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ホーチミンの交差点と子守歌

交差点を渡る

ベトナムに行くと道路を渡るときにすごく怖い。みんな暴走族みたいな感じがするし、止まってくれるバイクなんてない。

現地の人のように私も見よう見まねでじわじわと道路を渡ってみた。するとみんな止まってはくれないけれど、優しく避けてくれる感じがした。

止まらず、焦らず、ゆっくりと渡る。そうすると、『うんうん、分かっているよ、避けますね。』という感じでみんなが避けてくれる。

挨拶がわりのクラクション

それとやたらにクラクションを鳴らしてくる。それはきっと『これから通りますよ、気をつけてね。』という予めの注意喚起というか、ご挨拶のような感じ。日本人的な感じで言うと、事が悪くならないように『すみませんが〜』『申し訳ございませんが〜』みたいに先に言っておくような感じに似ている気がした。

大学の授業でこの録音した音を教授の先生に聞いてもらったことがある。イヤホンから音漏れしているくらいの小さい音だったのにも関わらず、『うるさいなぁ。』とボソッと言われてしまった。

何がうるさくて何が心地よいのか

確かに街の騒音は人によっては不快に思う音なのかもしれない。ましてやクラクションや暴走族みたいなバイクの音、パトカーのサイレンなど、煩ささ全開とも言える。この煩い音が毎日聞こえてくる部屋には住みたくはないだろうと思う。

しかし、線路脇に家がある知人に話を聞くと、『電車の騒音がするとなんか安心するし、逆に無いと落ち着かない。』と言っていた。また都心に住んでいる友人が田舎に旅行に行った時、『カエルの鳴き声が夜中うるさくて全然眠れなかった。』と言っていた。

誰しもが心地良いと感じる音もあるけれど、生まれ育った環境によっても感じ方は人それぞれなんだなと思った。

私たちは今生きている

ベトナムに旅行に行って一番最初に思い浮かぶのが、この交差点と人々がバイクで行き交う様子だ。生活感とか、生き生きしている感じがして感慨深い印象を受けた。家族4人と犬を載せて、また大量の荷物を載せて街を走り抜ける感じが、『私たちは今生きている』という感じがした。

水曜どうでしょうのベトナム縦断の旅でも、大泉洋さんが『ここはベトナム、僕たちは生きている。』と言っていたけれど、まさしくそんな感じで、ありふれた日常の光景ではあるけれど、その様子を見ていると勇気というか、励まされたというか、生きる力をもらえたような気がする。

ベトナムの子守歌

録音している時には気づかなかったけれど、よく聞いてみると遠くで誰かが歌っているような音が聞こえてきた。交差点の騒音と、誰かの歌。まるでこの交差点の騒音がベトナムにとっての子守歌みたいに聞こえてきた。


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