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空と水色とわたし-60

2017年12月
あれからしばらく私は優勝の余韻に浸っていた。
・・・と言いたいところではあるが、年末に向けて恐ろしく忙しかった。
当時働いていた派遣先は元々忙しい職場ではあったが、
12月は決算期ということもあってそれに輪をかけて忙しかったのだ。
さらに、私はそんな忙しい職場に疲れ果てて、12月末で契約終了することになっていたので、もう何が何だか。というくらい、忙しかった。
それでも、夜遅くに仕事を終えてガラガラのバスに乗って帰るときなどに
優勝の瞬間の動画を見ると何度でもあの日の感動が蘇って
泣きそうになったりした。

素晴らしい日だったな。
もうあれほど感動して、感動する日はきっとないだろう。
そんな風に思っていたのだが、実はその数年後に
その日に匹敵するほどのすごい1日がやってくることになる。
それはまた後日書くとして、、、
それにしても、フロンターレのサポーターで良かったなぁと
しみじみと思う。

フロンターレのサポーターではない人生を歩んだことがないので
比較はできないし、
たまたま川崎に引越してこなければ、
気まぐれで等々力に足を運ばなかったら、
街の至る所でフロンターレに出会う偶然がなかったら、
マスコットの名付親になっていなかったとしたら、
私は特定のチームのサポーターになっていなかったかもしれないし、
他のチームやスポーツもしくは何かにのめり込んで
まったく別の色に彩られた生活を送っていたかもしれない。
自分の性格上、きっと何かに夢中になっていたとは思うけれども。
それがフロンターレで良かった。

優勝した時に中高の友人からのメッセージの中に
「報われたね」という言葉があった。
お祝いの言葉は素直に嬉しかったが、後になって
果たして自分は報われたいと思って応援してきたのだろうかと
考えたりした。
そして、優勝するということは報われたということなのだろうか、と。
「報われる」ということは、「努力や苦労に対してそれに見合った期待通りの成果や成功が得られること」という意味らしい。
だとすると少し違うような気がする。
これまでチームに関わってきた選手たちや関係者の皆さんの頑張りは
ずっと見てきたので、報われてほしいなぁとは思っていたが、
自分は好きで応援してきたので(むしろ応援することが当然というか
息をするくらい当たり前のこと)優勝して本当に嬉しかったけど、
報われるというのはなんか違うなぁという結論に達する。

そんなことを考えながら、2017年、最終出社日までバタバタな状態で
仕事を納め、契約を終了し、翌日実家に帰省して、年末を迎えることになったのでした。

次からはいよいよ2018年に突入だ。

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