰還!
結果がわかるのは、1か月後ということだった。
結果&病名は気になっていたものの、病院から帰宅したあの日、うれしくて、すごーくテンション高かったことははっきりと覚えている。






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