天気から見る認知症
天気から見る認知症
デイサービス 生活相談員
デイサービスの窓から外を見ていると、雨がたくさん降っていた。何となく雨音に耳を傾ける。
そんな光景を見ていると、ふと昔を思い出すことがある。
それは学生時代のこと。
特に高校生の頃は、自転車通学の宿命か。カッパを着て通り雨に濡れたりしたもので
大学生の時、初めて傘を手に地下街を歩いた時は、何だか少し大人になった気がした。
しかしそこで気付かされた、思いもよらぬ苦悩。
そう
傘の扱いが、とても面倒くさいのである。”
どんなに気に入っている傘でも、やはり使用しないときには邪魔になるし
ましてや地下街を歩くということもあり、そもそも傘の必要性が乏しくなる。
傘をさすことに憧れを抱いていたことが嘘のように
毎日悩んでいたことを覚えている。
デイサービスに勤務するようになり、学生の頃ほど雨に困らされることが無くなった私と、やたら天気予報に詳しい利用者の皆様。
その中には、認知症と診断を受けている、利用者A様の姿もあった。
私:「毎回、デイサービスに出かける時に、天気予報を確認しているんですか?」
利用者A様:「天気予報は見とらんよ、雲の様子を見ているだけだからね!」
うーん、なるほど。
それにしては、いつも天気予報を当てている印象だが。
私:「へぇ…雲ですか…」
そしてその昼過ぎ…
ポツ…
ポツポツ…
ザ———————————・・・
驚くべきことに、雨はちゃんと降ってくるのである。
天気予報も見ていない利用者A様の恐るべき能力を目の当たりにする毎日である。
そんな中
朝のお迎えに行った時のこと。
この日のお迎え先は、先にも紹介した天気予報博士の利用者A様だ。
利用者A様はいつも玄関で待っていてくれる準備の良い方だ。
ところが、今日は玄関にA様の姿はなく、台所の方で音が聞こえる。
「おはようございます!!」と声を掛けても、その音の大きさで聞こえていないようだ。
よく聞いてみると、どうやらテレビの音らしい。
『トコロにヨリ…イチブ、アメがフルデショウ…』
!!!!!
私は耳を疑った。
なんと
天気予報を見ているではないか。
この間は「天気予報なんて見ずに雲の様子を見ているだけ」
などと、まるで仙人のようなことを言っていたくせに。
いやいや落ち着け。
違う、大事なのはそこじゃない。
天気予報を見ているという事実は別にいいのだ。
それよりも、天気予報を見たという事実は忘れているのに、
天気に関しての情報だけは完全に記憶に残っているのである。
これは私にとっては驚くべき光景だ。
言い換えるならば、
夕飯を食べたという事実は忘れてしまっているのに、
夕飯の献立は覚えているという、ある意味特殊なパターン。
目の前の状況は、まさに上記のそれだ。
さて、とりあえず送迎車にご案内しなければと思い、少し大きな声を掛けた。
私:「Aさん、おはようございます!」
今度は私の声に気付いたA様。
利用者A様:「あぁ、おはようさん。もうそんな時間だったね。よし、行こうか。
今日も宜しく頼むよ。」
私:「こちらこそ!宜しくお願いします。」
そう言ってA様を車に乗せ、デイサービスへの道をゆったりと走る。
車のフロントガラスから見える空では、大きめの雲で太陽が見え隠れしていた。
そうだ、雲と言えば…
私:「Aさん、今日の天気はどうですか?さっき、テレビで天気予報を見てたでしょう?」
利用者A様:「天気予報?見て来んよ、そんなのは。まぁ、大抵少し雨が降るかな。」
思い描いていた展開とは、何かが違う。
これは…どっちなんだ?
認知症とはいえ、天気予報を見ていたことを言わずに天気予報博士でいたいのか、
もしくは、認知症のせいで、本当に天気予報を見ていたことを忘れてしまったのか…
しかし、その場合は天候を体で感じられる、仙人の力を宿していることになる。
考え始めて、私はすぐにハッとした。
そんなことは、どちらでも良いではないか、ということに。
天気予報博士だろうが、仙人だろうが
A様はA様なのだ。
どちらにしても、素晴らしい個性ではないのか。
こんなはずではなかった。
しかし、思い返せば天気予報に詳しいからといって
天気予報を見ているか見ていないかにこだわった着眼点を持ってしまった私の失敗である。
こうなってくると、これは天気というものを通した、A様本人が感じる存在価値の話になってくる。
私はどうやら、状況を見誤ってしまったようだ。
そして、認知症というものを、狭い視野で捉えてしまっていたように思う。
利用者A様の言動、そこには大前提に、状況における様々な可能性があるのだということも忘れて。
認知症か、状況における可能性か…その判断の難しさたるや。
しばし全ての思考が止まり、この世界の全ての人類を信じられなくなった私だったが
何とか自分の愚かさを紛らわす必要があった。
私:「Aさん!今日は雨が降るから、カッパがいりますね!あ、そうそう、カッパと言えば、日本には昔から河童がいるって言うのは本当ですかね!?川に入った子供と一緒に遊んでくれたり、いい奴ならいいんですけどね!悪さなんかされたら嫌ですからね!あ、それならいっそ傘のお化けの方が良いぐらいですかね?ま、どちらにせよ、日本の昔の逸話って言うのは面白いもんですよね!!」
利用者A様:「知らん。」
・・・・・・・
別に私は自分の話が面白いと思っているわけではない。
ただ、こんなにも苦しい雰囲気になるものなのか。
何より、日本の妖怪に関する知識などない私が
何故河童を思いつき、とっさに口にしてしまったのだろう。
まさしく、後悔先に立たずの状況。
完全に空を切った、渾身の私の話に静まり返った送迎車内は
何とも言えない重苦しい雰囲気になっていた。
・・・・・・・・・・・・・
・・・
「カッパといえば、かっぱ巻きなんていうお寿司がありますよね!そうだ、Aさんはお寿司なら何が好きですか?天気予報を当てられるAさんだし、今度天気のいい日にでもご家族と一緒にお寿司を食べに行けるといいですね!」
多分この会話が正解だった。
完
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