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火にくべる

母はいつも疲れていた。
子ども、特に私に対して、今で言うモラハラをする傾向にあった。

うちでは、「勉強に必要なものは親が買うから言いなさい」という方針だった。
とてもいいことだ。当たり前のことかもしれない。すべての子どもが得られるわけではない「当たり前」だ。私は恵まれていたと言える。

でも、いちいち申告するのは少し息苦しくて、私はある日、お小遣いでコンビニのカッターナイフとペンを買った。
紙をスーッと切るのも、自分で選んだペンでぐりぐりと字を書くのも、ささやかながら楽しかった。

授業参観の日だった。
いつもより早い時間に、母と一緒に家に帰った。
部屋の片付けをしていたら母が入ってきて、そして、私の勉強机の上で蓋が開いたままになっていた筆箱の前に歩いていった。
今でもその時の光景をスローモーションで覚えている。血の気が引いたことも。

「万引きしたんじゃないでしょうね!」

母はそう怒鳴った。声が少し裏返って金切り声になっていた。ちがう、ちがうよと泣いた。

いま振り返ってもわけがわからない。
子どもが見覚えのない文房具を持っていた、だからと言っていきなり万引きを疑うか?

洗濯物を一枚畳んで一円の小遣いを私は受け取っていた。
それで買ったとなぜ考えてくれない。
せめて、祖父母に買ってもらったとか、他にあるだろうに。

私がそのカッターで自分の手首を切り始めたのは、高学年になってからだった。


母が何年も十何年も、会社で上司からパワハラを受けていたというのは成人してから知った。

環境や交友関係によって、言動というものは影響を受ける。
つまりは、私は母を通して母の上司から詰められていたということなのかもしれない。到底納得などできはしないが、それでもそう思いたい。母は悪くなかったと思い込んでしまいたい。

パワハラという言葉が世に広まる前から、幼い頃から、子ども心に母が会社でつらい思いをしているのは察していた。

夜中に家を抜け出して、母の会社に行って、会社に火をつける空想を布団の中で何度もした。
母を苦しめる会社がなくなればいいと思った。

何年か経って、そんな空想をしていたんだよ、と何気なく母にこぼした。

「お母さんのこと焼き殺したかったのね!!」

母はそう言った。
ちがうよ、ちがうよと泣きじゃくりながら必死に言ったような気もするし、ただ呆気に取られて呆然としていた気もする。

どちらが実際の記憶かわからないが、ひどく悲しかったのは確かだ。

なぜ私が母を求めていることが伝わらないのだろう。苦しむ母を助けたいと思うのが伝わらないのだろう。母が大好きだと、それがなぜ伝わらないのだろう。

悲しかった。

だから、私はずっと、母に嫌われていると、憎まれていると思いながら育った。
生まれたことを申し訳なく思って布団の中で泣いたことも数知れない。

同時に、私は母を憎んだ。
脳内で何度も包丁を突き立てたし、母がある日突然事故か何かで消えてしまう空想もした。

それでもずっと、すべてに絶望して布団にくるまりながら、小さなこどもの姿になって母の膝で抱きしめられたいと思っていた。

小学校低学年の頃、忘れ物やうっかりが多い私に母が「小さい頃の方がいい子だったのに……」とこぼしたときから、私にとって理想の姿とは、大したことができなくとも許され愛される、未就学児の幼い自分だった。

私はもうすぐ、母が私を産んだときと同じ歳になる。

年に一回か二回会う今の母は、すっかりおとなしくなった。
あの、噴出するような、怒る力もなくしたように見える。

私が家を出て二、三年して、母はとうとう精神的に折れて仕事を辞めたらしい。
その少し前、パワハラ上司がいなくなり、とても楽になって、おかしかった同僚も普通になったと言っていた。今までそれが当たり前だから気づかなかったと。

張っていた糸が緩んで、ぷっつり力が抜けてしまったのかも知れない。

「学生時代、朝起きれなかったあなたの気持ちがわかった」と母は言った。

人をなじるのも、怒鳴るのも、体力と元気がなくてはできないことだったのだなと、母を見ていて知った。

今でも昔の母への憎らしい気持ちはある。思い出すたびに、喉奥で胃のもたれに似た気分の悪さがめぐる。
ついでに、顔も知らぬ母のかつての上司のことも、今でも会社に火を放ってやりたいと思う。

でも、もう会社にその上司はいないし、母も死んだ。

かつての母はもう死んだ。
私が今、穏やかに交流するのは、今の母だ。
少し力の抜けた、怒鳴る気力も失った、飼い猫を可愛がり妹と砕けた談話をする母だ。

どうかずっと死んでいてほしいと思う。
私には今の母がいればいい。

いつだか、「どうして許せるのか」と自助会で聞かれ、私はそのとき「過去の恨みと現在の許しは共存し得る」と答えた。それもそのときの本心だったと思う。
でも最近、少し違うのかも、と気付いた。

死んでくれたから、諦めがついたのだ。



そんな私は今、人間関係で色々あって、消化器にくる気分の重さを抱えながらモラハラ加害者向けのプログラムを探し回っている。
私の中に、母から受け継いだ毒があるのではないかと思うと、苦しくて不安で仕方ない。
あなたは違うよ、相手が悪かったんだ、と言ってほしいのだと思う。その「回答」がほしいのだと思う。
私の中に残る過去の母を、早く火にくべたい。

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