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師匠・寺澤秀一 〜町医者を目指してERを学び始めた頃〜

「フツーの町医者」になるつもりで医学部に入った僕は、卒業後の行き先が見つからないでいた。町医者とは正反対の専門医の選択しか目の前に並んでいなかったから。そんな中出会った師匠、寺澤秀一は、町医者とはちがって救急医だけど、患者への向き合い方も、そのスタンスもなぜか共感できた。

「僕は、フツーの町医者になりたいんですけど、それってひょっとしてココですか?」と初対面で尋ねると


「そうそう、ここ ここ。」と笑顔で答えてくれた。

というわけで、町医者への入り口を見つけることができました、あーよかった。



大学6年。
いい加減卒業後の進路を決めなければならない頃。

当時は今のようなローテート研修はメジャーではなく、ストレート研修が普通でした。つまり、大学を卒業すると、「眼科」「整形外科」などに直接所属し(入局という)、その科の研修をメインで行うのです。なので、進路を決める、というのは「どこの大学病院の何科に入るか決める」ということ。しかも、福井医大(当時)の各科は常に人手不足状態で、入局審査(いわゆる入社試験とか入社面接)みたいなものはほとんどなく、手を挙げれば入れます。それどころか、自分の科に入ってもらいたくて、学生にゴハンをおごったりする医局もありました。

僕は、、、
「フツーの町医者」になるつもりで医学部に入りました。
こう見えて、幼少期は病弱で、喘息で病院に定期通院していました。肺炎や腎盂腎炎で何度も入院してます。手術を受けたこともありました。
そんな中、僕に見えていた「お医者さん」は、小児科、と書いてあるけど親の風邪も診て、お見舞いに来た弟が折りたたみ椅子に指を挟んで切ってしまったら縫合してくれ、クリスマスに入院していたらサンタになって登場する。そんなイメージ。そんなお医者さん、いっぱいいました。
でも、大学に入って6年間、そんなお医者さんには一人も出会いませんでした。
どの科に入局したら「フツーの町医者」になれるのか、わからず困っていました。思い出を頼りに小児科の先生に相談に行ったら…

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