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『自分の仕事をつくる』 まとめ

沢山のクリエーターの働き方や考え方から、自分の仕事についてどうやって働くのか、どうやって生きるのかを考えてみる、という内容です。
『好きなことをやって食っていけるんですか?』という疑問にも、『好きなことをやって食っていけている人』が正直に答えているところが興味深かったです。


あなたは大切な存在で、生きている価値がある

人間は『あなたは大切な存在で、生きている価値がある』というメッセージを、常に探し求めている生き物だと思う。

『こんなものでいい』と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。(無理なコストカット、手抜き、配慮が欠けるもの)
・大量生産の安いカラーボックスの裏面のベニヤ張り
・建売住宅の扉の開閉時の軋む音

その仕事を手がけた人の意識が製品に現れる

つくる力は『観察力』に従う
服飾デザイナーの色指定の方法
世界中から集めてきた布や糸を見ながら色を決めていく
素材と向き合う→個々に違う、同じものがない、多様さの発見
『桃色』→質感・手触り・味わい・重さ・儚さという経験のすべて
ピンク色という色を超えた様々な情報を含む

『手を動かす前の時間の豊かさが、仕事を面白くする』
建物をつくるプロジェクト プロセス、体験の共有
設計の前段階に投じられる仕事量、時間の厚みが建築物に反映される
共通体験・暗黙知→明文化が難しい。体験を通じて共有知を育む。

プロダクトの魅力→色や形だけなく、体験や経験のデザイン
・マグカップ→コーヒーを淹れて飲むことの幸せ
・車→大切な人とドライブすることの喜び

デザインする前のプレデザイン

『できるだけ”その人”が出る状況をつくり出す』
その人が持っているもの、ちょっとした光っている部分に気付いてポッと焦点の合った仕事を与えると、人は必ず成長する。与えることが大事。
・答えがあるもの→教師
・答えがないもの→ファシリテーション・コーチング

『自分』を掘り下げることで他人と繋がる→普遍性へと繋がる

好きだけど、理由がわからないものをいくつか並べてみる
人々に支持される表現は多数の無意識を代弁している、しかしその入り口はあくまで個人的な気づきにある。

自分の課題と社会の課題が重なるところ→私たちという領域

矛盾がない仕事
×環境に良くないプラスチック容器に入った自然派食品
×環境保護をテーマに作られた服が大量に廃棄される
×意味が見出せない仕事
×ものが溢れているのにさらに似たようなものをつくる

癒されたい、癒される→満たされたい
自然、動物、子供に癒される理由→嘘やごまかしがない存在
嘘やごまかしがないか、買わせることが優先になっていないか?

繋がりが実感できるか
できないこと、面倒なことは外注する(過剰な輸入、地産地消でないもの)

一人一人の生きる力や自信が弱まっている、全体性を欠いた自分
空洞化、バランスの欠如
顔が見えにくい、意味を見失う、繋がりが実感できる環境
感謝できているか?他者の仕事や顔がちゃんと見えているか?

西洋でもアジアでもなく自分自身
自分がつくるものは自分にとって必要
足元から生活を作り上げる力を持つ

身体性が基礎になっている→感覚的な判断を取り戻す
・藍染め→虫除け、薬効
・食物→体を整えるもの
感覚に良いものを大切にする(人・場所・もの)
判断にミスすることが減る、繋がりを実感して生きられる

意図を持ちすぎない

その価値が意図のないところにある場合もある
存在しているだけで価値がある→子供・動物・自然など

『意味がないこと』に意味はない
花を生けることは生活に必需ではないが、花を生けようと思う気持ちに価値がある→豊かさ

バカになれること、バカになれる人を大切にする
夢中、熱中してしまうこと=自分の仕事
後先を考えない人→今この瞬間を大切にしている人

日常的なちょっとしたことに配慮できるか
圧倒的な商品力、技術力は大企業には勝てない
日常的な献身、工夫、気遣い、声かけなど小さな差異、小さな信頼の積み重ねが重要→やりがいや働く意味へと繋がる

『仕事を手に入れるため』会社に通う
会社へ通う→仕事が集まっているスーパーマーケットへ行くようなもの
自給自足できればスーパーへは行かなくなる
会社から仕事を買って自分の時間を売っている

人材の所有から使用・共有へ移行している
必要に応じて人材を使う時代になっている

×仕事に自分を合わせる
○自分の方に仕事を合わせる

問題・課題をつくれる人になる
4+6=□ ←答えは1つしかない
□+□=10 ←答えは無数、こっちで考えてみる

名建築の定義
・驚きを与える
・英知を結集している(本質、優れた知恵)
・なにがしかへの愛を表現している

試行錯誤する、やってみる
自分がほしいものをつくる、自発的に仕事をする
当たり前のことを大事にする、分かりやすさがあるか
私たちはその大切さを実はわかっている
根本的なことを問い直すことはしんどい、面倒
惰性で仕事をしてしまっていないか?

自分の中の違和感を修正して物事を作り上げる
+他の人が感じていることを感じ取る力→多くの人に共感される成果が出る
他人事が自分事になる
働くことを通じて『これが自分です』と示せるような働き方

好きなことをやって食っていけるんですか?

