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読書感想文 SHIBUYA! ハーバード大学院生が10年後の渋谷を考える

全編を通じて、多様性を包摂しようとする話。消費者としての人々や電車の乗り換えの人、海外旅行者くらいがターゲットされた街づくりがなされており、本来渋谷にあったストリートカルチャーが廃れていくことが危惧されている。(渋谷のカルチャーの発信地としての機能がインターネットやそれこそメタバースに展開されてきて、求心力がなくなってきたという話もある)
元々の渋谷系音楽なども東急西武の巨大資本の足元で発生したと考えられ、資本自体が不要という話ではないが、今の開発だとあまりにも資本の力が大きすぎる。乗り換えはスムーズに、なんでも買いたいものは揃う、そういう街になっていく。とはいえ、スクランブルスクエア内のアーバンコア、ストリームに向かうエスカレータの壁に描かれるイラストなど、カルチャーをも包摂しようとする気合はなくはないが、その影響力というか規模は限定的に思う。
そのため、ただデカいだけの街のような印象にどんどんなっていっているのが寂しい。
スクランブル交差点では、見る見られるの構造に対してかなり意識的になる場である。ここでいうテリトリー化された空間。全員が鑑賞者であり、舞台役者となる場所である。消費をするだけでなく、表現、体験する場としての機能をもっと取り込んでほしいように思う。
そこにいる人自体が楽しむ場所、ここではテリトリー化された空間と表現されるが、北田のいう舞台性をもつ場として成立してほしい。
この本の発行から時間が経ち、もはや今は開発自体もオンライン(=メタバース)化が進んでいる。そこでは、より表現者としての機能は限られるだろう。プログラムされた表現しかできない、イイネしか押せないSNSと同じだ。表現・体験ができる場、オフラインでしか味わえないものが成立する場として渋谷があり続けてほしいと改めて思った。し、これは老害心ではないと信じたい。。

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