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あんまんのクレームが独特


売れ残るあんまん


コンビニのシフトに入ると、毎朝中華まん(肉まんなど)を仕込む。

売れることを見越して多めに仕込むのだが、その中であんまんを仕込むかどうかでいつも迷う。なぜかあんまんだけいつもあまり売れないのだ。

同じ時間帯で働いている人に「あんまん仕込みますか?1個でいい?」と相談すると、たいていみんな「うーん、売れないよね。でもとりあえず1個入れておくか。」と言われ、渋々仕込む。

昼のピークもすぎて、やはりあんまんだけが売れ残る。夕方は気温も下がり、中華まんが特に売れる時間帯だ。だがやはりあんまんだけはなかなか売れてくれない。

結局廃棄処分になる時間まで売れず、無惨にもぶよぶよにふやけたあんまんが売れ残る。
「今日も売れなかったなぁ。。。」
とため息をついてしぶしぶ廃棄する。

仕込むのをやめてみる


そんな日が1週間くらい続く。
もういい加減いいだろうと久しぶりにあんまんをつくるのをやめてみる。

するとやめた途端に、あんまん目当てのお客さんが狙ったように前のめりでやってくる。

年配のお客さんが、「あんまん、ないんですね。」(恨めしそうに肩を落として帰る)とあんまんを食べるために一日中楽しみにしていたのに期待を裏切られてがっかり、という表情をする。

またあるお客さんは「(いつもあって当然な!)あんまん、今日はないんですか?(わざわざ買いに来たのに、無いなんてひどい店だ)」と若干キレ気味で私をなじる。

あんまんフリークのために毎日売れないあんまんをつくり、全然売れず、諦めて作るのをやめた途端にこのような文句が飛んでくる。

せっかく楽しみにしていたのに申し訳ないなと思いつつ、だったら毎日まめに買いに来て欲しいよと思う。

そしてあんまんは他のコンビニにもあるし、スーパーなどでも手に入る。そんなにがっかりしなくてもいいじゃないかと思ってしまうが、根強いあんまんフリークは、食べたいときにないと許せないのだろう。

代替できない特殊性


あんまんは肉まんやピザまん、カレーまんとはまた違う、独特で熱烈なファン層が形成されている気がする。温かくて甘いという、他の中華まんには代替できない特殊性。チョコやクリームのような華やかさはなく、人気は埋もれがち。しかしあんこという日本人のDNAに組み込まれているであろうソウルフルな味わい。

作ると安心して買ってくれない、作らないと猛烈にクレームを入れてくる、意外とよく見ている根強いファン。

あんまんひとつで一喜一憂している大人が、まるで子供のように思えてくる。アイスクリームが食べたいと店内でギャン泣きする子供がたまにいるが、それと対して変わらないじゃないかと思ってしまう。

いつもそんなパターンを繰り返す感じなので、あんまんを作らなかった日は、あんまんフリークが文句を言いに来やしないか、ひそかな楽しみになっていた。

あんまんの存在感


きっとあんまんフリークは常にあんまんが仕込まれているか毎日パトロールしていて、ない場合はここぞとばかりにクレームを入れてくるような気がしてくる。
どんだけ暇やねん、そしてどんだけ好きやねん、とつっこみたくなってしまうし、あんまんひとつにあれだけ期待と情熱を持っていられるモチベーションはすごいなといつも思う。

「うんうん、今日もあんまんが元気に売られているね、よしよし。」とあんまんがありさえするば満足という、「あなたがいるだけで私は幸せ」というあんまんの存在感の重みを感じてしまう。たかがあんまん、されどあんまんなのだと思った。

接客していて思うこと


些細なことですぐキレたり文句を言ってくる人も結構多くて、接客は大変だと痛感する。そういった人たちは世の中や他人に過度に期待していたり、要求のハードルがとても高いという感じがする。

「あんまんなんてどうでもいいじゃないか」と思う人がいる。その一方で「あんまんは私たちのソウルフード、いつもあって当たり前だ!」と思っている人もいる。

食べ物の恨みは本当に怖い、そして好みやこだわりも人それぞれなので、接客しているといつも驚かされることも多いし、考えさせられることも多い。

色々な人間がいて、面白いなと思う反面、正解がないからすごく疲れたりもする。それでもなんやかんやで世の中回っているのが不思議だな、とレジに立ちながらいつも思う。

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