単に好きなことをやっているわけではない
他の人と共有できる予感があるから形になる

感想

以前派遣の仕事をしていた時、年金を貰っているであろうシニアの人たちが働きに来ていた。もう年金も貰っているだろうし、前職の退職金も貰って生活するお金には困っていない感じだった。
『もう子供も独立して孫もいるんだよ。』なんて嬉しそうに話してくれた。私は「もう働きたくない」「働くのしんどい」と思っていた時だったので、お金も困っていないのに働きに来るなんて、よっぽど働くことが好きなんだなと思った。

その仕事はかなり時給も低くて交通費も出なかった。近所の主婦やシニアの人ばかり来ていた。私は次の仕事が見つかるまでの繋ぎになればと思い、割と手を抜いてやっていた。しかしその主婦やシニアの人たちの生き生きと働く様子を見て圧倒された。

確かに20代くらいの人と比べるとパソコンが苦手だったり、作業のスピードも早いというわけではなかった。しかし疑問点はどんどん質問し、作業の問題点や矛盾点をを改善したり、みんなで話し合ってどうにかしていく解決力や折り合いをつける力がすごかった。あまり働いたことがないと言っていた主婦の人も、コミュニケーションの取り方など仕事慣れしていない分丁寧というか、その人らしさが素直に出ていて好感が持てた。仕事が未経験でも豊富な人生経験でカバーしている感じだった。

家族や地域のコミュニティだけでなく、仕事を通じて色々な人と関わり合ったり、社会の助けや力になりたい、生き生きと働きたいという気持ちがある人が多く、本来仕事ってそういうものだったはずと気付かされたし、私も新入社員で働き始めた時はもっと夢中で働いていたなと反省した。

一生お金に困らない人が、案外暇を持て余してつまらなく感じていたり、人生の目的を見失ってしまう人がいるということを聞いたことがある。大体そういう人たちってボランティア活動やチャリティや芸術文化などを支援している人が多かったりする。

自分がやっていて楽しい・嬉しいということだけでなく、それを他者と共有したり、支援したり、交流したり、社会の役に立っていて自分の存在意義というか、生きる意味など、誰かから感謝されたいと思う気持ちはみんなに共通している欲求なんだなと思った。

最近はやりがい搾取とか滅私奉公的なことも問題になっていて、やりがいや生きがいと賃金だったり、労働条件や労働環境とのバランスも崩れている場合もある。

そんなブラックな事例を目の当たりにすると働く意欲は失せてしまう。泣き寝入りするか、逃げるか、徹底的に戦うか色々な手段はあるけれど、一番良くないことは我慢すること、泣き寝入りすることだと思う。

『自分を殺すような仕事』がやりたい仕事の中に含まれていたり、どうしてもやらなければいけない時もあるだろうと思う。
お金のため、家族を支えるため、仕方のない時もあるかもしれないけれど、「本当にそれでいいの?」と自分自身に問える人でいたいと思う。

お金がないと何も手に入らないという考えは本当に正しいのか?思い込みではないか?他の方法を探してみたのか?自分を殺してまでその仕事をやる意味はあるのか?自分もお客さんも大切にできる方法って実はあるんじゃないか?と追い詰められた時、冷静に考えられたらいいなと思う。

『自分をどこでどう生かして生きてゆくかは、本来自分で決められる。』不利な働き方は勇気を持って下りることもできるはずだと思う。
自分を幸せにすることと相手を幸せにすることは、どちらも欠けてはいけないし、優劣もないと思った。

普段都会に住んでいると、新しい流行や世の中のスピードが目まぐるしくて疲れる時もある。都会or田舎という対極的な考え方だけでなく、働く場所、時間、働き方も選択できるようになってきた。

現在ある既存の仕事から選択する、という発想ももう古いのかもしれない。自分でライフプランやジョブプランを計画してそれに合わせて仕事を自ら作っていくということもできるのかもしれない。となると既存の仕事から選ぶだけでよかった今までよりも、もっとやるべき仕事が増えて大変だと言えるかもしれない。今ない仕事を作っていくプロセスも夢中で楽しめたら、もう仕事は自分にとっての生きがいややりがいになって充実した人生になるだろうと思う。

仕事とは自分を誇示する手段ではなく、自分と他人に対するギフト(贈与)であり、それが結果としてお互いを満たす。

贈り物は難しい。押しつけでは意味がないし、足元を見るなんてもってのほかだ。その人が欲しているけれど誰にも明かさずにいる、あるいは本人自身もまだ気づいていない何かを『これ?』といって差し出すことができたら、それは最高のギフトになる。

仕事に対して『面白い』『素晴らしい』ではなく『ありがとう』という言葉が返ってくる時、そこには何が込められているのか?その先を大切にしたい。

やっぱりどんな仕事でも心からの『ありがとう』って嬉しいと思う。そのひとことで疲れも吹っ飛ぶし、また頑張れると思う。
今までの仕事人生で、やっぱりその心からの『ありがとう』が聞きたいから仕事を続けてきたのかもと思った。

これからも『ありがとう』と言ってもらえる仕事をしていきたいし、『ありがとう』と言える人でありたいなと思った。
















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