医療的ケア児、地域の中学校に行く。小学校のときよりもあっさりと。ごきげんに。【あたりまえは今日、さりげなくバージョンアップしました】
あたりまえはバージョンアップしていく
6年前、福井で初めて普通学級に入学した、りなさんは、
今日、中学校の入学式でした。
6年経った。
右半身麻痺があって、立ってるだけでも転んでしまうりなさんに
「地域の学校に行こうね」と、不安いっぱいの6年前の僕は言いました。とても怖かった。
2年間リハビリしても改善が見られなかった右半身麻痺は
小学校に通い始めて半年後に、校内マラソン大会を完走するまでにパワーアップ。
彼女に必要だったのは、機能にこだわったリハビリテーションではなく、
参加にこだわった、友だちと遊びへの関わりだった。
それに気づいた時、僕は恐怖で震え上がりました・・・
私たち医療者は、リハビリして、歩けるようになって、学校に行こうね。と考えがちです。
それは、医療的に真っ当で、優しい判断。の、つもりです。
しかし、2年間リハビリしても改善しなかった身体が・・・
学校に行くと、やりたいことがいっぱい見つかって、一緒にやりたい友だちができて、できるようになっていく。
もし、あの時「リハビリを頑張って、歩けるようになってから転校して、学校に行こうね」と
僕が、
りなさんの希望に、優しいドクターストップをかけていたら・・・
歩けるようにもならず、学校にも行けず、今日の日なんて存在しなかった。
機能→活動→参加、か? 参加→活動→機能、か? ドクターストップからドクターゴー!へ。
学校行くと危ないよ、やめておこうね。
ではなくて
学校行って危ないことあったら、僕らが手を貸すね、行ってみようね。
って言わなくちゃいけなかった。
立ってるのもせいいっぱいだったりなさんが、秋のマラソン大会で完走
ドクターストップではなく、ドクターゴー。
ドクターストップして楽になるのはドクターだから。
ドクターが震えながら、覚悟を決めて、ゴー!と叫ぶ。
本人も家族も、地域のみんなで覚悟をシェアする。
悩みながらも進んでいくことを、皆で覚悟を持って選ぶ。
右半身麻痺はわからないくらいなくなって、プールも習字もお泊まりも、なんだってこなしてきたりなさん。
でも6年生になった1年くらい前から、病状が変わって・・、今度は左の麻痺が強くなり、車椅子を使うようになった。
車椅子を使うようになったが、好きなものは好きなように選んで過ごすりなさん。そりゃぁそうだ。これでいいのだ。
りなさんが行った小学校では
友だちが、声の出せないりなさんとのコミュニケーションのために「て書き文字」を開発した。
障害者福祉、とかじゃなくて、友だちとおしゃべりしたい、そんな気持ちから生まれた発明。
りなさんの周りは優しさで満ちている。
1年生の、りなさん
頼って頼られよう
自分のことは自分でできるようになりましょう。
一見ごもっともなこの標語は、本当は矛盾で満ちている。
だって、入学式に着ていく服は自分で着れるかもしれないけれど、自分では作れない。
自分でコンビニに買い物に行ってご飯は食べられるけど
それは作って運んで並べて売ってくれる人がいるから、できるだけなの。
ちゃんと周りを頼りましょう、頼られた時は助けましょう。
それが「自分でできる」の本性だ。
何も自分でできなくたって、そのできなさをちゃんと知って、頼ることができれば
それは「自分でできる」なのだ。
りなさんと一緒に過ごすと、それがわかる。
本当の、充実した「自分でできる」に近づける。
だから、りなさんの周りには優しさがあふれてくる。
今日の僕は、いつもよりもずいぶん幸せです。
また今日、あたりまえ、がバージョンアップした社会に僕は住んでいるからです。
車椅子で、気管切開で、胃ろうで、命が迫る病気を持っていたって、地域の中学校で過ごせる、地域につながる社会です。
1年生の時のりなさんの新聞記事
この記事をFacebookでシェアしたら、「この記事のおかげで自分の地域でも小学校に行けました!」と嬉しい反応もありました。
りなさんが、仲間を増やしてサポートしていくのです。
今日、さりげなくバージョンアップ。
小学校入るときより、大変じゃなかったね。とパパもママも言ってました。
そうなんですよ、りなさんが、自分で作った道なんですよ。
僕もそのうち、病気になります。歳をとって助けがもっと必要になります。
でも、りなさんがバージョンアップしてくれたこの街で、幸せに暮らしていけそうな気がします。
車椅子で、気管切開で、胃ろうで、寝たきりだって、
友だちと大爆笑して、過ごしていくのだ。